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              私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』と解散の理由

2023/09/04 22:38|書籍TB:0CM:0
とても久しぶりの更新です。

前回の記事から一年半も空いてしまいました(汗)

ビートルズに興味がなくなったり、私の環境に大きな変化があったりしたわけではないのですが、これだけ長い間ブログが滞ったのにはX(旧Twitter)の影響があります。

X(旧Twitter)は情報の更新、拡散が速いんですよね。なので「この話題についてブログを書こうかなあ」と考えているうちに、話題の旬がどんどん過ぎてしまってタイミングを逃してしまうのです。

と言い訳をしつつ、やっと新しい記事を書くことができました。

きっかけはピーター・ブラウン、スティーヴン・ゲインズ著『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』を読んだことです。

表紙

この本を読もうと思ったきっかけはX(旧Twitter)のフォロワーさんのツイートでして、ここにもX(旧Twitter)の影響がありますね(笑)

フォロワーさんのツイートで初めてピーター・ブラウンの姿を目にして、彼のダンディな男ぶりに感心したのです。 

写真左のスーツの男性がピーター・ブラウンです。
ピーターブラウン0

Finally made the plane into Paris

Honeymooning down by the Seine

Peter Brown call to say

You can make it O.K.

You can get married in Gibraltar near Spain!

(飛行機はついにパリに到着した

セーヌ川沿いでの新婚旅行

ピータ・ブラウンが電話をよこしてこう言うんだ

大丈夫ですよ

スペインに近いジブラルタルで結婚式ができます!)


と、『ジョンとヨーコのバラード』の歌詞にも出てくるピーター・ブラウンです。

一体どんな人だったのか。詳しく知りたくなってネットで検索していると、リヴァプールの博物館『ビートルズ・ストーリー』の公式サイトでこんな記事を見つけました。

Alongside Steven Gaines, Pete co-wrote the book The Love You Make: An Insider's Story of the Beatles which didn’t sit well will the McCartneys at all… they refused to read it and burned it. The relationship was then severed.

(ピートはスティーヴン・ゲインズと共同で『THe Love You Make: An Insider's Story of the Beatles(ビートルズ ラブ・ユー・メイク)』という本を執筆したが、マッカートニー夫妻はまったく気に入らず、読むことを拒否して燃やしてしまった。その後、彼らの関係は断絶した)


本が原因で絶交するなんて一体何が書かれていたんだろう? 気になった私はすでに絶版になっている本を入手して読んだというわけです。

まずピーター・ブラウンがどのような人なのか、訳者あとがきからの引用です。

ピーター・ブラウンは、はじめブライアン・エプスタインのレコード店にひきぬかれ、ブライアンがビートルズのマネッジをするようになると彼を補佐し、ブライアンが死んだあとはアップルをとりしきり、財政的にも個人的にもずっとビートルズの面倒を見てきた。彼はビートルズの四人のパスポートをあずかり、彼らのさまざまな契約の手続きをし、彼らの結婚や離婚に立ち会い、彼らの訴訟にたずさわってきた。ビートルズが解散したあとも、四人の親しい友人でありつづけ、現在もなおヨーコと親しいという。

ブライアン・エプスタインの側近で、ビートルズの4人と公私にわたる付き合いがあった人物です。

左:ポールとリンダの結婚式、右:ジョンとヨーコの結婚式。いずれも髭面の男性がピーター・ブラウン。
ポールとリンダ ジョンとヨーコ

さて1983年4月発刊の『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』はいわゆる暴露本です。ですが特定のメンバーを非難したり貶めたりはしておらず、比較的淡々と当時を回想しています。

「この本で初めて明らかにされた事実」は概ね以下のようなことだと、訳者のあとがきにあります。

・ ブライアン・エプスタインの最初の自裁未遂の背景
・ ジョン・レノンとブライアンの肉体関係
・ ポール・マッカートニーがしばしばリンゴ・スターのドラムスをオーヴァーダビングしていた事実
・ ブライアンの男の愛人と、その愛人から受けた脅迫
・ ポールがよその女性に産ませた子供とそのあとしまつ
・ 日本公演とマニラ公演の実態
・ マハリシに師事したインド山中でのほんとうのできごと
・ ジョージ・ハリスンとリンゴの妻モーリンのあいだになにがあったのか


真偽のほどは置いておくとして、発刊から40年が経った今では他の書籍や映像でも語られていることで、今さら驚愕するようなことではありません。むしろ上記以外の細々としたエピソードの方が、私にはセンセーショナルだったりしました。

それではポールとリンダが本を燃やして絶交した内容とは何だったのか? ですが、書かれた内容よりも「公私ともに親しい内部の関係者」が暴露本を書いたことに腹を立てたんだという気がしています。

さんざんゴシップ記事を書かれてきたビートルズですから、内容については「またかよ」と聞き流せても、「身内による暴露」という裏切り行為が許せなかった。

読後に私はそう感じました。


ところで私がこの本をブログで取り上げたのは、暴露本の紹介をしたかったからではありません。

「ビートルズの解散の理由」

それについては過去から現在まで、評論家やファンの間で様々に語られてきました。

曰く、ヨーコに夢中になったジョンがビートルズへの興味を失くした。ポールの専制的な態度に他の3人が嫌気がさした。いつまでもジョンとポールに格下扱いされることに、ジョージが我慢できなくなった。などなど。

解散に至った理由はきっと複合的で、上記のようなことも引き金の1つだったのだろうと思います。

ですが『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』を読んで、「解散の根本の理由はこれだ!」と強く思ったことが2つありました。

1つはコンサートをやめたこと。もう1つはブライアン・エプスタインがいなくなったこと、です。

『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』は4人の行動が内側からの視点で書かれています。

この本で印象深いのは「コンサートをやめてからのビートルズはずっと休暇中だった」ということです。

コンサートツアーに出て、レコーディングして、休暇を取って、というサイクルで活動していたビートルズが、ツアーをやめてから何をしていたか。

基本ずっと休んでたんです。

1966年までの4人はしばしば「長期休暇」を取ってましたよね。でも1967年以降はあらためて「長期休暇」を取ることはありません。だってずっと長期休暇中だったから。

気の向くままにインドに行ったり、誰かの個展を観に行ったり、アメリカにヒッピーを見に行ったり、映画に出演してみたり、映画もどきを撮ってみたり。

ツアーをやめてからは「ビートルズとしての仕事」をまともにやってないんですよね。

人前で一緒に演奏しなくなって「ビートルズとしての仕事」が激減して、この状況はまずいと気づいたポールが1969年1月のGet Back Sessionで、

「いや、ほんと、ぼくらはひとつにまとまらないと駄目だ。(中略)ほら、ぼくらは全員でプレイしてる……ぼくの言いたいことがわかるかい?」(1月6日:セッション3日目)

「でもぼくら、ぜんぜん一緒にプレイしてないじゃないか。それが一番の問題だよ。(中略)でもぼくらは今、ここにいるし、ぼくらならできる……とにかく熱意を見せてくれ!」(1月7日:セッション4日目)


と激を飛ばすのですが,、時すでに遅し。

ジョンとの関係については、セッション3日目にはこんなことも言ってます。

「それは僕らが一緒にプレイしなくなったからだ。一緒にプレイしなくなってからはずっと……。(中略)だからぼくらはとにかく、たくさん仕事をするべきだと思う――そうやって、なんていういか……ハードな時代に逆戻りするんだ」

ビートルズとしての仕事が必要だと思うポールと、思わない3人。

ライブ活動をやめた時点で、解散は必然だったわけです。


そしてこの状況を是正できなかったのは、ブライアン・エプスタインがいなかったからでしょう。

ビートルズに仕事を割り振っていた唯一無二の存在、それがブライアンだったのですから。

さらに彼がいればアップルの放漫経営はなく、さすればアラン・クレインの登場や、ポールと他の3人の対立はなかったのではないかと考えます。

この本では財務をめぐる騒動が1969年の4人にとって何よりも大きな問題であり、メンバー間の仲を引き裂いた一番の原因として書かれています。

ブライアン・エプスタインはやはり、5人目のビートルズだったのです。


さてアラン・クレインによってアップルを解雇されてアメリカに渡ったピーター・ブラウンは、現在はニューヨーク、ドーハ、ワシントンD.C.にオフィスを構えるBLJ Worldwideというメディア系コンサルティング会社の会長兼CEOを務めています。

もうビートルズのことを語ることのない彼ですが、会社サイトのトップページにはセントラルパークの「IMAGINE」の記念碑の画像が今も使われています。
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ルーフトップ・コンサート『警官やらせ説』を検証する

2022/02/10 19:02|映画TB:0CM:5
Get Backセッションの8時間におよぶ未公開フィルムがディズニープラスで配信され、ルーフトップ・コンサートを中心にまとめたフィルムが映画館で限定上映されました。
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海賊版フィルムで画質の悪い映画『Let It Be』を観ていた頃を思うと、ファン冥利につきる昨今です。

さて先日映画館でルーフトップ・コンサートを観た私は、久しぶりにある説を思い出しました。

「ルーフトップ・コンサートに警官がかけつけたのはやらせではなかったのか」です。

これについては中山康樹著「ビートルズの謎」(2008年出版)に詳しく記されています。

ビートルズの謎

本の中で中山氏は映画『Let It Be』の警官ついて「ルーフトップ・コンサートには台本があり、警官の登場もすでに組み込まれていたと考えられる」と推測しています。

その根拠として以下のように述べています。

①警官の行動が不自然

 1.「アップルの受付ロビーにカメラを設置しておいた。誰にも気づかれないように窓の裏に隠しておいて、入ってくる人たちを撮っていたんだ。警察とかいろんな人がやってきて、『あんなことをやっていいと思ってるのか! 早くやめろ』って言ってたよ」とジョージがアンソロジーの中で回想している。映画『Let It Be』では警官の音声が意図的に消されているので何をしゃっべっているのか不明だが、ジョージが言うような激しい口調ではなかったことは映画のシーンから明らか。

 2.警官の目的が演奏をやめさせることなら屋上に行く必要はない。広報担当のデレク・テイラーやジョージ・マーティンに説明し、彼らスタッフがビートルズに伝えるというのが一般的な筋道だろう。ところが映画『Let It Be』では、警官は最初からそうすることが当然であるかのような表情で屋上に上がっていくように見えて、このシーンはきわめて不自然。

②ポールのセリフが”できすぎ”

 警官が屋上に来てから最後の「Get Back」のエンディングで、ポールが「また屋上で遊んでしまったね。ママが嫌がってるのは知ってるだろ。怒られるぞ。逮捕されるぞ。さあ、帰ろう」(You been playing on the roofs again and that's no good 'cause you know your mommy dosen't like that. Oh she get's angry, she gonna have you arrested, get back.)と歌ったのは、警官が横やりを入れてくることが前提のセリフであり、最後の曲で警官が姿を見せることをポールは知らされていたのではないか。警官は本物ではなく、役者だったのかも知れない。

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中山氏の本を読んだ10年以上前には、面白い、あり得るかも知れないと思ったのですが、最近の情報と、そして今回の劇場版「Get Back」でその謎が解明されました。

まず①-1.について。

中山氏が言うように映画『Let It Be』の警官は硬い表情ながら、確かに口調は穏やかでした。ジョージの回想のように「あんなことをやっていいと思ってるのか! 早くやめろ」と怒鳴っている様子ではありません。

ですが今回の「Get Back」で警官の音声が明らかになると、口調は穏やかですが「今すぐ音量を下げないと逮捕することになる。これは脅しではないぞ」と警官は通告していたのです。

その場に立ち会っていなかったジョージは後でその様子を誰かから聞いたのでしょう。そして通告の内容から激しい口調を想像したのだと思います。

①-2.について。

映画『Let Ie Be』では警官がオフィス到着後すみやかに屋上に向かった印象ですが、今回の「Get Back」を観るとそうではなかったようです。

かけつけた警官は到着後すぐに屋上に向かったのではなく、受付に長時間いました。のらりくらりと応対するアップル側の対応に手を焼いて、警察署に電話をかけたりもしています。

また警官はデレク・テイラーやジョージ・マーティンらに通達するべきではないかとの指摘は後世の今だから思うことでしょう。ビートルズが数ある人気ロックバンドの一つに過ぎなかった当時にビートルズのファンではない警官の頭に、責任者としてデレク・テイラーやジョージ・マーティンら裏方の名前が浮かばなくて当然です。

受付で通告しても騒音を出すことをやめないのなら、騒音を出しているビートルズがいる屋上に行くしかないわけです。

②について。

このセリフが事前に考えておいたものだったかどうかはポール本人にしかわかりません。ですが、ポールやジョンがセッション中にでたらめな歌詞を即興で口ずさむのはよくあることなので、私は中山氏のように「作為的」には感じません。

屋上に警官がやってきてPAのボリュームをオフにされたのを皮肉って、思いつきで歌ったとセリフだと私は考えます。

警官が屋上に来ることを確信とまではいかずとも、想定はしていたかもしれません。ですが、それをもって警官が役者だとはなりません。

そして彼らが本物の警官であったことは、後に明らかになりました。

映画『Let It Be』に登場する2人の警官。向かって右がRay Dagg、左がRay Shaylerです。
Get_Back_Policemen.jpg

昨年インタビューに応じた2人は、アップルビルへ出向いたのはやらせではなく署からの出動命令であった旨を述べています。

そしてこうも証言しています。

Daggが「今すぐ音量を下げないと逮捕することになる。これは脅しではないぞ」と通告したのは“ブラフ(こけおどし)”であり、逮捕するつもりは初めからなかったとのこと。

4人が演奏を終えて屋上から立ち去る際に、Shaylerはポールから騒動について謝罪の言葉をもらい、リンゴから「手錠をかけないで!」とジョークを言われたそうです。

そして彼はインタビューの最後に冗談まじりにこう言っています。

「カメラマンたちが映画について詳しく説明してくれました。我々は無料のエキストラだったみたいですね」

台本を書いて仕組んだやらせではないけれど、ビートルズたちと警官たちの暗黙の意思のやり取りによって演出されたコンサート。

それがルーフトップ・コンサートだったのです。

最後に。ビートルズの定説・伝説を検証する中山康樹氏の「ビートルズの謎」は、ファンにはたまらなく楽しい本です。

最新の「Get Back」を観ることなく2015年に亡くなった著者のご冥福をお祈りいたします。
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藤本国彦著『ジョン・レノン伝』を読んで

2021/12/08 07:00|書籍TB:0CM:2
2020年11月に出版された「ジョン・レノン伝」を読みました。

ジョンレノン伝表紙

表紙を見た時に「通った鼻筋はジョンらしいけど、目とか表情は何だかジョンぽくないなあ」と違和感がありました。

日本のビートズル評論家の第一人者である藤本国彦さんの著作ですからきっと高評価に違いないと思ってamazonのレビューを見ると、意外とそうでもないんですよね。

出尽くしたエピソードばかりで目新しい話がないというコメントが多いんですが、それは仕方がないと思います。

ジョンが亡くなってもう40年経ってますから、驚きの秘話みたいなのが今頃出てくるわけないんですよ。

それに著者は日本在住なので、関係者から存分に話を聞けるわけではないですし。

著者が書きたかったのはそういった知らざれるエピソードではなく、ジョンの内面の変化や人間的な成長だったようです。

「ヨーコと出会って愛と平和に目覚めたみたいに言われてるけど、ジョンはビートルズ時代から愛と平和の人でしたよ。ヨーコと一緒になってからそれが具現化したんですよ」

ざっくり言うと、著者の主張はそういうことです。

ジョンが愛と平和の人という側面ばかりで語られるのはどうかと思うと冒頭で語りながら、やっぱり最後は愛と平和の人なんだよという結論に落ち着きます。

ジョンレノンto

さてこの本の中で著者はオノ・ヨーコの存在、言動、行動のすべてを肯定します。

まさにジョン&ヨーコの信条、YES、YES、YESです。

『そして思う。ジョンあってのヨーコじゃなく、ヨーコあってのジョンという見方がもっと広まれば、と。そこまで言わなくても、ヨーコを通してジョンを見る、という”想像力”がもっとあってもいいのにと』

音楽的な面は別として、解散後はヨーコあってのジョンという見方は広まってると思いますが、ヨーコを通してジョンを見るという視点は斬新ですね。

『ビートルズ好きを自任する日本の男性ファンでも、ヨーコを全く受け入れらない人はいまだに多い。ビートルズ・ファンにとって”踏み絵”のような存在。(中略)いわく「小野洋子が分裂の原因」「ビートルズを引き裂いた”ヨーコ”」「魔女ヨーコが英国の財産を台無しにした」などなど……』

『ビートルズ解散騒動のごたごたに加えてもうひとつ、ジョンとのソロ活動についても、ヨーコへの理解がはたしてどのくらいあったのか、甚だ疑わしい。「ヨーコがいなければ…」と口をついて出るビートルズ・ファンは今でもまだまだ多い』

「ヨーコ=悪者」という通説は根強く、今回の『Get Back』公開の際にも「実はそうではなかった」などと記事になってましたね。

でもファンになった時にはビートルズはとっくの昔に解散していてジョンもすでに鬼籍に入っていたという私のような遅れてきた世代には、ビートルズ解散の原因になったからヨーコが嫌いだという気持ちはほとんどないと思います。

彼女がいなくてもジョンの活動はビートルズに収まりきらなくなっていたことでしょう。

『ジョンとヨーコの活動は、音楽に留まらず、映像作品や展示イベント、ステージ・パフォーマンス、さらに反戦・平和活動へと広がっていったが、これだけマスコミに広く登場する機会が多かったのに、それでもなお、ヨーコが正当に評価されていたかというと、これは「NO」と言わざるを得ない。

「DOUBLE FANTASY」が出た時に、ジョンの曲だけを取り出して、いやヨーコの曲は排除して聴いたビートルズ・ファンが世界にどれほどいたことか。

事ほど左様に、ヨーコのことを話題にする際には、決まって”ジョン”が枕詞として付いてくるのだ。

あの強烈なキャラなのだから、生理的にヨーコを受け入れられないという人が世界のあちこちにいることはもちろん知っている。

あの奇声が苦手という人も多い。

でも、あれは、たとえば満員電車の赤ちゃんの泣き声、あるいはヴァイオリンの絃を擦ったノイズのようなものだと思えば、なんてことはない』


音楽を聴いて楽しみたい時に、どうして満員電車の赤ちゃんの泣き声やヴァイオリンの絃を擦ったノイズを聴かないといけないのか(なるほど! それが「REVOLUTION No. 9」か!)音楽愛好家の一人として疑問に思いますが、きっと「ヨーコを全面的に受け入れられない人はジョンを正しく理解できない」と著者は考えているのでしょう。

『そうした誹謗中傷罵詈雑言とも闘ってきた(いや、いまだに闘っている)ヨーコについて、ヨーコとショーンの撮り下ろしの最新写真を表紙にあしらった「NERO」という雑誌で、ショーンはこんな風に語っている。

「母はいつも不運は実は隠れた幸福なのだと教えてくれるんだ。母に悪いことが起こると、僕は母に『どうして憎しみやネガティブなエネルギーに耐えることが出来るの?』と尋ねるんだ。彼女は『柔道や太極拳の達人のように、ネガティブなエネルギーをクリエイティビティーに変えるのよ』と答えるんだ」

ヨーコは、「NO」を「YES」に変える革命的な表現者である』


と本の終盤は、さながらオノ・ヨーコ伝です。

と、ここで表紙を見てハッと気づきます。

この写真のジョン、目とか合成してるの?というくらいヨーコにそっくりじゃないですか。

ジョンレノン伝表紙2

この本はamazonのレビューにあるような、ありきたりなジョン関連本ではありません。

ヨーコに思い切り舵を切った、個性の強いジョン・レノン伝です。

興味のある方は是非ご一読ください。
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写真集「Get Back」を読み解く(トゥイッケナム・スタジオ編)

2021/10/11 20:02|書籍TB:0CM:0
劇場公開が昨年中止になって、今年ディズニープラスで配信することになっている映画「Get Back」。未公開写真と会話の書き起こしによる写真集「Get Back」が刊行されました。

表紙

ゲットバック・セッションについては今までにも書籍が多数あるので、期待と今更の2つの気持ちで読んだのですが、期待を上回る興味深い内容でした。

今まで伝聞や想像でしかわからなかったメンバーの心情が明らかになり、まるでミステリー小説の謎解きを読んだような感覚です。


まず「Get Back(原点回帰)」とは何だったのか? です。

「デビュー当時のようにオーバー・ダビングを行わない一発録り」に回帰しようとした。一般にはそう思われており、Wikipediaなどにもそう書かれているんですが、ポールの発言を読むとそうではなかったことに気づきます。

1月6日ポール

『いや、ほんと、ぼくらはひとつにまとまらないと駄目だ。だって全員がいがみ合ってる。「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」でやったことをくり返してるんだ。ほら、ぼくらは全員でプレイしてる……ぼくの言いたいことがわかるかい?」(1月6日:セッション3日目)

『でもぼくら、ぜんぜん一緒にプレイしてないじゃないか。それが一番の問題だよ。(中略)でもぼくらは今、ここにいるし、ぼくらならできる……とにかく熱意を見せてくれ!』(1月7日:セッション4日目)

これらの発言から「原点回帰」とは「オーバー・ダビングをしない」とか「一発録り」ではなく、「メンバーが全員で一緒にプレイすること」だったことがわかります。

メンバーが一緒にプレイするのはバンドなら当たり前なんですが、その当たり前のことができていなかったのが当時のビートルズだったのです。

ゲットバック・セッションは1969年1月2日から始まりました。その2か月半前の1968年10月半ばまで彼らは「ホワイト・アルバム」のレコーディングをしていたんですが、4人が一緒にスタジオで顔を合わせることは少なく、各自がバラバラに活動している状況でした。

「I Will」の仕上げをジョンとやりたかったが叶わずひとりでやったと、ゲットバック・セッションの中でポールは吐露しています。

「ホワイト・アルバム」発売からわずか1月半という短期間でまたセッションを開始したのは、「ホワイト・アルバム」ではメンバーが一緒にプレイしていなくて、このままではマズいとポールが考えたからなんですね。

「原点回帰」とは「メンバーが全員で一緒にプレイする」ことだったのです。

1月7日ポール


ビートルズは1969年にライブを2回やる計画をしており、ゲットバック・セッションはそのリハーサルでした。しかしライブをやろう、ツアーもしたいというポールに対して、ジョージはライブを頑なに拒みます。

(1月7日:セッション4日目)
ポール『昔は普通にやってたじゃないか。もちろんあのころはみんな、今よりずっとやる気があったけど。(中略)現にぼくらはやっただろ。みんなが大好きなぼくらの映画を――あれをやったのは、まぎれもないぼくらだった』

ジョージ『いや、もしやるっていうのがそういう意味なら、だからこそぼくはやりたくない。一度も好きだったことはないし、やりたがるのはいつもお前(ポール)だ』
『正直、ライブではぼくの曲は1曲もやりたくない。どうせ、ロクでもない出来になるのは目に見えてる……嫌でも妥協の産物になってしまうからだ。でもスタジオなら、いくらでも磨きがかけられる……望みどおりの形になるまで』

騒いでばかりで演奏をまともに聴かない観客の前でライブをやるのは嫌というのがジョージの主張で、1月30日のルーフトップ・コンサートでジョージの曲が1曲も演奏されなかったのにはこんな経緯があったのですね。

10日ジョージ

1月7日には「ビートルズは離婚(解散)するべきだ」とまで言ったジョージは1月10日(セッション7日目)に不満を爆発させて、ビートルズを辞めるとジョンに告げてスタジオから帰ってしまいます。

しかしジョンはジョージを引き留めず、数時間後には『もしあいつが火曜日(1月14日)までに戻ってこなかったら、クラプトンを入れる』と言い出します。ポールとリンゴはこのジョンの発言についてイエスともノーとも言いません。

1月13日(セッション8日目)には『ぼくは単純に戻ってくると思うな。うん、彼は戻ってくると思う』とジョージの復帰を期待するポールに対して、『正直オレは、ほんとに(ジョージが)必要なのかどうかわからない』と発言するジョン。

10日ジョン

ジョージを要らないメンバー扱いするジョンですが、実はその数時間前にはジョンとヨーコが問題児扱いされていました。

13日の午後3時にジョンとヨーコがスタジオ入りする前に、ポールとリンゴ、スタッフらが二人について話し合っています。

13日ポール話し合い

ポール『答えはいつだって、ふたつしかない――ひとつはこの状況と彼女と闘い、ビートルズをヨーコのいない4人組に戻すこと。そして重役会の席では、彼女に座っていてくれと頼むことだ。それが駄目なら、彼女の存在を受け入れるしかない。ジョンがぼくらのために、彼女と別れるとは思えないからね』
『だからぼくが思うに今、ジョンが関心があるのは……ヨーコとビートルズのどっちを取るのかという話になったら、今は明らかにヨーコに分がある』
『だからそれがあのふたりの世界なわけで、いくら「これについてはやりすぎはなしだ、もっと分別を持ってくれ、彼女をミーティングに連れてくるな」と言っても無駄なんだ』

ジョンとヨーコの態度に頭を痛めるポールの姿が目に浮かびます。

映画「レット・イット・ビー」ではジョンの横で黙って座っているだけのヨーコですが、実はとても積極的に発言していたようなんです。

13日ジョンとヨーコ

例えばセッション3日目の1月6日、ライブ開催についての話し合いの中で、

ヨーコ『あら、空っぽの椅子の方がずっとドラマティックかも知れないわよ。ほら、空っぽの椅子が2000個並んでたら、その方がずっとドラマティックじゃない』
『(強い口調で)それと世間の人たちは、バンドに今、どういう客層がついてるのかを知りたがってるでしょ。それはティーンエイジャーとかじゃなくて、“世界中の無名のみんな”であるべきよ……コスチュームを着た人を呼んだりしたら、「ああ、ああいう客層なのか」と思われるし、それはとても危険なことなの……」

まるでビートルズのメンバーかマネージャーになったかのような発言ですよね。側にいるジョンは口をつぐんだままで、ヨーコが代理人のようにベラベラと話すわけです。

ヨーコの存在については、ヨーコに夢中になったジョンの気持ちがビートルズから離れたのが解散の一因だと私達は認識していますが、実際にはそれだけでなく、ヨーコがビートルズの運営に口を出すようになったのも一因だったようです。

だからポールの『重役会の席では、彼女に座っていてくれと頼むことだ』なのですね。

そしてジョンとの関係について、ポールはこう言っています。

『それは僕らが一緒にプレイしなくなったからだ。一緒にプレイしなくなってからはずっと……。(中略)そう、だって一緒にプレイしてたころは、一緒に暮らしてるようなものだったから。(中略)1日中そうやって身近にいると、おのずと何かが生まれてくる。(中略)だからぼくらはとにかく、たくさん仕事をするべきだと思う――そうやって、なんていういか……ハードな時代に逆戻りするんだ』

ジョンの気持ちをビートルズに引き戻すために。昔みたいに親密な関係に戻るために。

そのためにライブをやろう! ツアーに出よう! 逆戻り(Get Back)しよう!

というわけです。

ポールの健気さに胸が切なくなりますね。


あのセッションの裏でこんなに濃厚な人間ドラマが展開していたとは。

トゥイッケナム・スタジオでの最初の2週間だけでも盛りだくさんです。

語りたいことは他にもたくさんありますが、すべて語りつくすとこれから読む人に申し訳ないですし、長くなったのでこの辺りで記事を終わりにします。

劇場版「Get Back」をますます観たくなりましたが、ディズニープラスに加入してないんですよね、私(涙)
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『ブラックバード ポール・マッカートニーの真実』を読んで

2021/09/20 17:38|書籍TB:0CM:4
十数年ぶりに読み返しました。いわゆる暴露本です。

ブラックバード表紙

読み返す前に覚えていた内容は

①交通事故で瀕死の日本人女性を道端でポールが優しく介抱した。

②ウイングスのメンバーの給与は驚くほど少なかった。

③リンダはウイングスのメンバーに対して高圧的だった。


という3つくらいで、当時の私の感想は

①については、ポールの慈愛の心を感じるエピソードだな。

②については、ポールはお金にうるさそうだから、そうだったのかも知れないな。

③については、リンダは包容力のある大らかな女性のイメージなんで、思ってたのと違うな。


というものでした。

どうして今また読んでみようと思ったかというと、ウイングス時代のポールを知ることができる本として「デニー・レインが取材に協力しているから、信憑性は高いかもしれない」と某ムック本でこの著作が紹介されていたんですよね。

本の序文でデニー・レインが「もし本当のマッカを知りたければこの本を読むんだね。これほど慎重に書かれた注目に値する評伝は、この先も簡単に現れないだろうよ」と書いています。

内容はというと、前半は出生からビートルズ解散までのポールの女性遍歴と隠し子騒動について、後半はウイングス結成から日本での逮捕・ウイングス解散までの薬物常習歴と人間関係を中心に書かれています。

この本の注目はやはり後半のウイングス時代でしょう。この頃のポールの評伝はあまりありませんし、内部にいたデニー・レインが取材に協力しているわけですから。

デニー2

さてウイングスのメンバーの給与についてですが、この本によると歩合制ではなく定額制で、結成当初は週35ポンド、途中から値上がりして週75ポンドだったそうです。

1970年代のポンドは安い時期は1ポンド300円台、高い時期は800円台と変動が大きいんですが、例えば1ポンド600円で計算すると、週35ポンドは年収約111万円、週75ポンドは約240万円になります。1970年代と今では物価が違いますので、仮に今の5倍の価値があると考えると、週35ポンドは年収555万円、週75ポンドは年収1200万円に相当します。

定額制なのでレコードが何枚売れても、ツアーで何万人動員しても給与は変わりませんので、世界トップクラスの人気バンドのメンバーとしては、なるほど少ないと感じますね。

ポールは音楽はもちろん何でも自分の思い通りにしなければ気が済まず、他のメンバーに対しては高圧的で、「給料の高いセッション要員くらいにしか扱われていない」とデニー・レインは感じたこともあったそうです。

ウイングスのメンバー交代が激しかったことを考えると、全くのデタラメではないのでしょう。

ちなみにリンダの態度について非難しているのは主にジョジョ(デニー・レインの元妻)であり、ジョジョとリンダの間には女同士の嫉妬じみた感情があったようです。

メンバーの中で少なくともデニー・レインははリンダの存在を特にストレスには感じていなかったみたいです。彼女が音楽家として素人であることも、マッカートニー夫人ということで許容できたのだと思います。

ブラック2

興味深かったのは、1980年の日本でのポールの逮捕ついての記述でした。

ご存じの通り大麻所不法所持のため成田空港で逮捕されて、それを機にウイングスは活動停止・解散に至るわけです。

ビートルズのファンは「馬鹿なことやったなあ。呆れた行為だなあ」と割とポールの側に立った感想を持っているものですが、メンバーの側に立つと「ポールは身勝手すぎる! 絶対に許せない!」になるんですよ。

ポールとウイングスを一般社会にあてはめると、ポールはウイングス商店の社長で、メンバーは商店から給与をもらってる従業員なんです。その社長のきわめて個人的な不祥事のせいで商店は営業停止になり、従業員のこれからの生活も不透明。ポールは社員のことを考えない駄目社長だというわけです。

日本での逮捕は日本公演の中止だけにとどまらない、ウイングスにとって重大な事件だったんですね。


しかしながら1989年のGet Back Tour以降のバックバンドのメンバーは比較的固定されていましたし、現在のポールの健康的な生活をみると、今のポールとこの本の頃のポールは随分と違っているのだろうと思います。今のポールが大麻を吸うなんて想像できませんから。

長年のファンなら「そういうこともあったかもね」とか「そういう駄目なところも愛嬌だな」と受け止めることができる内容ですが、ポールのイメージダウンになる暴露本であることは間違いありません。

真偽のほどは定かではないですし、もちろんポールにはポールの言い分があると思いますけども。
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