私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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Here Comes The Sun 幻のギター・ソロ

2014/07/28 21:37|ジョージ・ハリスンTB:0CM:0
数年前の話になるんですが、「Here Comes The Sun」の間奏部分で採用されなかったジョージのギター・ソロの音源が見つかったんだそうです。

ジョージ・マーティンとジャイルズ・マーティンがジョージの息子のダニーと一緒に倉庫から発見したんだとか。

どういう経緯で撮影されたのかわかりませんが、ドキュメンタリー調の動画が公開されてます。


こちらはギター・ソロをミックスしたバージョンです。


アコースティックで爽やかな曲調にいきなりエレキのけだるいスライド・ギターの音色が入ってきて、私にはとても違和感がありますねえ。

採用されなかったのは当然という感じで、そもそもジョージ・マーティン達の動画がなかったら、私はきっと偽物だと判断したと思います。

それよりも、40数年前の音源でいまだに盛り上がれることに、ビートルズ・ファンとして幸せを感じます。
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ジョージのOBE受章辞退からの脱線記事です

2014/01/21 17:13|ジョージ・ハリスンTB:0CM:6
こんな記事を目にしました。

ジョージ、受章を断っていた

The Mail on Sundayが情報自由法に基づいて取得した書類は、当時56歳だったジョージが、2000年のNew Year Honours ListでOBEを授かる機会を断ったことを明かしていた。
ジョージの受章理由は、「彼は多くの者がイギリスが生んだ最も偉大な存在、あるいは世界一と言う者もいるかもしれないバンドであるビートルズのメンバーだった」と書かれていた。


「元ビートルズだから」が理由なら、ジョージが辞退した気持ちは理解できます。

20歳代のひと時の栄光をまるで人生の代名詞のように言われるのは、ジョージにとっては全く嬉しくないことだったと思いますから。


さてビートルズは1964年にMBE勲章をもらってますが、大英帝国勲章には5つのランクがありまして、格の高いものから順に、

1.ナイト・グランド・クロス又はデイム・グランド・クロス(大十字騎士 GBE)
2.ナイト・コマンダー又はデイム・コマンダー(司令官騎士 KBE/DBE)
3.コマンダー(司令官 CBE)
4.オフィサー(将校 OBE)
5.メンバー(団員 MBE)

となっているそうです。

ビートルズがもらったMBEって一番下の勲章なんですね。

今では日本の俳優・真田広之さんももらっているMBEなのに、ビートルズがもらうのはけしからんと当時大騒ぎになったのは、当時と今では受勲の重みが違っているんでしょうね。

ビートルズが来日した1966年には これまたけしからんと言われた武道館でのコンサートが、今では当たり前のようになっているのと同じ感覚ではないでしょうか。

ちなみにポールは1997年にさらにナイト・コマンダー(KBE)を受勲しています。


ところで真田広之さんがMBEをもらっているように大英帝国勲章は外国人にも結構贈られており、そのあたりが日本の勲章・褒章とは違っているのですが、日本の勲章とは違うなあと思うところがもう1つあります。

大英帝国勲章はロック・ミュージシャンに多く贈られているんですよね。


おそらくビートルズのMBEがロック・ミュージシャンの初めての受勲だと思うんですが

その他ではナイト・コマンダー(KBE)にはポール

コマンダー(CBE)にはエルトン・ジョン、ロジャー・ダルトリー、レイ・ディビス、ケイト・ブッシュ、ブライアン・メイ

オフィサー(OBE)にはジミー・ペイジ、カイリー・ミノーグ

らがいます。


こうしたミュージシャン達の受勲をみると、イギリスではロックが母国の文化として認められ愛されているんだなとあらためて思います。

2008年北京オリンピックの閉会式で、次回開催都市ロンドンからの使者としてジミー・ペイジが登場。

2012年ロンドン・オリンピック開会式ではポールが登場。


そしてまるでロックの祭典のようだった閉会式。




いいなあ、イギリス(笑)


日本でも桑田佳祐が受勲したりする日がくるんでしょうかね?

あ、2020年の東京オリンピックの閉会式には登場するかもですね。

ちなみに1998年の長野オリンピックでは、開会式に森山良子さんが子供たちと共演でテーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」

閉会式では、聖火の納火の後、杏里さんと子供たちが会場と全員で「ふるさと」を合唱し、
フィナーレでAGHARTA(長万部太郎こと角松敏生さん率いる覆面バンド)参加による「WAになっておどろう~イレアイエ~」が演奏されました。

う~ん、もちろんロックロックしてないし、かといってとても日本的という感じもしないし。


東京オリンピックの演出はどんな風になるんでしょうか?
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ジョージ・ハリスン閑話

2012/11/29 15:59|ジョージ・ハリスンTB:0CM:10
12月8日のジョンの命日と違って世間で話題に上ったりすることはありませんが、11月29日はジョージの命日です。

亡くなったのは、2001年11月29日午後1時30分(日本時間30日午前6時30分)頃。


ビートルズのメンバーであったことが人生に与えた影響の大きさという点では、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人はすべて同等なんじゃないかと思うのですが、

ビートルズのメンバーであったことが音楽に与えた影響の大きさという点では、ジョージが最も大きな影響を受けたんじゃないでしょうか。

なにしろ世界トップのソングライターであるレノン-マッカートニーの傍にいて、そのエッセンスを吸収していたわけですから。

もしビートルズのメンバーでなかったら、それは元ビートルズという肩書きがなかったらという意味ではなく、ビートルズの中で研鑽を磨いていなかったとしたら、ミュージシャンとして現在のようにジョージが後世に名を残していたかどうか。

正直、厳しかっただろうと思います。

ビートルズ解散後、70年代前半のソロでの活躍はまさに60年代のビートルズ時代に培ったものが花開いたのものだと思いますし、いっぽう70年代後半~80年代前半の失速感は、私にはビートルズの貯金を使い果たしたかのように感じられます。


ところで私がビートルズと出会ったのは1984年頃で、ジョンはもうこの世におらず、ジョージとリンゴは音楽活動を休止中で、リアルな活動を体験できるのはポールだけでした。

そのポールにしても1986年発表のアルバム「Press To Play」が不評で、ちょうど私がビートルズを好きになった1980年代半ばのビートルズは、まるで冬眠に入っているかのような状態で。

そしてそんな状況の中で けだるい冬眠を覚ましてくれたのが、音楽活動を再開したジョージが5年ぶりに発表したアルバム、「Cloud Nine」でした。

ギターの音が綺麗でしたね。


なんだかとりとめのない記事になってしまいましたが、大上段に構えたテーマがないところもまたジョージらしいと、勝手に納得しています。

今日はジョージの曲を聴きながら、静かな夜を過ごしたいです。

ジョージの曲の一節を、ジョージに向かってつぶやきながら。

Yet you were the one that they said was so weird
あの頃 君は変わった奴だと言われていたね
All those years ago
あの過ぎ去りし日々


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実現するか!? ジョージとポールの共演

2012/05/17 15:59|ジョージ・ハリスンTB:1CM:4
ご訪問ありがとうございます。

相変わらずの遅い更新ですみません。

ちょっと面白いニュースを見つけたので、ご紹介しますね。


ジョージとポール共演か

ジョージが2001年に亡くなってからも数々の仕事が進行している、とオリビア・ハリスンがspinner.comに語った。オリビアは、「まだいくらかの素材(ジョージの未発表曲)があります。1分のものもあり、それは決して完成しません。だから、私は未完成の曲を別の人に与えるアイディアを持っています。1つをポールに提供したり、誰か別の人に1つ提供して、『ここに曲の骨組みがあるのですが、完成させたいですか?』と聞くのです。それはいい考えだと思います」

オリビアはジョージの作曲プロセスについても語った。「そのプロセスを目撃するのは、とても素晴らしいことでした。曲がその瞬間にその場で生まれるのですから。私は邪魔しないように努めました。彼が何か書き付けたいときに、必ず手元に筆記具があるように、私は彼のそばに鉛筆と紙を置いておくようにしたものでした。私はカセット・テープ・レコーダーも買って置いておきました」


ジョージの未発表音源を他の人の手を借りて完成させようということで、ビートルズのアンソロジー・プロジェクトでジョンの未発表曲をポール、ジョージ、リンゴの3人で完成させたのと同じ趣向ですね。

曲の出来としては私は十分には満足してないんですが、アンソロジーでの「フリー・アズ・ア・バード」と「リアル・ラブ」の発表は、もはや新曲を待つワクワクや聴く楽しみを味わえないビートルズ・ファンとして、やはりうれしかったです。

ジョージの未発表曲にどれくらいの長さ、クオリティのものがあるのかわかりませんが、今後の動向に注目です。


ところでジョンとジョージの共作はデビュー前のレコーディングに1曲のみですがありますけど、ポールとジョージの共作は実のところ1曲もありません。

ですからこの企画が実現すれば、2人の出会いから半世紀以上が過ぎてからの初共作となります。

どんな曲に仕上がるのかと、今から胸が躍りますね。


共作ではありませんがジョージの曲をポールがアレンジしたものとしては、2002年ジョージ追悼のための「コンサート・フォー・ジョージ」での「SOMETHING」があります。



初めて聴いた時「なんでウクレレ!?」と思ったんですが、これはビートルズの「アンソロジー・プロジェクト」における「フリー・アズ・ア・バード」が関係しているように思います。



ジョンの未発表曲をポール、ジョージ、リンゴの3人で完成させたこの曲はウクレレの演奏で終わるんですが、このウクレレはジョージが弾いています。

そしてエンディングのウクレレを弾く後ろ姿はジョージ本人ではないんですが、ジョージはウクレレを弾くシーンで自らが出演したがっていたそうなんです。

ですからポールにとって、ジョージとの最後の思い出は「ウクレレ」なんじゃないでしょうか。

なので今回のジョージとポールの共作がもし実現したら、ウクレレの音色がきっと入ると思いますよ~。

企画が実現するのを、ビートルズ・ファンはじっと期待して待ちましょう!『人気ブログランキング』へ

ジョージの伝記映画 日本公開決定!

2011/10/03 17:00|ジョージ・ハリスンTB:0CM:6
ジョージ・ハリスンの伝記映画、マーティン・スコセッシ監督作品「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」の日本公開が決定しました。

予告編はこちらです↓


本人や関係者のインタビューで構成しているのはジョンの伝記映画「イマジン」と同じですね。

予告編を見ただけでなんですが、かなり興味深い内容です。


“ジョージ・ハリスン”の記事を読んでも、他人事にしか思えない

というジョージの言葉には真実味がありますね。

先頭に立ってビートルズを引っ張っていったのがジョンとポールの2人なら、ジョージは引っ張られていた立場ですから、ビートルズが巨大化して自分のキャパシティを超えてしまった時に、本来の自分を見失いそして模索を繰り返していた、そんなジョージの気持ちが感じられます。

一方、リンゴは引っ張られるがままでいいと思っていたんじゃないかと思いますね(笑)


結婚と同じさ いつかは飽きる

には、ポールが今それを言うなよと、つっこんでおきましょう(笑)


妻オリビアが語る言葉、

人生をやり直せるとしたら、彼ならこう言うわ。

“自分とは別の人生を”


には、ファンとして複雑な思いを抱きます。

まあジョージならそういうことを言うだろうとは思いますが、ジョージには自分の人生に満足してほしいと思いますからね。

この言葉の続き、結末は、本編で。

といったところでしょうか。


僕は変わったと言われるけど、人生の意味は変化だ

変らなくちゃ


これこそがジョージの見つけた人生の本質なのかも知れません。


と、予告編だけで熱く語れてしまうこの映画。

公開が楽しみですね~。

映画の公式サイトはこちらです→「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」公式HP


ところで映画のタイトル「Living In The Material World(物質世界に生きる)」は、もちろん大ヒットしたジョージのセカンド・ソロアルバムのタイトルから取っているわけですが、このシニカルなタイトルをジョージの伝記映画のタイトルに付けたのは個人的には残念です。

ファンとしては「Love Comes To Everyone」と付けてほしかったですね。『人気ブログランキング』へ

ジョージ・ハリスン ディープ・パープルとの共演映像

2011/04/26 15:41|ジョージ・ハリスンTB:0CM:24
久々の更新です(^^ゞ

YouTubeで珍しい動画を見つけました。

1984年12月13日オーストラリアのシドニーで行われたディープ・パープルのコンサートに、ジョージ・ハリスンがゲスト出演した時の映像です。

ジョージがディープ・パープルのライブに飛び入り参加したニュースは当時聞いた記憶がありますが、実際の音源や映像に触れるのは、私は初めてです。

舞台袖からの撮影ですので、おそらくスタッフのプライベートな撮影だったんでしょうね。
このブログにご訪問された方には説明は不要かと思いますが、ギターを持って左向きに立っている画面やや右の人物がディープ・パープルのギターリストのリッチー・ブラックモアで、リッチーの画面に向かって左側の白っぽい半袖シャツを着ている人物がジョージのようです。

なお映像の最後に色が一瞬だけパッと鮮やかになる時があるんですが、ジョージのシャツは白ではなく、ピンク色のようですが。

残念ながらジョージらしき人物は終始こちらに背中を向けていて、表情はもちろん顔を確認することができないんですが、1分20秒から始まるギターソロを聴けば、ああ、ジョージだなと確信が持てます^^



曲目がロックのスタンダード・ナンバーなのは、ジョージが知っていて即興で演奏できる曲だからなんでしょう。

でもちょっとジョージのイメージと違いますねえ。「Lucille」はビートルズではやっぱりポールですからね。

まあそもそもジョージとディープ・パープル自体のイメージがかなり違うんですけども。

ビートルズとディープ・パープルの接点って何かあっただろうかと思いましたが、何も思いつきません(^^;
どちらも60年代にデビューしたイギリスのバンドですが、ビートルズは1962年、ディープ・パープルは1968年と同時期ではないですし。

音楽性もディープ・パープルが完全にハード・ロックに移行してからは共通性は感じられませんが、1984年の自分たちのライブのゲストにジョージを招待したくらいですから、ビートルズに対する尊敬の気持ちがディープ・パープルの面々にはあるんでしょうね。

演奏中、リッチー・ブラックモアが目立たずリズムギターに徹していたり、演奏終了の際にイアン・ギランがジョージに向って丁寧にお辞儀をするシーンなどからも、そんな彼らの思いを感じます。

あとビートルズとディープ・パープルの音楽性で思い出しましたが、ディープ・パープルの初期の頃の「Hush」という曲のイントロのコーラスが、ビートルズの「A Day In The Life」の終盤のコーラスと似ていることはよく知られています。

「A Day In The Life」が1967年の発表で「Hush」が1968年ですから、その影響はあるかも知れません。

実のところディープ・パープルには他のミュージシャンの曲をヒントに作った(はっきりいうと真似をした)といわれる曲が何曲かあり、メンバーもそれを認めていたりするんですが、「Hush」についてはメンバーの話を聞いたことはありませんが。

Deep Purple – Hush



The Beatles – A Day In The Life(コーラス部分は2分48秒から)


だからといって、私はディープ・パープルが盗作の多い問題バンドだと言いたいのではありません。

以前の記事にも書きましたが60年代のロックというのは、お互いに真似をしあって新しい音楽を作り上げていくのを良しとする時代だったんだと思います。

詳細は以前の記事をご参照ください^^

「ジョージ・ハリスン盗作騒動 前編」
「ジョージ・ハリスン盗作騒動 後編」

ディープ・パープルのそれらの曲も、これだけのいい曲になっているならまあいいんじゃないかと思わせる完成度の高さです。

(まあお金が絡むとそうも言っておれないんでしょうけど・・・)
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Deep Purple – Black Night


Rick Nelson – Summertime


Deep Purple – Child In Time


It’s A Beautiful Day – Bombay Calling

ジョージ・ハリスン盗作騒動 後編

2009/03/30 18:16|ジョージ・ハリスンTB:0CM:4
ジョージ・ハリスン盗作騒動の後編です。

前編では1971年発表のジョージの「My Sweet Lord」が、1963年発表のシフォンズの「He’s So Fine」にとても似ているということと、ジョージはシフォンズの「He’s So Fine」を知っていて、むしろその曲を意識して自曲を作ったのではないかという私の個人的な意見を書きました。

それではなぜ私がそう思っているのか。それが今回のテーマです。

そのポイントになる人物がいます。
ザ・バーズのロジャー・マッギンです。
ROGER McGUINN

ザ・バーズは1960年代にアメリカで活動していたアメリカのバンドです。
1965年のデビュー曲「ミスター・タンブリンマン」でいきなり全米1位となり、ビートルズとボブ・ディランを融合させたといわれる彼らの音楽はフォークロックというジャンルを築きました。

そして、そのザ・バーズの中心的存在がロジャー・マッギンです。
ザ・バーズとビートルズはメンバー同士の交流があったようで、ロジャー・マッギンのトレードマークである四角いレンズのサングラスを、後にFab4も愛用しています。
George-Glasses.jpg

さて、そのロジャー・マッギンがなぜ「My Sweet Lord」の盗作騒動のポイントなのかですが、まずはロジャー・マッギンへのこんなインタビューをお読みください。

質問:「ラバー・ソウル」の中に、ジョージ・ハリスンが作った「恋をするなら」という曲があるけど、あの曲の主旋律が、君が「ザ・ベルズ・オブ・リムニー」でやった音とよく似ているんだ。事実、ジョージがデレク・テイラーに手紙を書いてきて、そのことを告白しなかった?

ロジャー・マッギン:デレクがメッセージを寄こして、「ジョージは『恋をするなら』という曲が、『ザ・ベルズ・オブ・リムニー』のリフに触発されて作ったものだということを、君に知ってほしいと思っている」と言った。実際、あとからジョージが自分自身で、そのことを話してくれたよ。たとえ、彼が僕に言ってくれなかったとしても、旋律が同じだったんだから、わかっただろうけどね。


このエピソードが事実であることは、アップルの広報担当者であったデレク・テイラーへのインタビューから確認できます。

デレク・テイラー:僕がロサンゼルスにいた時、ジョージが手紙を寄こして、ジムに「恋をするなら」の幾分かを「ザ・ベルズ・オブ・リムニー」と「シー・ドント・ケア・アバウト・タイム」の一部から拝借したことを伝えてほしいと言ったんだ。

このブログを読んでくださっている方でビートルズの「恋をするなら(If I Needed Someone)」を知らない方はいないかも知れませんが、念ためアップしておきます。

The Beatles - If I Needed Someone


そしてこれが、ザ・バーズの「ザ・ベルズ・オブ・リムニー」です。
The Byrds-Bells of Rhymney


なるほど、よく似ていますね。
12弦ギターのリフから始まるイントロにドラムとベースが絡むタイミングなんか、全くそっくりです。

さてこのエピソードで、私はジョージには盗作の前科があるといいたいのではありません。
重要なのはコメントの続きなのです。

先ほどのコメントの続きで、ロジャー・マッギンはこう言っています。

ロジャー・マッギン:でも、そのことを知ってとても光栄に思ったよ。ある意味で、僕たちはレコードを通じて、世界中あちこちに秘密のコードを広めたんだ。ほら、第二次世界大戦を題材にした映画の中に、BBCがある曲だけはかけようとしないんだけど、実はそれがメッセージになっていて、ドイツにいるエージェントがそのメッセージを読み取るという場面があるだろう。あれと同じようなもんだね。だから愉快だったよ。そいうわけで、「恋をするなら」は僕のお気に入りの曲さ。

またデレク・テイラーは、先ほどの続きでこう言っています。

デレク・テイラー:こういう連中は、何かの曲を一度聴いて、一か所か二か所いただいて、お互い、訴えることなんかしないんだ。その頃は誰も訴えなんかしなかったよ。“愛と平和”の時代だったからね。ロック音楽における国際運動は相互交流の中ではじまった、ってとこかな。

新しい音楽を作るために他の曲のいいところを借用する。そしてもっといい音楽を作り上げる。そういうことの積み重ねで、ロックという新たな音楽文化を作っていく。

そういう時代だったのだと思います。

彼らの心にあるのは自分の曲を「盗作した」「盗作された」という個の価値観ではなく、みんなでロックという文化を創造するという共同体の感覚であり、その感覚こそが60年代のロックのパワーの源だったのだと思います。

リフをまねたり、コードをまねたりすることは、彼らの感覚では盗作ではなかったのでしょう。

ですからジョージは「He’ So Fine」の存在を知っていて、いや、知っているからこそ、その曲のいいところを取り入れて「My Sweet Lord」を作り上げたのだと私は思います。

ただ、そのロックの共同体という感覚がビジネスとしては単なる幻想に過ぎなかったため、「He’ So Fine」の版権管理会社から訴えられたのではないでしょうか。

ジョージの「My Sweet Lord」盗作騒動というのは、創成期であるロックという文化への夢や希望、そしてその終わりを示すエピソードであったといえるかも知れません。

「He’s So Fine」からの盗用があったとしても、それを更なる高みへと創造したジョージの業績はロック村の住民からは避難されるものではないのだと強がりを言って、今回の記事を終わりたいと思います『人気ブログランキング』へ

ジョージ・ハリスン盗作騒動 前篇

2009/03/16 14:31|ジョージ・ハリスンTB:0CM:16
ビートルズ解散後、ソロとしてのジョージ・ハリスンの最大のヒット曲といえば、1971年1月リリースの「My Sweet Lord」です。

ビートルズの元メンバーとして初の米英シングル・ヒットチャートNo.1となった曲です。アメリカではミリオン・セラーとなり、イギリスでは1971年の年間チャートでもNo.1にもなりました。

「My Sweet “Road”」と誤って記憶している方もいるようですが、「Lord=神」についての歌であり、歌詞はジョージが信仰しているヒンドゥー教のクリシュナ神に対する賛美の歌です。宗教心の薄い日本人にはいくらか(かなり)違和感を感じる歌詞なんですが、英語のヒアリング力の乏しさが幸い(?)して、歌詞について私は特に気になっていません。

George Harrison - My Sweet Lord


さて、メロディー、演奏ともに美しい「My Sweet Lord」ですが、ある曲の盗作として訴えられて、裁判でジョージが負けたことでも有名です。

この盗作問題については、ウィキペディア(Wikipedia)に詳しい記載がありますので、引用させていただきます。

「マイ・スウィート・ロード」の盗作騒動はヒットから間もない1971年3月6日にビルボード誌のある記事の中で疑問が呈されたことに端を発する。この疑惑をいっそう色濃くする一因となったのが、同年に発表されたジョディ・ミラーという女性カントリー歌手による1960年代のアメリカン・ポップスのカバー「イカした彼(He's So Fine)」であった。アメリカの女性アイドルグループ、シフォンズ(Chiffons)の1963年の全米No.1ヒットであるこの曲のカバーは、ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」と同じような編曲によって演奏されていた。アコースティック・ギターのストロークではじまり、中間部ではマントラを彷彿とさせるコーラスが聴かれる構成は、「マイ・スウィート・ロード」そのものといってもいいほど酷似していた。そして、発売から5年が経過した1976年1月、遂に訴訟問題にまで発展する。

ハリスンを告訴したのは、楽曲を管理するブライト・チューンズであった。なお、作曲者のリチャード・セルフは1967年に既に死去しており、同時期には印税の支払い不履行を不服とするセルフの母親とブライト・チューンズをめぐる訴訟が別に行われていた。このことについてハリスンは、「何年も前に死んだ彼(セルフ)の会社を引き継いだ会計士たちが、金目当てに僕を訴えている」とコメントしている。裁判の中ではミラーの「イカした彼」や1975年にシフォンズによってカバーされた「マイ・スウィート・ロード」などが原告のブライト・チューンズから証拠として提出され、双曲の類似性を鋭く指摘した。判決は同年の9月7日に下され、判事のリチャード・オーエンは「潜在意識の内における盗用」を認めた被告のハリスンに対して58万7000ドルの損害賠償を支払うように命じた。最終的にそれから約4年半後の1981年2月26日に、彼はこの請求を受けて多額の賠償金をブライト・チューンズ側に支払っている。


と、長い引用で恐縮ですが、

>1975年にシフォンズによってカバーされた「マイ・スウィート・ロード」

ええっ、シフォンズってジョージの「My Sweet Lord」もカバーしてるの!?
シフォンズが「My Sweet Lord」をカバーしたのが1975年で、翌年の1976年1月に盗作訴訟が起こっているわけですから、これは裁判を有利に持っていくための戦略として、原告側のブライト・チューンズがシフォンズにカバーさせたのかも知れません。

>58万7000ドルの損害賠償

当時の1ドルが220円くらいでしたから、58万7000ドルは当時の物価で1億8000万円くらいですね。
盗作の賠償として高いのか安いのか、あまりの額の大きさに見当がつきませんが。

さて「My Sweet Lord」が盗作だと認定されてしまったジョージですが、この判決には不服だったようで、「This Song」という盗作裁判を皮肉った曲を1976年に発表して抗議しています。

「This Song」のPVは裁判のコミカルなパロディなのですが、残念ながらブログへの埋め込み無効となっていますので、PVをご覧になりたいかたは下記のリンクからYouTubeへどうぞ。
PV of「This Song」

またそれだけでなく、テレビ番組に出演したジョージはこの盗作問題をネタに、自嘲気味にコントまで演じています。
(注:“Pirate”には“著作権を侵害する”という意味があります。)

George Harrison - The Pirate Song


ところでこの盗作裁判についてですが、私はジョージの敗訴は不当だと以前はずっと思っていました。

ジョージはこの判決について「This Song」や「The Pirate Song」などを発表して大々的に抗議していますし、ビートルズ・ファンとして元ビートルズのジョージ・ハリスンが盗作をしたなんて、到底信じられる話ではなかったわけです。

それにそもそも、「イカした彼(He's So Fine)」という曲を聴いたことがなかったんですよね。
何しろ40年以上前の曲ですし、今の時代にザ・シフォンズの曲がラジオでかかるなんてことは、まずありませんからね。

ところが、時代は変わりました。

なんとYouTubeで聴けるのです。
「イカした彼(He's So Fine)」。

シフォンズどころか、盗作騒動の発端となったジョディ・ミラーの「イカした彼(He's So Fine)」も聴けちゃいます。

それでは早速聴いてみましょう! 
「イカした彼(He's So Fine)」
(ジョージの「My Sweet Lord」をよく知らない方は、先にもう一度「My Sweet Lord」を聴いてから「He’s So Fine」を聴くことをおすすめします。)

まず、ジョディ・ミラー版。

Jody Miller - He's So Fine


つづいて、シフォンズのオリジナル版。

The Chiffons - He's So Fine


いや~、よく似ています(笑)
特にオリジナルのシフォンズ版はメロディーはもちろん、コーラスの入り方までそっくりなんですよね・・・

ジョージとしては意識的に盗作をしたつもりはなかったんだと思うのですが、以前に聴いた「He's So Fine」が頭の隅に残っていて、それが曲作りの際に無意識のうちにスルスルと出てきてしまったんじゃないでしょうかねえ。
で、指摘されて、「あっ、そういえば・・・」と思ったけど、大ヒットしちゃったもんだからジョージも引っ込みがつかなくなって・・・?

真相はそういうことではないかと、以前は思っていました。

しかし、

今は違います。

無意識の盗作ではなく、ジョージは「He's So Fine」の存在をはっきりと分かっていて、それでも真似たんだと、私は今では思っています。

どうして私がそう思うようになったのか。

それは次回へと続きます。『人気ブログランキング』へ


追記:
ところで、意外や意外。
シフォンズの「My Sweet Lord」はアレンジがかなり違っていて、「He's So Fine」とはあんまり似てないんですよね。基本になってるメロディーは同じですけど。

The Chiffons - My Sweet Lord

私が好きな ジョージのこの1曲

2008/11/29 16:44|ジョージ・ハリスンTB:1CM:8
11月29日はジョージ・ハリスンの命日です。
亡くなったのは2001年ですから、7年が経つんですね。

ジョンの死後、ジョンが残した楽曲にポール、ジョージ、リンゴの3人が音を重ねて、1995年に「Free As A Bird」、1996年に「Real Love」がビートルズの新曲として発表されましたが、ジョージの死によってそんな楽しみも、もう期待できなくなりました。

そういう意味で、ジョージの死は私に「完全な」ビートルズの終わりを実感させました。
今後ビートルズが「新しい創造」をすることは、二度となくなったのです。


先日YouTubeを検索していたら、まだ見たことがなかったジョージの映像を見つけました。
1996年にジョージがF1ドライバー、エマーソン・フィッティパルディのための番組へビデオ出演した際のVTRだそうです。

George Harrison - Here Comes Emerson


ジョージはモーター・スポーツが好きで、1970年代にはレーシング・チームに出資もしていたような記憶があります。

今回はジョージを偲んで、ジョージの私が大好きなこの1曲を。
解説はWikipediaからの引用です。

1970年代後半、少年時代からの趣味だったモーター・スポーツ観戦にもより一層熱中。ニキ・ラウダやジャッキー・スチュワートなどといったレーサーとの親交を深め、自身もレースにドライバーとして1度参戦している。この趣味は後年まで長く続いたようで、レーサーのデーモン・ヒルと親睦を深めたり、晩年にもカー・レースを観戦する姿がたびたび目撃された。モーター・スポーツ好きを裏付けるように彼は1979年にF1で闘うドライバーたちを歌にした「Faster」(シングル・カットも、全英、全米ともチャート・インせず)を発表している。「Faster」のミュージックビデオではギターを弾いて歌うジョージを乗せたタクシーの運転手がジャッキー・スチュワートという面白いコラボレーションが見られる。「Faster」の印税は、癌で亡くなったF1ドライバー、グンナー・ニルソンの癌基金に寄付されたという。

こんなにカッコいい曲がなぜチャート・インしなかったのか、不思議です。『人気ブログランキング』へ

今夜はジョージの曲を聴いて、夜を明かしたいですね。

George Harrison - Faster

ジョージの北米ツアーは失敗だったのか?

2008/07/17 13:44|ジョージ・ハリスンTB:0CM:4
ジョージの1974年の北米ツアーといえば、ジョージ自身の声の不調や、原曲のイメージを変えた楽曲アレンジ、インド音楽のコーナーを中間に挟んだステージの構成などが原因で失敗に終わったというのが一般的なイメージだと思います。

さて振り返ってみると、1970年にビートルズ解散後、70年代に最初に最も輝いたFab4はジョンでもポールでもリンゴでもなく、ジョージだったんですよね。
1970年11月に発売した本格的な初のソロ・アルバムとなった「オール・シングス・マスト・パス」は、LP3枚組というボリュームにもかかわらず全米・全英のアルバムチャートで7週連続1位と大ヒットし、1971年1月発売の「マイ・スウィート・ロード」も全米・全英のシングルチャートで1位を獲得。
all things

1972年8月にはバングラデシ難民救済コンサートを開催して、ライブ盤は全米・全英アルバムチャートで1位を獲得して、1972年度グラミー賞のアルバム・オブ・ジ・イヤーにも選ばれました。
bangladesh.jpg

1973年発売の2枚目のソロ・アルバム「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」もアルバムチャートで全米1位・全英2位となり、シングル「ギブ・ミー・ラブ」も全米1位を獲得。
material world

と、ホントに大活躍だったんです。
それがなぜか、1974年を境に下り坂になっていきました。

1975年肝炎のために入院。
肝炎のためにレコード制作が遅れ、契約していたA&Mレコードから違約金訴訟。
1976年「マイ・スウィート・ロード」盗作訴訟。
1977年パティと離婚。
などなど・・・

1974年の北米ツアーの失敗が下り坂の原因のすべてではないはずですが、状況が暗転した象徴的な出来事という印象です。

この北米ツアーの音源は正式に発売されていませんので、海賊盤で聴くしかありません。
私は2つの会場での音源を聴いたことがあるんですが、ジョージの歌い方がすごく投げやりに聴こえるんですよね。
北米ツアーが不評で失敗だったという後付けの先入観があるためかも知れませんが、ジョージがやけっぱちになっているように感じていました。
少なくとも楽しそうな印象ではなかったんです。

それが先日、YouTubeでジョージの北米ツアーの動画を見つけて驚きました。
画質も悪く、途中から音と映像はシンクロしてませんが、ステージに立っているジョージがとても楽しそうなんです。
3分30秒くらいからビリー・プレストンがステージの前に出てきて2人で踊るところなんか、子供みたいに無邪気です。
後半にはラビ・シャンカールをはじめインド音楽の奏者達もステージに集合し、民族を超えた音楽の祭典という趣きで、ジョージが目指していたツアーの姿を実感することができました。

George Harrison Live - 1974


1974年の北米ツアーが失敗であったという後世の評価が変わることはないと思いますが、リアルなジョージの姿を見て、北米ツアーについての私の意識は少し変わりました。
ジョージのやりたかったことは、ポールの“ロック・ショウ”のようなコンサートではなく、それ故に元ビートルズのロック・ショウを求める観客とのギャップが「失敗」という評価につながったのでしょう。
ビートルズの中でジョンポールの下で出来なかったことにチャレンジしたツアー、それが北米ツアーだったのだと思いますし、結果がどうあれ、ジョージは満足していたのではないかと今では思っています。

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