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              私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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プロフィール

東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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皆様への感謝とビートルズ来日記念

2020/06/29 17:33|書籍TB:0CM:0
大変ご無沙汰しています。約6か月ぶりの更新になります。
ブログ主はもうブログを辞めてしまったのではないかと考えておられた方もいらっしゃると思いますが、辞めたわけではありません。

新型コロナウイルス感染が世界的に流行し、音楽業界も活動停止を余儀なくされて、ビートルズに関するニュースもあまりなかったので、書きたくなるニュースがないなあと思っているうちに、こんなに期間が開いてしまった次第です。

さて今回久しぶりに新たな記事を書こうと思った理由は2つあります。

まず1つは、皆様に感謝の気持ちを伝えたかったからです。

このブログは「人気ブログランキング」の音楽(ロック・ポップス)部門に参加しています。
アフェリエイトもしてない純粋な趣味のブログなので、ランキング上位になることが目的ではないのですが、やはり上位にランクしていると「たくさんの人が読んでくれてるんだな」と励みになります。

そしてこの半年の間、当ブログはランキングトップ10から落ちることがありませんでした。新しい記事を一つも更新していないにもかかわらず。

ブログの読者の方々がこのページを訪れて「なんだ、まだ更新してないのか」と呆れつつも、「更新待ってるよ」と応援する気持ちでブログの下方を「ポチッとひと押し」してくれていたおかげだと思うのです。

感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

そして記事を書こうと思ったもう1つの理由は、54年前の今日、6月29日がビートルズ来日の日だからです。来日記念の日に皆様に感謝を伝えるとともに、新しい記事をお届けしたいと考えました。


さて久々の記事はビートルズ本の紹介です。その名は「ビートルズ来日学」

ビートルズ来日学

ビートルズ大学という研究会を主催されている宮永正隆さんが2016年に出版した本です。

日本に向かってハンブルグを出発してから、マニラに向かって羽田を飛び立つまでのビートルズの行動を、残された写真などの資料と当時の関係者への詳細なインタビューをもとに検証した来日ドキュメントです。この本の「関係者」は音楽業界人ではなく、飛行機の乗務員やホテルの従業員、テレビ中継のスタッフ、ホテルに出入りした紳士服や土産物屋の店員など、実際に身近にビートルズと接した人達ばかりで、とても詳しく当時の様子が説明されています。

参考として「4人が着ていた法被について」と「客室乗務員からみたメンバーの印象」をご紹介したいと思います。

ビートルズに日航の法被を着てタラップを降りてもらおう。そう考えたのは日航広報部でした。ビートルズに日航機に乗ってもらうために日航はビートルズとスタッフにファーストクラスの切符を無料で提供していたので、せめて宣伝になることをと考えたようです。
タラップ法被

ちなみに機内の見取り図がこちら。
機内見取り図

ファーストクラスとエコノミークラスとの境目は扉ではなくカーテンのみで、エコノミーの乗客がビートルズに会いに来ることが物理的に可能だったそうです。
実際には誰も来ず、またそんな事態に備えてか、ブライアン・エプスタインがファーストクラスの一番後ろの席に座っていました。
また日航機「松島」は途中でアンカレッジでトランジットし、9時間ほどしてからまた離陸したのですが、ハンブルグからアンカレッジまではファーストクラスにビートルズとは無関係な一般人が4人乗っていて、そのうちの1人は50~60歳代の日本人男性だったとか。

さて法被なんですがハンブルグから搭乗してすぐに、ビートルズは物珍しさもあって法被を着たそうです。世に出回っている以下の写真はハンブルグからアンカレッジへ向かう機内の様子です。みんな法被を着てますね。
法被1
法被3
法被5

しかしアンカレッジでいったん降りるときに法被を脱ぎ、同地から再び搭乗してからは興味をなくしてしまったのか、もう一度着るよう勧めてても4人は法被を着なかったんだそうです。「法被を着て機内でくつろいでいた」のはアンカレッジまでなんですね。

羽田に着いたときに法被を着てもらいたい日航スタッフ、具体的にはその使命を受けていた客室乗務員は困ります。

そしてしばらく後に乗務員の植村さん(男性)がラウンジに一人でいたポールに向かって「これを着ればもっと機内で楽に過ごせますよ。もし気に入ったら、羽田でこれを着て降りてください。差し上げますから。普通はあげないんです」とまた勧めたところ、「じゃ着てみようかな」と、ようやくポールが法被を着ました。

他の乗務員の重岡さん(男性)によると、アンカレッジに着陸する直前に「トランジット中、このまま着ていていいか?」と法被を着たポールが尋ねたそうで、ポールはけっこう法被を気に入っていたんですね(法被は機内のみというルールがあり、アンカレッジで降りるときには脱ぎました)。

そして羽田到着30分くらい前になってポールがラウンジから客室へと戻り、ポールの法被姿を見たジョージとリンゴも植村さんに法被をもらいにきました。

でもジョンは法被をもらいにきませんでした。ではどうやってジョンに法被を着せたのか。

ここで別の乗務員、コンドンさん(女性、旧姓:川崎さん)の登場です。飛行機が羽田空港に着陸して滑走路を走っているときに、ジョンはまだ法被を着ていませんでした。そこでコンドンさんは最後のチャンスだと思って言います。

「降りるときにハッピ・コートを着ていただけたら、日本のファンはきっと大喜びすると思いますよ」

するとコンドンさんに勧められたジョンは「Oh ! Good idea !」と言って法被を手に取ったのでした。タラップへと出る直前のことです。

タラップで手を振る4人が着ていた法被には、こんな裏話があったのです。
降りる直前法被


ところでビートルズ一向を担当した客室乗務員には、ブライアン・エプスタインからビートルズがサインした扇子がプレゼントされました。凄いお宝ですよね。
サイン扇子

それとは別に個人でサインをもらった方もおられるのですが、メンバーに対する印象が人によって違うのが面白いです。

ハンブルグからアンカレッジまでビートルズを担当した重岡さんは、4人の様子をこう述べています。

「シートベルト・サインがオフになって、3人がバァーっとラウンジに来てシャンパンを頼んですぐカードを始めましたよ。ジョンだけはほとんどの時間、自分の席でずっと何か難しそうな本を読んでましたね」
「ジョンは自分の席でじーっと本をすごく眼に近づけて見てましたよ。3人とはまったく交流なし。リーダーという雰囲気が漂ってましたね。最初から最後まで」

重岡さんからみてジョンはとても気難しい人だったようです。4人にサインをもらうときもまずポールに頼んで、つづいてリンゴ、ジョージも書いてくれたんですが、ジョンに頼んだら、チラッと重岡さんを見てからすぐに本に目を移して無視したんだそうです。

するとしばらく経ってポールが「ジョンのサイン、もらった?」とやってきて、まだだと知ると「そしたら僕がもらってやる。一緒においでよ」とジョンのところに行き、「美味しいディナーを我々のために提供してくれたじゃないか、そのお礼としてちょっとサインしてあげなよ」と言ってくれたんだそうです。そのサインがこちら。実物はA3サイズですから大きいです。ジョンの筆跡が苛立たしげですね。
サイン重岡

いっぽうコンドンさんは違った印象を持っています。コンドンさんがまずジョンにサインを頼むと、ジョンは快く引き受けて「To Satoko」と名前まで入れてサインをしてくれた上に、ジョン自らが他のメンバーにサインをもらってくれたんだそうです。驚きでしょう?

コンドンさんは「私としては『どんなことでもジョンにさえ言えば彼がやってくださった』という印象」「あとのかたたち(注:ジョン以外)は皆さん無口で無口で、正直いって近づき難かったんです」と、重岡さんとは全く異なる感想を述べておられます。

ジョンはコンドンさんのことを気に入っていたのでしょう。だから彼女に勧められたら、すんなりと法被を着たのだと思います。コンドンさんはタラップでの法被姿の立役者ですね。
サインコンドン


これらの他にも機内でのエピソードとして、ジョンがコックピットに入った話や、ポールが重岡さんに「イエスタディ」を歌った話、羽田の前に横田基地に寄ってビートルズ一向だけ降ろす計画など、たくさんあります。

でも、まだビートルズは日本に降りたってないんですよ。それでもこれだけ面白い話がこの本にはいっぱいあるわけです。ホテルに入ってからの毎日の生活、武道館での公演、テレビ中継の裏側など、離陸するまで話題が満載です。

そして何よりこの本の魅力は、ビートルズの4人がとても身近に感じられることです。詳細な検証とインタビューのおかげで、飛行機の中で、ホテルの部屋で、武道館で、まるで自分がビートルズと一緒に過ごしているような気分になります。

ぜひ読んでみてください。ビートルズファンなら満足すること間違いありません。

そしてこれからもこのブログをよろしくお願いします!
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『ビートルズはこうして誕生した』

2019/02/28 15:05|書籍TB:0CM:4
以前に買ったまま読んでいなかったアラン・ウイリアムズ著「ビートルズはこうして誕生した」を読了しました。
ビートルズはこうして誕生した

アラン・ウイリアムズは1960年春から1961年4月までの約1年間、デビュー前のビートルズのマネージャーをしていた人物で、2016年12月30日に86歳で亡くなりました。
⇒『アラン・ウイリアムズ死去とポール来日!』
allan williams2

この本は1975年に出版された回想録で、デビュー前のビートルズとの係わりについて書かれたものです。

アラン・ウイリアムズについて今まで、強欲な山師のようなイメージを私は持っていたんですが、この本では常識的な普通の興行師という感じでした。

出版当時はどうだったかわかりませんが、暴露本という程センセーショナルな内容ではなく、特定の誰かをひどく非難するようなことは書かれていません。まあ、ジョンは我が強くて扱いにくかったようですが。


読み終えて印象に残ったのは、本の最後のエピソードです。ハンブルグのスタークラブでのデビュー前のライブ音源を1972年に入手したアラン・ウイリアムズが、そのテープをビートルズに買い取ってもらおうとアップル社を訪ねた時のことです。

事務所にいたジョージとリンゴの2人とやり取りをするのですが、その時にジョージがこう言ったというのです。

「信じてくれようとくれまいと、本当に僕らは文無しも同然なんだよ。 (中略) 僕たちが稼いだ金は、みんなこの会社と税務所に持っていかれちゃうんだ。 (中略) 僕たちの金はみんな押さえられていて、全然自由にならないんだよ。 (中略) 自由になる金があれば、五千ポンドでも一万ポンドでも、今すぐ払うさ」

五千ポンドは当時の日本円換算で400万円くらいです。テープを買い取るつもりが最初からなかったのかも知れませんが、自分達の判断で400万円ほどの支払いを決める権限がジョージとリンゴになかったのは事実なんでしょう。

ビートルズ解散時のアップル社やマネージャー問題の混乱を実感するエピソードです。

このやり取りには続きがありまして、明日が妻の誕生日だから何とかお金を工面してもらえないかと食い下がるアラン・ウイリアムズに対して、ジョージはポケットからルビーの原石16個を取り出して昔のよしみだからとアランに与え、彼の妻に宛てて誕生日のメッセージカードを書いてくれたんだそうです。

どうしてジョージがルビーの原石を、しかも16個も持ち歩いていたのかはわかりませんが、ジョージの優しさをうかがわせるエピソードですよね。


そしてもう一つ、はっとしたエピソードがありました。

決まったドラマーがおらず、ビートルズがまだまだアマチュアバンドだった頃の話です。文章をそのまま引用します。

「彼らはパーシー・ストリートとギャンビア・テラスの角の棟割長屋に巣食っていた。陽気が寒くなってくると彼らはアパートの床でテーブルや椅子を燃やして暖をとるので、家具の類はとうの昔に失くなっていた。彼らはボヘミアンを気取ったつもりで家具を燃やしたりしていたのだと思う。」

さて、アルバム「RUBBER SOUL」収録の「NORWEGIAN WOOD」の日本語タイトル「ノルウェーの森」は誤訳であり、「ノルウェー産の木材」「ノルウェー産の家具」と訳すのが正しいというのは近年よく知られていることです。

そして「NORWEGIAN WOOD」の最後の歌詞なんですが、

So I lit a fire

Isn't it good, Norwegian wood


は、一般に

俺は暖炉に火を入れた

いいんじゃない、ノルウェーの森みたいで


と和訳されています。

その他、「俺は明かりを灯した」なんて和訳されることもあります。

ですが、この部分は

俺は家具に火を付けた

(よく燃えて)いいんじゃない、ノルウェー産の家具は


が正しい解釈なんじゃないかと言う意見も以前からありまして。

「下心をもって女の子の部屋に上がり込んだけど、いっぱい食わされて一人ぼっちになった」という内容の歌ですから、ジョンのそんなブラックジョークもありかな、でも腹いせに家具に火を付けるなんてさすがにあり得ないよな、と私は半信半疑だったんですが。

しかし、デビュー前のジョン達のこのエピソードを知った今、やはり家具に火を付けたという意味なんだろうと確信しました。


「私はビートルズがショウ・ビジネスの歴史はじまって以来最大のスターになろうとする、その寸前に彼らを手放してしまった。そのために私が幾晩も眠られぬ夜を過ごしたことであろうと読者が想像されたとすれば、その想像は当たっている。」

と、まえがきの中で書いているアラン・ウイリアムズですが、ビートルズに対してもブライアン・エプスタインに対しても、本文中ではそれほど恨みがましいことは書いていません。

きっと気のいいおじさんだったのだろうと想像します。

ご冥福をお祈りするとともに、若き日のビートルズを支えてくれてありがとうと感謝の念を贈ります。
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allan williams







ゲット・バック・・・ネイキッド 1969年、ビートルズが揺れた21日間

2017/02/14 14:35|書籍TB:0CM:2
最近読んだ本の紹介です。

藤本国彦著
「GET BACK...NAKED 21DAYS THAT ROCK'N'ROLLED THE BEATLES IN 1969~ビートルズが揺れた21日間」
Get Back表紙

1969年1月2日から1月31日までの通称「ゲット・バック・セッション」を振り返るという、今までにありそうでなかった内容で、一日の出来事を2ページずつで紹介しています。

「ゲット・バック・セッション」を時系列で解説した本は他で見たことがなく、セッションの始まりから終わりまでが簡潔にわかるようになっていてとても面白いです。ジョージが一時脱退する前後の様子や、ジョンのジョージに対する辛辣な態度が生々しく感じられます。

ですが、「ゲット・バック・セッション」についての本のはずなのに、セッションについてのページは全体の3分の1くらいしかないんですよねえ。ビートルズの活動がリアルに感じられる内容だけに、ボリュームが少ないことがとても残念です。

あとはこのセッションがどういう過程で「Get Back」というアルバムに編集されて、それが「Let It Be」というアルバムになったのか。そしてビートルズの全アルバムのジャケット・デザインの解説。巻末に意図不明な「女子高生 放課後ロンリー・ハーツ・クラブ」という漫画が収録されています。

アルバム「Get Back」~「Let It Be」の制作過程も興味深い内容です。

アルバム「Get Back」が発売されなかったので、編集したグリン・ジョンズの名前はビートルズ史では概ね低評価なんですが、ビートルズ以外にもローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、スティーヴ・ミラー・バンド、ザ・フー、イーグルス、エリック・クラプトンなどを手掛けたロック界の名プロデューサーです。そのグリン・ジョンズが「Get Back」を編集した際に、印税は要らないからアルバムに制作者の名前をクレジットしてほしいと希望した話などは、当時からビートルズの存在が別格で、ビートルズの制作にかかわることがいかに名誉であったかが感じさせるエピソードです。

またフィル・スペクターの依頼で「The Long And Winding Road」のオーケストラ・アレンジを加えたリチャード・ヒューソンは、それから1年間はポールとジョージ・マーティンから口をきいてもらえなったそうですが、その後にポールから「My Love」のアレンジを依頼され、その時にはポールからの指示は特になく ヒューソンの好きなようにやらせてくれたんだそうです。「The Long And Winding Road」にオーケストラ・アレンジを加えたことに激怒していたポールですが、アレンジそのものは実は高く評価していたようです。

そして既存のビートルズ本とは趣を異にするこの本のもう1つの大きな特徴は、その形。

上の写真でおわかりのように長方形ではなく台形の本で、おまけに中のページがすべていびつになっていて、辺と角がばらばらです。
Get Backページ

これは本の中でも書かれている「今までにないことをやる」というビートルズの精神を引き継いだ趣向のようです。

楽しい遊び心にうれしい気持ちにはなるんですが、この凝った製本のせいで値段が3000円(+税)と高くなってるのかも知れません。

内容の面白さは間違いないので、機会があれば是非お手に取ってみてください。
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書評 「ビートルズの真実」

2016/01/25 21:35|書籍TB:0CM:0
ずっと前に買ったまま読まずにいた「ビートルズの真実」を読みました。
ビートルズの真実

対談形式でビートルズの生い立ちから解散後までを語っており、私はとても興味深く面白く感じて読了しましたが、ビートルズ・ファン初心者向きの本ではないです。

文庫本で550ページ程ある分厚い本でして、メンバーの生い立ちから時代順に話は進むんですがビートルズ・デビューまでなかなかたどり着かず、338ページ目でようやくジョージ・マーティンの下で初レコーディングしますけど、460ページ目でもう解散しちゃいます(笑)

レコード・デビューまでに約340ページ、デビューから解散までに約120ページ、解散後に約90ページと、ビートルズ本でありながら“ビートルズ前”に偏ったページ配分なんですが、それだけビートルズ4人の生い立ちや性格・人間性に重点を置いた内容なんですよね。

対談といっても単なる個人的な感想や思い入れを語っているのではなく、なるべく根拠となる証言や出典が示してあり資料としての価値も高いと思いますし、通常の音楽雑誌の対談やエッセイではあり得ない内容の深さなので、ビートルズのことは大概知ってるつもりの私のようなファンでも十分楽しめました。

ただし著者のお二人はビートルズをべた褒めするようなところはなく、むしろ辛辣な発言も多数みられ、読んでいて心が痛むところも多々ありました。

解散後にジョンが「ポールの悪口を言っていいのは自分だけ」みたいな発言をしてますよね。ポールのことをよく知っていて愛情があることの裏返しだと思いますけど、この本にもそんなビートルズへの知識と愛情の裏返しのようなものを感じます。

それに憤るほど私も真っ直ぐなファンではないですが、読み終わってから、ビートルズの4人とは個人的には付き合えないかなと感じてしまいました(笑) ネタバレになるので書きませんけど、メンバーの性格と女性関係については他の本ではまずみられないような内容です。

ビートルズと熱愛中みたいなファンの方にはちょっと勧めにくいですが、長年連れ添った夫婦のような心境のファンの方にはきっと満足できる本だと思いますよ(笑)
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期待外れ「ブライアン・エプスタイン ストーリー」

2015/07/23 13:42|書籍TB:0CM:2
前回の記事でご紹介した「ザ・フィフス ビートル ブライアン・エプスタイン ストーリー」を読み終えました。

ブライアン・エプスタイン・ストーリー

私の感想を一言でいうと、期待はずれ、です。

まず、思っていたよりもビートルズのメンバーとのやり取りはでてきません。

ビートルズ物語でなくエプスタイン物語ではありますが、エプスタインの生涯が注目されるのは彼がビートルズのマネージャーで「5人目のビートル」だったからですので、内容にもっとビートルズの話を盛り込むべきだったと思います。本のタイトルは「5人目のビートル」なんですから。

キャバーンクラブでのビートルズとの出会い、ピート・ベストにグループを辞めるよう話したこと、シェイ・スタジアムでのコンサート、ツアーを辞める決断。

エプスタインについて、ビートルズ側からみればこのあたりはとても重要なエピソードだと思うんですが、いずれもがとてもあっさりしていたり、全く触れられていなかったりです。

アルバム「ラバー・ソウル」を作ってしばらくすると、今度は「サージェント・ペパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を完成させ、いつの間にかインドに行っていたりと、ビートルズの行動も予備知識のない方にはわかりにくいと思いますし、またビートルズのメンバーの心情は全く描かれていません。

エプスタインの孤独を考えるときに、ビートルズが成長するにつれてマネージャーとして友人としてビートルズがエプスタインを必要としなくなっていき、その心の隙間が次第に大きな穴へと拡がっていく過程を抜きにはできないと思うんですが、そこがうまく描かれていません。

ビートルズにとってはマネージャーはエプスタインでなくてもよかったんじゃないか、メンバー達もそう思っていたんじゃないかと、むしろそう感じてしまう内容です。

また本のあとがきで「ビートルズのことは広く知られているのに、エプスタインのことはほとんど知られていない事実に云々」とありますが、同性愛のことはもちろん、この本に描かれていることはビートルズファンなら大体知っていることばかりです。

この本で私が初めて知ったこととしては、(この本の内容が事実なら)エプスタインが同性愛の恋人から金銭的に脅されていたというくだりなんですが、このエピソードのために、エプスタインは自分が同性愛者であることに悩んでいたというより脅迫されていたことに悩んでいたような印象を受けてしまい、かえってエプスタインの苦悩がわかりにくくなっている気がします。

実際のところこの本はビートルズファンのためのエプスタイン物語というより、エプスタインを題材に同性愛者の人権を考えるための本という趣きです(あとがきにもそれらしい記述が少しあります)。

全編水彩画のきれいな絵は一見の価値があると思いますが、エプスタインとビートルズの物語では決してありませんので、これから読んでみようと思う方はそのあたりを期待しない方が、かえって楽しめるのではないかと思います。
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アップルの中のヨーコさん

2013/06/10 16:58|書籍TB:0CM:10
久々の更新です。

前回の記事でアレン・クラインをマネージャーにすることにジョンが最も積極的だったことを書きましたが、そのあたりについての追加です。

ビジネスとしてビートルズに興味を持っていたクラインがジョンにアプローチしてきたのが2人の馴れ初めというか、マネージメント契約のきっかけなんですが、ここにヨーコさんが噛んでいたようなんですよね。

ジョンはクラインとの初めての会談の席にヨーコを同席させてまして、これは当時のジョンとヨーコさんの状況なら想定内のことなんですが、この会談の後に、ジョンのビジネス上の管理をクラインに代行させる委任状をタイプライターで打ったのは、なんとヨーコさんだったんだそうです。

ジョンが契約なんかに疎くて委任状を自分で書けなかった可能性はありますけど、普通は音楽ビジネスを本業としてるクラインが用意しそうなもんですよね。

その書類をヨーコさんが作ったというところに、ヨーコさんは芸術や私生活だけでなく、ジョンにとって既にビジネス・パートナーになっていたんだと気づかされました。

昨年10月にポールが「ビートルズ解散はヨーコのせいではない」と発言しまして、まあヨーコさんがすべてではないとは誰もがわかっているんですけど、やっぱり影響は大きかったんだと実感しましたね、あらためて。

なんだかオチのない記事になってしまいましたが、この記事はとりあえずお終いです(^^ゞ
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アップルの中のジョン

2013/04/25 15:46|書籍TB:0CM:10
さて久しぶりに「ビートルズ帝国 アップルの真実」の感想を書きたいと思います。

会社としてのアップルにビートルズのメンバーがどうかかわっていたのか。

ポール、リンゴ、ジョージに続いて、最後はジョンです。

アップルの赤字経営についてジョンが「このままでは我々は半年後に破産する」と語ったエピソードはよく知られていますが、ではジョンがアップルの経営のために良い働きをしたかというと、そうとは言えません。

むしろ組織をかき回して収集をつかなくした一番の人物がジョンだと言えると思います。

アップル・エンジニアの責任者にマジック・アレックスを推して、全く使いものにならないスタジオ作りに多大な費用を使ってしまったり、採算の取れないヨーコのアルバムのリリースをごり押ししたり、アメリカに移住してからはアップルのお金を浪費して生活するなど、ジョンがアップルの経営を悪化させたエピソードは幾つも挙げられるんですが、最も大きなことはやはりマネージャーとしてアラン・クラインを引っ張ってきたことでしょう。

アラン・クラインのビジネスマンとして評価はここでは論じませんが、このマネージャー問題がビートルズの解散の最も大きな火種になったのは間違いありません。

ところでローリング・ストーンズの元マネージャーということで、ミック・ジャガーがアラン・クラインをビートルズに紹介したという文章を目にすることがありますが、この本によるとそれは事実ではないようです。

以前からビジネスの対象としてビートルズに目をつけていたクラインがジョンにコンタクトを取ってきたのがきっかけで、なんとミック・ジャガーはクラインと契約するのを止めるように忠告しようとしてたんですよね。

忠告しようと“してた”というのは、ミック・ジャガーは2回ジョンに忠告しようとしたんですが、1回目の機会ではジョンはミックとの会談になんとクラインを同席させたんですよ。これではさすがのミックもつっ込んだ発言ができなかったようです。

そしていよいよ契約するらしいと聞きつけたミック・ジャガーは親切にも もう一度ジョンに忠告しようと連絡を取るんですが、その時にはすでにジョンがクラインと契約した後だったわけです。

マジック・アレックスについてもクラインについても、そしてヨーコについてもそうなんですが、この頃のジョンは他人の意見に耳を貸さずに妄信しちゃうんですよね。自分に都合のいい人物を。

ジェフ・エメリックの「ビートルズ・サウンド 最後の真実」の中のジョンもそうなんですが、この頃のジョンってドラッグとヨーコにぞっこんでヘロヘロになってしまい、正常な精神状態ではなかったんじゃないかという気さえします。

とにかくこの頃のジョンについては、知れば知るほど気が重くなることが多いです。『人気ブログランキング』へ

アップルの中のジョージ

2013/03/25 23:00|書籍TB:0CM:2
さて「ビートルズ帝国 アップルの真実」の感想に戻ります。

今回はアップルにおけるジョージについてです。

アップルの事務所に一番よく顔を出していたのはジョージでした。

アップルの状況をきちんと把握しないといけないという自覚があったようで、ビートルズの4人の中で最もアップルの運営を気にかけていたようです。

ですが経営手腕があるわけではないので、ジョージは経営そのものよりもアップルの事業に積極的に係わることでアップルに貢献しようと努め、その代表が新人を発掘してプロデュースすることでした。

もともとはジョージに自作の楽曲の提供が少ない分、プロデュースの仕事をしてアップルに貢献してもらうという意図が会社にあったようなんですが、ジョージはそういう意図を抜きにプロデュース業にやりがいを感じていたようです。

ビートルズの中ではジョンとポールに頭を押さえつけられるような立場でしたから、自分がリーダーになって新人ミュージシャンの音楽をプロデュースすることに充実感があったのでしょう、きっと。

ところがこの本によると、ジョージのプロデュースしたミュージシャンは期待ほど売れず、アップルの経営にはあまり貢献しなかったそうです。

プロデューサーとして後年一定の評価を得ているジョージですので、これは私には意外でした。

ところで、そんなジョージのプロデュースの中で異彩を放っているのが「ラダ・クリシュナ・テンプル」。

この本にはランキング何位になったなどは書かれてないのですが、それなりにヒットしたそうです。

さてビートルズのファンや60年代のロックが好きな方なら、「ラーガ・ロック」という言葉をご存知と思います。

Wikipediaには

ラーガ・ロックとはロックにインド音楽、またはインドの民族楽器を取り入れたもの。

1965年、ビートルズのジョージ・ハリスンが、アルバムラバー・ソウルに収録されたジョン・レノンの楽曲である「ノルウェーの森」においてシタールを取り入れたことが始まりと思われるが、後にローリング・ストーンズのギタリストであるブライアン・ジョーンズが「ペイント・イット・ブラック」や「マザーズ・リトル・ヘルパー」などの曲でシタールを演奏しているほか、キンクスなどが取り入れている。

ジョージ・ハリスンがビートルズ在籍中に発表した「ラヴ・ユー・トゥ」、「ジ・インナー・ライト」などはロックというより、むしろインド音楽そのものである。


と書かれているんですけど、私には今一つピンときませんでした。

なぜなら「ノルウェーの森」やローリング・ストーンズの曲はシタールを楽器として使用してはいますが楽曲自体は従来の曲ですし、解説の通り「ラヴ・ユー・トゥ」、「ジ・インナー・ライト」はロックではありませんから。

ですのでラーガ・ロックって本当はどんなものなんだろうとずっと思っていたんですが、今回この本でラダ・クリシュナ・テンプルを知り、こういうものだったのかと納得しました。

いや、ちょっと違うのかな? 

当時の音楽事情に詳しい方がおられれば教えてください。『人気ブログランキング』へ

アップルの中のリンゴ(来日公演に寄せて)

2013/02/21 14:17|書籍TB:0CM:2
リンゴの来日公演が迫ってきました。

初日の公演が2月25日ですが、何日に来日するんでしょうね?

いいコンディションで来日してくれるといいですね。


さて「ビートルズ帝国 アップルの真実」の中から前回はアップルにおけるポールについて書きましたが、今回はリンゴについて書きたいと思います。

が、この本の中で、リンゴはほとんど活動してないんですよね。

アップルの映像部門で映画関係の仕事を少ししていただけで。

それも映画の仕事を極めようという態度でもなく、ビートルズがバラバラになって音楽でやることがないから映画の関連をやっているような印象で、本心から映画の世界に進出したい気持ちはなかったんじゃないでしょうか。

もう今はやってませんしね。


アップルの経営にも4人のメンバーの中で最も係わりを持っていなかったようです。

ビートルズの中での発言権が小さかったのか、もともと会社に興味がなかったのか。

私は両方ではなかったかと思うのですが、とにかくリンゴはじっと時間が過ぎるのを待っていたかのような印象です。

本格的なソロ・デビューアルバム「RINGO」のリリースが1973年と4人の中で一番遅かったのも、アップルの経営や訴訟問題が一段落つくのを待っていたんじゃないでしょうか。


70年代後半からはソロ・アーティストとして落ち目になり、さらに自身のレコード・レーベルの立ち上げと失敗、離婚、アルコール中毒と苦難の道をリンゴは歩むのですが、それらの問題をクリアして1989年にはオールスター・バンドを結成してライブ・ツアーを開始。1992年からはコンスタントにアルバムを発表しながらツアーを継続して今回の来日公演に至るわけですが、冷静に考えると奇跡のような復活なんですよね。ホント。

だって80年代にはイギリス、アメリカの両国でニュー・アルバムがリリースされないくらい落ちぶれてしまってたんですから。

「元ビートルズ」であるがゆえに今のリンゴを「昔の名前で出ています」的にみる向きもありますが、あれほど落ちぶれてからここまで復活するのは、並大抵のことではないですよ。

「元ビートルズ」の肩書だけでやっていけるのなら、そもそもそんなに落ち目にならなかったでしょう。


リンゴ本人の音楽への情熱と真剣な取り組みはもちろん、リンゴを支えて盛り上げようと思う仲間達のサポート。

「With A Little Help From My Friends」を地でいくリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドの来日公演。

楽しい時間をリンゴと共有したいと思っています。『人気ブログランキング』へ

アップルの中のポール

2013/02/14 15:47|書籍TB:0CM:0
さて「ビートルズ帝国 アップルの真実」を読んで、まずはポールについての感想です。

私が正しく認識していなかっただけで、詳しい方にとっては既知の内容も多いと思いますけども。


ブライアン・エプスタインの急死でビートルズのマネージャーが不在になり、アップルの経営悪化が顕著になった頃に、財務の専門家にアップルを任せようということになりまして、

その時にジョンとジョージとリンゴは、元ローリング・ストーンズのマネージャーとして知られるアレン・クラインを推し、ポールは恋人リンダの父である弁護士リー・イーストマンとその息子ジョン・イーストマン(リンダの兄)を推すわけですが、

原則的に多数決で物を決めるビートルズでしたから、ポールの意見は通らなかったわけです。

ポール以外の3人、特にジョンはポールの姻戚がアップルに入ってくることで、アップル内でのポールの発言権が増すことを嫌がったんですね。

で、ここでよく「アレン・クラインがビートルズの新マネージャーになった」と言われるんですが、厳密には違うんですよ。

アラン・クレインはジョン、ジョージ、リンゴと個々のマネージメント契約をしただけで、「ビートルズというバンド」のマネージャーになったわけではなかったんですよね。

そういわれてみればブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーになった時も、メンバーの4人が各々が契約書にサインをしており、「ビートルズ」というバンド単位で契約したわけじゃなかったと思います。

で、アップルにおいてポールだけが自分のマネージメント契約をイーストマン親子と交しまして、ビートルズはマネージャーの異なるメンバーが集まったバンドになったのでした。

グループで各々のメンバーが違うのは変なような気がするかも知れませんが、今日本で大人気のAKB48なんかもそうなんですよね。彼女達の事務所はバラバラですが、1つのグループとして活動しているわけです。

ビートルズの場合は「ビートルズというバンド」と「ビートルズのアップル」を同じと考えるから不思議な気がするわけです。

さてこのマネージャー問題。

この本の著者は取材を終えて、イーストマン親子に任せた方がアップルにとってよかったのではないかと書いていますが、それはその後の歴史を知っている今だから言えることかも知れません。


そしてアップルにおけるポールといえば、メリー・ホプキンのプロデュースがよく知られています。

メリー・ホプキンのデビュー曲「Those were the days」。


ポールの作曲ではないことは知っていましたが、もともとはロシアの歌謡曲だったそうです。

それを1966年にポールはナイトクラブで聴き、この曲を歌うのにふさわしい歌手をずっと探してたところ、1968年にメリー・ホプキンを知って彼女に歌わせようと思ったとのこと。

2年も前に聴いた他人の曲を頭の中にとどめて歌い手探しをしていたところなど、音楽そのものが大好きなポールらしいといいましょうか、思いつきで行動するタイプのジョンにはあり得ないことだと私は思いました。

ポールのプロデュースしたメリー・ホプキンのレコードはヒットしたんですが、ポールは1969年9月のレコーディングを最後にメリー・ホプキンのプロデューサーを降りてしまいます。

一般にはポールがポップな路線でプロデュースしようとしたのに対してメリー・ホプキンがフォーク路線を希望したため、両者の主張が折り合わなかったからだと言われていますが、音楽的志向の違いに加えて、マネージャー問題でビートルズとアップルに対する熱意を失ったポールが1969年9月のアルバム「アビー・ロード」リリース後にスコットランドの農場に引きこもってしまってアップルの事務所に姿を見せなくなったことも一因だったようです。

この頃のビートルズの活動を考える時、アップルの問題を抜きには語れないんですよね。『人気ブログランキング』へ

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