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ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』と解散の理由

2023/09/04 22:38|書籍TB:0CM:0
とても久しぶりの更新です。

前回の記事から一年半も空いてしまいました(汗)

ビートルズに興味がなくなったり、私の環境に大きな変化があったりしたわけではないのですが、これだけ長い間ブログが滞ったのにはX(旧Twitter)の影響があります。

X(旧Twitter)は情報の更新、拡散が速いんですよね。なので「この話題についてブログを書こうかなあ」と考えているうちに、話題の旬がどんどん過ぎてしまってタイミングを逃してしまうのです。

と言い訳をしつつ、やっと新しい記事を書くことができました。

きっかけはピーター・ブラウン、スティーヴン・ゲインズ著『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』を読んだことです。

表紙

この本を読もうと思ったきっかけはX(旧Twitter)のフォロワーさんのツイートでして、ここにもX(旧Twitter)の影響がありますね(笑)

フォロワーさんのツイートで初めてピーター・ブラウンの姿を目にして、彼のダンディな男ぶりに感心したのです。 

写真左のスーツの男性がピーター・ブラウンです。
ピーターブラウン0

Finally made the plane into Paris

Honeymooning down by the Seine

Peter Brown call to say

You can make it O.K.

You can get married in Gibraltar near Spain!

(飛行機はついにパリに到着した

セーヌ川沿いでの新婚旅行

ピータ・ブラウンが電話をよこしてこう言うんだ

大丈夫ですよ

スペインに近いジブラルタルで結婚式ができます!)


と、『ジョンとヨーコのバラード』の歌詞にも出てくるピーター・ブラウンです。

一体どんな人だったのか。詳しく知りたくなってネットで検索していると、リヴァプールの博物館『ビートルズ・ストーリー』の公式サイトでこんな記事を見つけました。

Alongside Steven Gaines, Pete co-wrote the book The Love You Make: An Insider's Story of the Beatles which didn’t sit well will the McCartneys at all… they refused to read it and burned it. The relationship was then severed.

(ピートはスティーヴン・ゲインズと共同で『THe Love You Make: An Insider's Story of the Beatles(ビートルズ ラブ・ユー・メイク)』という本を執筆したが、マッカートニー夫妻はまったく気に入らず、読むことを拒否して燃やしてしまった。その後、彼らの関係は断絶した)


本が原因で絶交するなんて一体何が書かれていたんだろう? 気になった私はすでに絶版になっている本を入手して読んだというわけです。

まずピーター・ブラウンがどのような人なのか、訳者あとがきからの引用です。

ピーター・ブラウンは、はじめブライアン・エプスタインのレコード店にひきぬかれ、ブライアンがビートルズのマネッジをするようになると彼を補佐し、ブライアンが死んだあとはアップルをとりしきり、財政的にも個人的にもずっとビートルズの面倒を見てきた。彼はビートルズの四人のパスポートをあずかり、彼らのさまざまな契約の手続きをし、彼らの結婚や離婚に立ち会い、彼らの訴訟にたずさわってきた。ビートルズが解散したあとも、四人の親しい友人でありつづけ、現在もなおヨーコと親しいという。

ブライアン・エプスタインの側近で、ビートルズの4人と公私にわたる付き合いがあった人物です。

左:ポールとリンダの結婚式、右:ジョンとヨーコの結婚式。いずれも髭面の男性がピーター・ブラウン。
ポールとリンダ ジョンとヨーコ

さて1983年4月発刊の『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』はいわゆる暴露本です。ですが特定のメンバーを非難したり貶めたりはしておらず、比較的淡々と当時を回想しています。

「この本で初めて明らかにされた事実」は概ね以下のようなことだと、訳者のあとがきにあります。

・ ブライアン・エプスタインの最初の自裁未遂の背景
・ ジョン・レノンとブライアンの肉体関係
・ ポール・マッカートニーがしばしばリンゴ・スターのドラムスをオーヴァーダビングしていた事実
・ ブライアンの男の愛人と、その愛人から受けた脅迫
・ ポールがよその女性に産ませた子供とそのあとしまつ
・ 日本公演とマニラ公演の実態
・ マハリシに師事したインド山中でのほんとうのできごと
・ ジョージ・ハリスンとリンゴの妻モーリンのあいだになにがあったのか


真偽のほどは置いておくとして、発刊から40年が経った今では他の書籍や映像でも語られていることで、今さら驚愕するようなことではありません。むしろ上記以外の細々としたエピソードの方が、私にはセンセーショナルだったりしました。

それではポールとリンダが本を燃やして絶交した内容とは何だったのか? ですが、書かれた内容よりも「公私ともに親しい内部の関係者」が暴露本を書いたことに腹を立てたんだという気がしています。

さんざんゴシップ記事を書かれてきたビートルズですから、内容については「またかよ」と聞き流せても、「身内による暴露」という裏切り行為が許せなかった。

読後に私はそう感じました。


ところで私がこの本をブログで取り上げたのは、暴露本の紹介をしたかったからではありません。

「ビートルズの解散の理由」

それについては過去から現在まで、評論家やファンの間で様々に語られてきました。

曰く、ヨーコに夢中になったジョンがビートルズへの興味を失くした。ポールの専制的な態度に他の3人が嫌気がさした。いつまでもジョンとポールに格下扱いされることに、ジョージが我慢できなくなった。などなど。

解散に至った理由はきっと複合的で、上記のようなことも引き金の1つだったのだろうと思います。

ですが『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』を読んで、「解散の根本の理由はこれだ!」と強く思ったことが2つありました。

1つはコンサートをやめたこと。もう1つはブライアン・エプスタインがいなくなったこと、です。

『ビートルズ ラブ・ユー・メイク』は4人の行動が内側からの視点で書かれています。

この本で印象深いのは「コンサートをやめてからのビートルズはずっと休暇中だった」ということです。

コンサートツアーに出て、レコーディングして、休暇を取って、というサイクルで活動していたビートルズが、ツアーをやめてから何をしていたか。

基本ずっと休んでたんです。

1966年までの4人はしばしば「長期休暇」を取ってましたよね。でも1967年以降はあらためて「長期休暇」を取ることはありません。だってずっと長期休暇中だったから。

気の向くままにインドに行ったり、誰かの個展を観に行ったり、アメリカにヒッピーを見に行ったり、映画に出演してみたり、映画もどきを撮ってみたり。

ツアーをやめてからは「ビートルズとしての仕事」をまともにやってないんですよね。

人前で一緒に演奏しなくなって「ビートルズとしての仕事」が激減して、この状況はまずいと気づいたポールが1969年1月のGet Back Sessionで、

「いや、ほんと、ぼくらはひとつにまとまらないと駄目だ。(中略)ほら、ぼくらは全員でプレイしてる……ぼくの言いたいことがわかるかい?」(1月6日:セッション3日目)

「でもぼくら、ぜんぜん一緒にプレイしてないじゃないか。それが一番の問題だよ。(中略)でもぼくらは今、ここにいるし、ぼくらならできる……とにかく熱意を見せてくれ!」(1月7日:セッション4日目)


と激を飛ばすのですが,、時すでに遅し。

ジョンとの関係については、セッション3日目にはこんなことも言ってます。

「それは僕らが一緒にプレイしなくなったからだ。一緒にプレイしなくなってからはずっと……。(中略)だからぼくらはとにかく、たくさん仕事をするべきだと思う――そうやって、なんていういか……ハードな時代に逆戻りするんだ」

ビートルズとしての仕事が必要だと思うポールと、思わない3人。

ライブ活動をやめた時点で、解散は必然だったわけです。


そしてこの状況を是正できなかったのは、ブライアン・エプスタインがいなかったからでしょう。

ビートルズに仕事を割り振っていた唯一無二の存在、それがブライアンだったのですから。

さらに彼がいればアップルの放漫経営はなく、さすればアラン・クレインの登場や、ポールと他の3人の対立はなかったのではないかと考えます。

この本では財務をめぐる騒動が1969年の4人にとって何よりも大きな問題であり、メンバー間の仲を引き裂いた一番の原因として書かれています。

ブライアン・エプスタインはやはり、5人目のビートルズだったのです。


さてアラン・クレインによってアップルを解雇されてアメリカに渡ったピーター・ブラウンは、現在はニューヨーク、ドーハ、ワシントンD.C.にオフィスを構えるBLJ Worldwideというメディア系コンサルティング会社の会長兼CEOを務めています。

もうビートルズのことを語ることのない彼ですが、会社サイトのトップページにはセントラルパークの「IMAGINE」の記念碑の画像が今も使われています。
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藤本国彦著『ジョン・レノン伝』を読んで

2021/12/08 07:00|書籍TB:0CM:2
2020年11月に出版された「ジョン・レノン伝」を読みました。

ジョンレノン伝表紙

表紙を見た時に「通った鼻筋はジョンらしいけど、目とか表情は何だかジョンぽくないなあ」と違和感がありました。

日本のビートズル評論家の第一人者である藤本国彦さんの著作ですからきっと高評価に違いないと思ってamazonのレビューを見ると、意外とそうでもないんですよね。

出尽くしたエピソードばかりで目新しい話がないというコメントが多いんですが、それは仕方がないと思います。

ジョンが亡くなってもう40年経ってますから、驚きの秘話みたいなのが今頃出てくるわけないんですよ。

それに著者は日本在住なので、関係者から存分に話を聞けるわけではないですし。

著者が書きたかったのはそういった知らざれるエピソードではなく、ジョンの内面の変化や人間的な成長だったようです。

「ヨーコと出会って愛と平和に目覚めたみたいに言われてるけど、ジョンはビートルズ時代から愛と平和の人でしたよ。ヨーコと一緒になってからそれが具現化したんですよ」

ざっくり言うと、著者の主張はそういうことです。

ジョンが愛と平和の人という側面ばかりで語られるのはどうかと思うと冒頭で語りながら、やっぱり最後は愛と平和の人なんだよという結論に落ち着きます。

ジョンレノンto

さてこの本の中で著者はオノ・ヨーコの存在、言動、行動のすべてを肯定します。

まさにジョン&ヨーコの信条、YES、YES、YESです。

『そして思う。ジョンあってのヨーコじゃなく、ヨーコあってのジョンという見方がもっと広まれば、と。そこまで言わなくても、ヨーコを通してジョンを見る、という”想像力”がもっとあってもいいのにと』

音楽的な面は別として、解散後はヨーコあってのジョンという見方は広まってると思いますが、ヨーコを通してジョンを見るという視点は斬新ですね。

『ビートルズ好きを自任する日本の男性ファンでも、ヨーコを全く受け入れらない人はいまだに多い。ビートルズ・ファンにとって”踏み絵”のような存在。(中略)いわく「小野洋子が分裂の原因」「ビートルズを引き裂いた”ヨーコ”」「魔女ヨーコが英国の財産を台無しにした」などなど……』

『ビートルズ解散騒動のごたごたに加えてもうひとつ、ジョンとのソロ活動についても、ヨーコへの理解がはたしてどのくらいあったのか、甚だ疑わしい。「ヨーコがいなければ…」と口をついて出るビートルズ・ファンは今でもまだまだ多い』

「ヨーコ=悪者」という通説は根強く、今回の『Get Back』公開の際にも「実はそうではなかった」などと記事になってましたね。

でもファンになった時にはビートルズはとっくの昔に解散していてジョンもすでに鬼籍に入っていたという私のような遅れてきた世代には、ビートルズ解散の原因になったからヨーコが嫌いだという気持ちはほとんどないと思います。

彼女がいなくてもジョンの活動はビートルズに収まりきらなくなっていたことでしょう。

『ジョンとヨーコの活動は、音楽に留まらず、映像作品や展示イベント、ステージ・パフォーマンス、さらに反戦・平和活動へと広がっていったが、これだけマスコミに広く登場する機会が多かったのに、それでもなお、ヨーコが正当に評価されていたかというと、これは「NO」と言わざるを得ない。

「DOUBLE FANTASY」が出た時に、ジョンの曲だけを取り出して、いやヨーコの曲は排除して聴いたビートルズ・ファンが世界にどれほどいたことか。

事ほど左様に、ヨーコのことを話題にする際には、決まって”ジョン”が枕詞として付いてくるのだ。

あの強烈なキャラなのだから、生理的にヨーコを受け入れられないという人が世界のあちこちにいることはもちろん知っている。

あの奇声が苦手という人も多い。

でも、あれは、たとえば満員電車の赤ちゃんの泣き声、あるいはヴァイオリンの絃を擦ったノイズのようなものだと思えば、なんてことはない』


音楽を聴いて楽しみたい時に、どうして満員電車の赤ちゃんの泣き声やヴァイオリンの絃を擦ったノイズを聴かないといけないのか(なるほど! それが「REVOLUTION No. 9」か!)音楽愛好家の一人として疑問に思いますが、きっと「ヨーコを全面的に受け入れられない人はジョンを正しく理解できない」と著者は考えているのでしょう。

『そうした誹謗中傷罵詈雑言とも闘ってきた(いや、いまだに闘っている)ヨーコについて、ヨーコとショーンの撮り下ろしの最新写真を表紙にあしらった「NERO」という雑誌で、ショーンはこんな風に語っている。

「母はいつも不運は実は隠れた幸福なのだと教えてくれるんだ。母に悪いことが起こると、僕は母に『どうして憎しみやネガティブなエネルギーに耐えることが出来るの?』と尋ねるんだ。彼女は『柔道や太極拳の達人のように、ネガティブなエネルギーをクリエイティビティーに変えるのよ』と答えるんだ」

ヨーコは、「NO」を「YES」に変える革命的な表現者である』


と本の終盤は、さながらオノ・ヨーコ伝です。

と、ここで表紙を見てハッと気づきます。

この写真のジョン、目とか合成してるの?というくらいヨーコにそっくりじゃないですか。

ジョンレノン伝表紙2

この本はamazonのレビューにあるような、ありきたりなジョン関連本ではありません。

ヨーコに思い切り舵を切った、個性の強いジョン・レノン伝です。

興味のある方は是非ご一読ください。
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写真集「Get Back」を読み解く(トゥイッケナム・スタジオ編)

2021/10/11 20:02|書籍TB:0CM:0
劇場公開が昨年中止になって、今年ディズニープラスで配信することになっている映画「Get Back」。未公開写真と会話の書き起こしによる写真集「Get Back」が刊行されました。

表紙

ゲットバック・セッションについては今までにも書籍が多数あるので、期待と今更の2つの気持ちで読んだのですが、期待を上回る興味深い内容でした。

今まで伝聞や想像でしかわからなかったメンバーの心情が明らかになり、まるでミステリー小説の謎解きを読んだような感覚です。


まず「Get Back(原点回帰)」とは何だったのか? です。

「デビュー当時のようにオーバー・ダビングを行わない一発録り」に回帰しようとした。一般にはそう思われており、Wikipediaなどにもそう書かれているんですが、ポールの発言を読むとそうではなかったことに気づきます。

1月6日ポール

『いや、ほんと、ぼくらはひとつにまとまらないと駄目だ。だって全員がいがみ合ってる。「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」でやったことをくり返してるんだ。ほら、ぼくらは全員でプレイしてる……ぼくの言いたいことがわかるかい?」(1月6日:セッション3日目)

『でもぼくら、ぜんぜん一緒にプレイしてないじゃないか。それが一番の問題だよ。(中略)でもぼくらは今、ここにいるし、ぼくらならできる……とにかく熱意を見せてくれ!』(1月7日:セッション4日目)

これらの発言から「原点回帰」とは「オーバー・ダビングをしない」とか「一発録り」ではなく、「メンバーが全員で一緒にプレイすること」だったことがわかります。

メンバーが一緒にプレイするのはバンドなら当たり前なんですが、その当たり前のことができていなかったのが当時のビートルズだったのです。

ゲットバック・セッションは1969年1月2日から始まりました。その2か月半前の1968年10月半ばまで彼らは「ホワイト・アルバム」のレコーディングをしていたんですが、4人が一緒にスタジオで顔を合わせることは少なく、各自がバラバラに活動している状況でした。

「I Will」の仕上げをジョンとやりたかったが叶わずひとりでやったと、ゲットバック・セッションの中でポールは吐露しています。

「ホワイト・アルバム」発売からわずか1月半という短期間でまたセッションを開始したのは、「ホワイト・アルバム」ではメンバーが一緒にプレイしていなくて、このままではマズいとポールが考えたからなんですね。

「原点回帰」とは「メンバーが全員で一緒にプレイする」ことだったのです。

1月7日ポール


ビートルズは1969年にライブを2回やる計画をしており、ゲットバック・セッションはそのリハーサルでした。しかしライブをやろう、ツアーもしたいというポールに対して、ジョージはライブを頑なに拒みます。

(1月7日:セッション4日目)
ポール『昔は普通にやってたじゃないか。もちろんあのころはみんな、今よりずっとやる気があったけど。(中略)現にぼくらはやっただろ。みんなが大好きなぼくらの映画を――あれをやったのは、まぎれもないぼくらだった』

ジョージ『いや、もしやるっていうのがそういう意味なら、だからこそぼくはやりたくない。一度も好きだったことはないし、やりたがるのはいつもお前(ポール)だ』
『正直、ライブではぼくの曲は1曲もやりたくない。どうせ、ロクでもない出来になるのは目に見えてる……嫌でも妥協の産物になってしまうからだ。でもスタジオなら、いくらでも磨きがかけられる……望みどおりの形になるまで』

騒いでばかりで演奏をまともに聴かない観客の前でライブをやるのは嫌というのがジョージの主張で、1月30日のルーフトップ・コンサートでジョージの曲が1曲も演奏されなかったのにはこんな経緯があったのですね。

10日ジョージ

1月7日には「ビートルズは離婚(解散)するべきだ」とまで言ったジョージは1月10日(セッション7日目)に不満を爆発させて、ビートルズを辞めるとジョンに告げてスタジオから帰ってしまいます。

しかしジョンはジョージを引き留めず、数時間後には『もしあいつが火曜日(1月14日)までに戻ってこなかったら、クラプトンを入れる』と言い出します。ポールとリンゴはこのジョンの発言についてイエスともノーとも言いません。

1月13日(セッション8日目)には『ぼくは単純に戻ってくると思うな。うん、彼は戻ってくると思う』とジョージの復帰を期待するポールに対して、『正直オレは、ほんとに(ジョージが)必要なのかどうかわからない』と発言するジョン。

10日ジョン

ジョージを要らないメンバー扱いするジョンですが、実はその数時間前にはジョンとヨーコが問題児扱いされていました。

13日の午後3時にジョンとヨーコがスタジオ入りする前に、ポールとリンゴ、スタッフらが二人について話し合っています。

13日ポール話し合い

ポール『答えはいつだって、ふたつしかない――ひとつはこの状況と彼女と闘い、ビートルズをヨーコのいない4人組に戻すこと。そして重役会の席では、彼女に座っていてくれと頼むことだ。それが駄目なら、彼女の存在を受け入れるしかない。ジョンがぼくらのために、彼女と別れるとは思えないからね』
『だからぼくが思うに今、ジョンが関心があるのは……ヨーコとビートルズのどっちを取るのかという話になったら、今は明らかにヨーコに分がある』
『だからそれがあのふたりの世界なわけで、いくら「これについてはやりすぎはなしだ、もっと分別を持ってくれ、彼女をミーティングに連れてくるな」と言っても無駄なんだ』

ジョンとヨーコの態度に頭を痛めるポールの姿が目に浮かびます。

映画「レット・イット・ビー」ではジョンの横で黙って座っているだけのヨーコですが、実はとても積極的に発言していたようなんです。

13日ジョンとヨーコ

例えばセッション3日目の1月6日、ライブ開催についての話し合いの中で、

ヨーコ『あら、空っぽの椅子の方がずっとドラマティックかも知れないわよ。ほら、空っぽの椅子が2000個並んでたら、その方がずっとドラマティックじゃない』
『(強い口調で)それと世間の人たちは、バンドに今、どういう客層がついてるのかを知りたがってるでしょ。それはティーンエイジャーとかじゃなくて、“世界中の無名のみんな”であるべきよ……コスチュームを着た人を呼んだりしたら、「ああ、ああいう客層なのか」と思われるし、それはとても危険なことなの……」

まるでビートルズのメンバーかマネージャーになったかのような発言ですよね。側にいるジョンは口をつぐんだままで、ヨーコが代理人のようにベラベラと話すわけです。

ヨーコの存在については、ヨーコに夢中になったジョンの気持ちがビートルズから離れたのが解散の一因だと私達は認識していますが、実際にはそれだけでなく、ヨーコがビートルズの運営に口を出すようになったのも一因だったようです。

だからポールの『重役会の席では、彼女に座っていてくれと頼むことだ』なのですね。

そしてジョンとの関係について、ポールはこう言っています。

『それは僕らが一緒にプレイしなくなったからだ。一緒にプレイしなくなってからはずっと……。(中略)そう、だって一緒にプレイしてたころは、一緒に暮らしてるようなものだったから。(中略)1日中そうやって身近にいると、おのずと何かが生まれてくる。(中略)だからぼくらはとにかく、たくさん仕事をするべきだと思う――そうやって、なんていういか……ハードな時代に逆戻りするんだ』

ジョンの気持ちをビートルズに引き戻すために。昔みたいに親密な関係に戻るために。

そのためにライブをやろう! ツアーに出よう! 逆戻り(Get Back)しよう!

というわけです。

ポールの健気さに胸が切なくなりますね。


あのセッションの裏でこんなに濃厚な人間ドラマが展開していたとは。

トゥイッケナム・スタジオでの最初の2週間だけでも盛りだくさんです。

語りたいことは他にもたくさんありますが、すべて語りつくすとこれから読む人に申し訳ないですし、長くなったのでこの辺りで記事を終わりにします。

劇場版「Get Back」をますます観たくなりましたが、ディズニープラスに加入してないんですよね、私(涙)
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『ブラックバード ポール・マッカートニーの真実』を読んで

2021/09/20 17:38|書籍TB:0CM:4
十数年ぶりに読み返しました。いわゆる暴露本です。

ブラックバード表紙

読み返す前に覚えていた内容は

①交通事故で瀕死の日本人女性を道端でポールが優しく介抱した。

②ウイングスのメンバーの給与は驚くほど少なかった。

③リンダはウイングスのメンバーに対して高圧的だった。


という3つくらいで、当時の私の感想は

①については、ポールの慈愛の心を感じるエピソードだな。

②については、ポールはお金にうるさそうだから、そうだったのかも知れないな。

③については、リンダは包容力のある大らかな女性のイメージなんで、思ってたのと違うな。


というものでした。

どうして今また読んでみようと思ったかというと、ウイングス時代のポールを知ることができる本として「デニー・レインが取材に協力しているから、信憑性は高いかもしれない」と某ムック本でこの著作が紹介されていたんですよね。

本の序文でデニー・レインが「もし本当のマッカを知りたければこの本を読むんだね。これほど慎重に書かれた注目に値する評伝は、この先も簡単に現れないだろうよ」と書いています。

内容はというと、前半は出生からビートルズ解散までのポールの女性遍歴と隠し子騒動について、後半はウイングス結成から日本での逮捕・ウイングス解散までの薬物常習歴と人間関係を中心に書かれています。

この本の注目はやはり後半のウイングス時代でしょう。この頃のポールの評伝はあまりありませんし、内部にいたデニー・レインが取材に協力しているわけですから。

デニー2

さてウイングスのメンバーの給与についてですが、この本によると歩合制ではなく定額制で、結成当初は週35ポンド、途中から値上がりして週75ポンドだったそうです。

1970年代のポンドは安い時期は1ポンド300円台、高い時期は800円台と変動が大きいんですが、例えば1ポンド600円で計算すると、週35ポンドは年収約111万円、週75ポンドは約240万円になります。1970年代と今では物価が違いますので、仮に今の5倍の価値があると考えると、週35ポンドは年収555万円、週75ポンドは年収1200万円に相当します。

定額制なのでレコードが何枚売れても、ツアーで何万人動員しても給与は変わりませんので、世界トップクラスの人気バンドのメンバーとしては、なるほど少ないと感じますね。

ポールは音楽はもちろん何でも自分の思い通りにしなければ気が済まず、他のメンバーに対しては高圧的で、「給料の高いセッション要員くらいにしか扱われていない」とデニー・レインは感じたこともあったそうです。

ウイングスのメンバー交代が激しかったことを考えると、全くのデタラメではないのでしょう。

ちなみにリンダの態度について非難しているのは主にジョジョ(デニー・レインの元妻)であり、ジョジョとリンダの間には女同士の嫉妬じみた感情があったようです。

メンバーの中で少なくともデニー・レインははリンダの存在を特にストレスには感じていなかったみたいです。彼女が音楽家として素人であることも、マッカートニー夫人ということで許容できたのだと思います。

ブラック2

興味深かったのは、1980年の日本でのポールの逮捕ついての記述でした。

ご存じの通り大麻所不法所持のため成田空港で逮捕されて、それを機にウイングスは活動停止・解散に至るわけです。

ビートルズのファンは「馬鹿なことやったなあ。呆れた行為だなあ」と割とポールの側に立った感想を持っているものですが、メンバーの側に立つと「ポールは身勝手すぎる! 絶対に許せない!」になるんですよ。

ポールとウイングスを一般社会にあてはめると、ポールはウイングス商店の社長で、メンバーは商店から給与をもらってる従業員なんです。その社長のきわめて個人的な不祥事のせいで商店は営業停止になり、従業員のこれからの生活も不透明。ポールは社員のことを考えない駄目社長だというわけです。

日本での逮捕は日本公演の中止だけにとどまらない、ウイングスにとって重大な事件だったんですね。


しかしながら1989年のGet Back Tour以降のバックバンドのメンバーは比較的固定されていましたし、現在のポールの健康的な生活をみると、今のポールとこの本の頃のポールは随分と違っているのだろうと思います。今のポールが大麻を吸うなんて想像できませんから。

長年のファンなら「そういうこともあったかもね」とか「そういう駄目なところも愛嬌だな」と受け止めることができる内容ですが、ポールのイメージダウンになる暴露本であることは間違いありません。

真偽のほどは定かではないですし、もちろんポールにはポールの言い分があると思いますけども。
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『パティ・ボイド自伝』を読んで

2021/05/17 14:15|書籍TB:0CM:0
前から気になっていたパティ・ボイドの自伝を読みました。
パティボイド自伝

このブログを読んでくださる方の多くはご存じだと思いますが、パティはビートルズの頃のジョージと結婚し、離婚後にエリック・クラプトンと再婚(後に離婚)した女性です。

モデル時代に映画『ハード・デイズ・ナイト』に女子高生役のエキストラとして出演した際にジョージと出会い、すぐに恋仲になって1966年に結婚しました。

この本では生い立ちから現在に至るまでが書かれていますが、もちろんジョージとの出会いからクラプトンとの離婚までに多くのページが割かれています。

パティの存在は知っていても、その人となりや生涯についてはほとんど知りませんでしたので、ロック界のレジェンド二人との恋愛と結婚、そして別れを振り返った本作はとても興味深い内容でした。

印象に残ったことをいくつかご紹介したいと思います。


1965年にパティはジョージと一緒にキンファウンスという家で暮らし始めます。キンファウンスは『ホワイト・アルバム』のデモ音源(通称イーシャー・デモ)が録音されたことで有名ですね。

キンファウンスの家の中にはいたるところにギターが置いてあり、ジョージは家の中で朝から晩までギターを弾いて曲作りをしていたんだそうです。

私にはこれが意外でした。

ビートルズの曲作りはもちろんジョンとポールの二人がメインです。ジョージはたまに曲を書いて、良いのができたらメンバーに聴いてもらうのだろうくらいに思っていたんですが、まだツアーやアイドル映画に出ていた1965年頃にはもう、ジョージは一生懸命に曲作りに励んでいたのです。

しかもジョンとポールは一緒に曲を作ったりするんですが、ジョージには声もかからないわけです。

自作曲を評価してもらえない不満をジョージが抱くのは、ビートルズ後期からだと思っていたんですが、きっともっと前から悔しい思いを募らせていたのでしょうね。


キンファウンスから1970年にフライヤー・パークに二人は引っ越します。この家はアルバム『オール・シングス・マスト・パス』のジャケットや「Crackerbox Palace(邦題:人生の夜明け)」のPVなどにも使われています。

フライヤー・パークは東京ドーム約3個分の広さの敷地に建つ邸宅で、当時の価格で14万ポンド(日本円で約1億2千万円)、今の物価に換算するとおよそ9億円の豪邸です。
フライヤー・パーク

ビートルズの活動が終了して、『オール・シングス・マスト・マス』をリリースしたこの頃のジョージは枯れた哲学者のような外見なんですが、暮らしぶりは贅沢だったようです。
オールシングスマストパス

ジョージはここで、ある時は瞑想にふけり、ある時はコカインを吸って仲間と大騒ぎをし、音楽関係者やクリシュナの信徒を招き、泊まらせ、居候させるようになり、お互いがどこにいるのかもわからないような広い邸宅の中で、パティは疎外感と孤立を深めていきました。

ジョージは包容力があって優しい一方、亭主関白で浮気が絶えず、キンファウンスに住んでいた頃から少しずつ亀裂が入っていた夫婦仲が、フライヤー・パークに引っ越してからさらに悪くなります。

この頃、ジョンはヨーコとの活動に没頭し、ポールはリンダと二人で農場に引きこもっていました。

ビートルズという枠が外れて、ジョンとポールの気持ちがプライベートへと向いたのに対して、ジョージの気持ちが外へ外へと向いたのは、ビートルズで三番手として抑圧されていたものが一気に溢れ出たからのような気がしますね。


さて、そんなパティの前に現れたのがエリック・クラプトンです。

クラプトンとパティが出会ったのは1960年代後半で、まずクラプトンが彼女に一目惚れしました。しかし親友の妻ですから気持ちを打ち明けることができず、1970年にパティにラブレターを書くのです。ジョージとの関係が次第に悪くなっていたパティは、クラプトンと密かに交際を始めます。

ですが、駆け落ちしようというクラプトンの誘いをパティが断ったことから関係はいったん終わりを迎え、傷心のクラプトンはその後3年ほどヘロイン中毒になりました。

と書くと、クラプトンはとても一途で純情な男性のようですが、パティに恋してヘロイン中毒になる間にも、同時進行でたくさんの女性と交際していました。その中にはパティの妹もいて、パティもそれを知っていて彼と交際していたのですから、このあたりは常人には理解しがたい心情ですね。

のちに二人は寄りを戻して結婚しますが、クラプトンは自分本位で周りへの気遣いがなく、ジョージよりも浮気がひどかったそうです。さらにヘロイン中毒から脱したクラプトンは、今後は重度のアルコール依存症に陥り、さらにツアーによる長旅などで安らぐことのない生活だったようです。


彼らとの生活を振り返ってパティは、ジョージとの愛は大きく穏やかで、手放したことを後悔していると書いています。一方、クラプトンとの愛は情熱的だったが心が休まらず、お互いのために離婚してよかったと思っているそうです。

なおクラプトンの名誉のために付け加えておくと、ヘロイン中毒とアルコール依存症を克服した現在の彼はとても真面目で、面白味がないのを不満に思うくらいらしいですよ。

ジョージとクラプトン

ジョージとクラプトン - コピー

ジョージとクラプトンとのエピソードを本にしないかという話を、パティはずっと断っていたんだそうです。

しかし、人生を一緒に過ごしてきた人達が病気や事故、あるいは自死でいなくなる中で、いま自分が生きていることが嬉しい、自分の人生が素晴らしいものだと思えるようになったので、彼女はこの自伝を出版したのでした。

なのでこの本の原題は『Wonderful Today』なんですね。もちろんクラプトンが彼女のことを歌った「Wonderful Tonight」のもじりです。

この自伝は単なるロック・スターの暴露本ではなく、ロック・スターに愛されて波乱の人生を過ごした女性が、自分の人生を見つめなおして自立する物語なのでした。
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皆様への感謝とビートルズ来日記念

2020/06/29 17:33|書籍TB:0CM:0
大変ご無沙汰しています。約6か月ぶりの更新になります。
ブログ主はもうブログを辞めてしまったのではないかと考えておられた方もいらっしゃると思いますが、辞めたわけではありません。

新型コロナウイルス感染が世界的に流行し、音楽業界も活動停止を余儀なくされて、ビートルズに関するニュースもあまりなかったので、書きたくなるニュースがないなあと思っているうちに、こんなに期間が開いてしまった次第です。

さて今回久しぶりに新たな記事を書こうと思った理由は2つあります。

まず1つは、皆様に感謝の気持ちを伝えたかったからです。

このブログは「人気ブログランキング」の音楽(ロック・ポップス)部門に参加しています。
アフェリエイトもしてない純粋な趣味のブログなので、ランキング上位になることが目的ではないのですが、やはり上位にランクしていると「たくさんの人が読んでくれてるんだな」と励みになります。

そしてこの半年の間、当ブログはランキングトップ10から落ちることがありませんでした。新しい記事を一つも更新していないにもかかわらず。

ブログの読者の方々がこのページを訪れて「なんだ、まだ更新してないのか」と呆れつつも、「更新待ってるよ」と応援する気持ちでブログの下方を「ポチッとひと押し」してくれていたおかげだと思うのです。

感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

そして記事を書こうと思ったもう1つの理由は、54年前の今日、6月29日がビートルズ来日の日だからです。来日記念の日に皆様に感謝を伝えるとともに、新しい記事をお届けしたいと考えました。


さて久々の記事はビートルズ本の紹介です。その名は「ビートルズ来日学」

ビートルズ来日学

ビートルズ大学という研究会を主催されている宮永正隆さんが2016年に出版した本です。

日本に向かってハンブルグを出発してから、マニラに向かって羽田を飛び立つまでのビートルズの行動を、残された写真などの資料と当時の関係者への詳細なインタビューをもとに検証した来日ドキュメントです。この本の「関係者」は音楽業界人ではなく、飛行機の乗務員やホテルの従業員、テレビ中継のスタッフ、ホテルに出入りした紳士服や土産物屋の店員など、実際に身近にビートルズと接した人達ばかりで、とても詳しく当時の様子が説明されています。

参考として「4人が着ていた法被について」と「客室乗務員からみたメンバーの印象」をご紹介したいと思います。

ビートルズに日航の法被を着てタラップを降りてもらおう。そう考えたのは日航広報部でした。ビートルズに日航機に乗ってもらうために日航はビートルズとスタッフにファーストクラスの切符を無料で提供していたので、せめて宣伝になることをと考えたようです。
タラップ法被

ちなみに機内の見取り図がこちら。
機内見取り図

ファーストクラスとエコノミークラスとの境目は扉ではなくカーテンのみで、エコノミーの乗客がビートルズに会いに来ることが物理的に可能だったそうです。
実際には誰も来ず、またそんな事態に備えてか、ブライアン・エプスタインがファーストクラスの一番後ろの席に座っていました。
また日航機「松島」は途中でアンカレッジでトランジットし、9時間ほどしてからまた離陸したのですが、ハンブルグからアンカレッジまではファーストクラスにビートルズとは無関係な一般人が4人乗っていて、そのうちの1人は50~60歳代の日本人男性だったとか。

さて法被なんですがハンブルグから搭乗してすぐに、ビートルズは物珍しさもあって法被を着たそうです。世に出回っている以下の写真はハンブルグからアンカレッジへ向かう機内の様子です。みんな法被を着てますね。
法被1
法被3
法被5

しかしアンカレッジでいったん降りるときに法被を脱ぎ、同地から再び搭乗してからは興味をなくしてしまったのか、もう一度着るよう勧めてても4人は法被を着なかったんだそうです。「法被を着て機内でくつろいでいた」のはアンカレッジまでなんですね。

羽田に着いたときに法被を着てもらいたい日航スタッフ、具体的にはその使命を受けていた客室乗務員は困ります。

そしてしばらく後に乗務員の植村さん(男性)がラウンジに一人でいたポールに向かって「これを着ればもっと機内で楽に過ごせますよ。もし気に入ったら、羽田でこれを着て降りてください。差し上げますから。普通はあげないんです」とまた勧めたところ、「じゃ着てみようかな」と、ようやくポールが法被を着ました。

他の乗務員の重岡さん(男性)によると、アンカレッジに着陸する直前に「トランジット中、このまま着ていていいか?」と法被を着たポールが尋ねたそうで、ポールはけっこう法被を気に入っていたんですね(法被は機内のみというルールがあり、アンカレッジで降りるときには脱ぎました)。

そして羽田到着30分くらい前になってポールがラウンジから客室へと戻り、ポールの法被姿を見たジョージとリンゴも植村さんに法被をもらいにきました。

でもジョンは法被をもらいにきませんでした。ではどうやってジョンに法被を着せたのか。

ここで別の乗務員、コンドンさん(女性、旧姓:川崎さん)の登場です。飛行機が羽田空港に着陸して滑走路を走っているときに、ジョンはまだ法被を着ていませんでした。そこでコンドンさんは最後のチャンスだと思って言います。

「降りるときにハッピ・コートを着ていただけたら、日本のファンはきっと大喜びすると思いますよ」

するとコンドンさんに勧められたジョンは「Oh ! Good idea !」と言って法被を手に取ったのでした。タラップへと出る直前のことです。

タラップで手を振る4人が着ていた法被には、こんな裏話があったのです。
降りる直前法被


ところでビートルズ一向を担当した客室乗務員には、ブライアン・エプスタインからビートルズがサインした扇子がプレゼントされました。凄いお宝ですよね。
サイン扇子

それとは別に個人でサインをもらった方もおられるのですが、メンバーに対する印象が人によって違うのが面白いです。

ハンブルグからアンカレッジまでビートルズを担当した重岡さんは、4人の様子をこう述べています。

「シートベルト・サインがオフになって、3人がバァーっとラウンジに来てシャンパンを頼んですぐカードを始めましたよ。ジョンだけはほとんどの時間、自分の席でずっと何か難しそうな本を読んでましたね」
「ジョンは自分の席でじーっと本をすごく眼に近づけて見てましたよ。3人とはまったく交流なし。リーダーという雰囲気が漂ってましたね。最初から最後まで」

重岡さんからみてジョンはとても気難しい人だったようです。4人にサインをもらうときもまずポールに頼んで、つづいてリンゴ、ジョージも書いてくれたんですが、ジョンに頼んだら、チラッと重岡さんを見てからすぐに本に目を移して無視したんだそうです。

するとしばらく経ってポールが「ジョンのサイン、もらった?」とやってきて、まだだと知ると「そしたら僕がもらってやる。一緒においでよ」とジョンのところに行き、「美味しいディナーを我々のために提供してくれたじゃないか、そのお礼としてちょっとサインしてあげなよ」と言ってくれたんだそうです。そのサインがこちら。実物はA3サイズですから大きいです。ジョンの筆跡が苛立たしげですね。
サイン重岡

いっぽうコンドンさんは違った印象を持っています。コンドンさんがまずジョンにサインを頼むと、ジョンは快く引き受けて「To Satoko」と名前まで入れてサインをしてくれた上に、ジョン自らが他のメンバーにサインをもらってくれたんだそうです。驚きでしょう?

コンドンさんは「私としては『どんなことでもジョンにさえ言えば彼がやってくださった』という印象」「あとのかたたち(注:ジョン以外)は皆さん無口で無口で、正直いって近づき難かったんです」と、重岡さんとは全く異なる感想を述べておられます。

ジョンはコンドンさんのことを気に入っていたのでしょう。だから彼女に勧められたら、すんなりと法被を着たのだと思います。コンドンさんはタラップでの法被姿の立役者ですね。
サインコンドン


これらの他にも機内でのエピソードとして、ジョンがコックピットに入った話や、ポールが重岡さんに「イエスタディ」を歌った話、羽田の前に横田基地に寄ってビートルズ一向だけ降ろす計画など、たくさんあります。

でも、まだビートルズは日本に降りたってないんですよ。それでもこれだけ面白い話がこの本にはいっぱいあるわけです。ホテルに入ってからの毎日の生活、武道館での公演、テレビ中継の裏側など、離陸するまで話題が満載です。

そして何よりこの本の魅力は、ビートルズの4人がとても身近に感じられることです。詳細な検証とインタビューのおかげで、飛行機の中で、ホテルの部屋で、武道館で、まるで自分がビートルズと一緒に過ごしているような気分になります。

ぜひ読んでみてください。ビートルズファンなら満足すること間違いありません。

そしてこれからもこのブログをよろしくお願いします!
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『ビートルズはこうして誕生した』

2019/02/28 15:05|書籍TB:0CM:4
以前に買ったまま読んでいなかったアラン・ウイリアムズ著「ビートルズはこうして誕生した」を読了しました。
ビートルズはこうして誕生した

アラン・ウイリアムズは1960年春から1961年4月までの約1年間、デビュー前のビートルズのマネージャーをしていた人物で、2016年12月30日に86歳で亡くなりました。
⇒『アラン・ウイリアムズ死去とポール来日!』
allan williams2

この本は1975年に出版された回想録で、デビュー前のビートルズとの係わりについて書かれたものです。

アラン・ウイリアムズについて今まで、強欲な山師のようなイメージを私は持っていたんですが、この本では常識的な普通の興行師という感じでした。

出版当時はどうだったかわかりませんが、暴露本という程センセーショナルな内容ではなく、特定の誰かをひどく非難するようなことは書かれていません。まあ、ジョンは我が強くて扱いにくかったようですが。


読み終えて印象に残ったのは、本の最後のエピソードです。ハンブルグのスタークラブでのデビュー前のライブ音源を1972年に入手したアラン・ウイリアムズが、そのテープをビートルズに買い取ってもらおうとアップル社を訪ねた時のことです。

事務所にいたジョージとリンゴの2人とやり取りをするのですが、その時にジョージがこう言ったというのです。

「信じてくれようとくれまいと、本当に僕らは文無しも同然なんだよ。 (中略) 僕たちが稼いだ金は、みんなこの会社と税務所に持っていかれちゃうんだ。 (中略) 僕たちの金はみんな押さえられていて、全然自由にならないんだよ。 (中略) 自由になる金があれば、五千ポンドでも一万ポンドでも、今すぐ払うさ」

五千ポンドは当時の日本円換算で400万円くらいです。テープを買い取るつもりが最初からなかったのかも知れませんが、自分達の判断で400万円ほどの支払いを決める権限がジョージとリンゴになかったのは事実なんでしょう。

ビートルズ解散時のアップル社やマネージャー問題の混乱を実感するエピソードです。

このやり取りには続きがありまして、明日が妻の誕生日だから何とかお金を工面してもらえないかと食い下がるアラン・ウイリアムズに対して、ジョージはポケットからルビーの原石16個を取り出して昔のよしみだからとアランに与え、彼の妻に宛てて誕生日のメッセージカードを書いてくれたんだそうです。

どうしてジョージがルビーの原石を、しかも16個も持ち歩いていたのかはわかりませんが、ジョージの優しさをうかがわせるエピソードですよね。


そしてもう一つ、はっとしたエピソードがありました。

決まったドラマーがおらず、ビートルズがまだまだアマチュアバンドだった頃の話です。文章をそのまま引用します。

「彼らはパーシー・ストリートとギャンビア・テラスの角の棟割長屋に巣食っていた。陽気が寒くなってくると彼らはアパートの床でテーブルや椅子を燃やして暖をとるので、家具の類はとうの昔に失くなっていた。彼らはボヘミアンを気取ったつもりで家具を燃やしたりしていたのだと思う。」

さて、アルバム「RUBBER SOUL」収録の「NORWEGIAN WOOD」の日本語タイトル「ノルウェーの森」は誤訳であり、「ノルウェー産の木材」「ノルウェー産の家具」と訳すのが正しいというのは近年よく知られていることです。

そして「NORWEGIAN WOOD」の最後の歌詞なんですが、

So I lit a fire

Isn't it good, Norwegian wood


は、一般に

俺は暖炉に火を入れた

いいんじゃない、ノルウェーの森みたいで


と和訳されています。

その他、「俺は明かりを灯した」なんて和訳されることもあります。

ですが、この部分は

俺は家具に火を付けた

(よく燃えて)いいんじゃない、ノルウェー産の家具は


が正しい解釈なんじゃないかと言う意見も以前からありまして。

「下心をもって女の子の部屋に上がり込んだけど、いっぱい食わされて一人ぼっちになった」という内容の歌ですから、ジョンのそんなブラックジョークもありかな、でも腹いせに家具に火を付けるなんてさすがにあり得ないよな、と私は半信半疑だったんですが。

しかし、デビュー前のジョン達のこのエピソードを知った今、やはり家具に火を付けたという意味なんだろうと確信しました。


「私はビートルズがショウ・ビジネスの歴史はじまって以来最大のスターになろうとする、その寸前に彼らを手放してしまった。そのために私が幾晩も眠られぬ夜を過ごしたことであろうと読者が想像されたとすれば、その想像は当たっている。」

と、まえがきの中で書いているアラン・ウイリアムズですが、ビートルズに対してもブライアン・エプスタインに対しても、本文中ではそれほど恨みがましいことは書いていません。

きっと気のいいおじさんだったのだろうと想像します。

ご冥福をお祈りするとともに、若き日のビートルズを支えてくれてありがとうと感謝の念を贈ります。
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allan williams







ゲット・バック・・・ネイキッド 1969年、ビートルズが揺れた21日間

2017/02/14 14:35|書籍TB:0CM:4
最近読んだ本の紹介です。

藤本国彦著
「GET BACK...NAKED 21DAYS THAT ROCK'N'ROLLED THE BEATLES IN 1969~ビートルズが揺れた21日間」
Get Back表紙

1969年1月2日から1月31日までの通称「ゲット・バック・セッション」を振り返るという、今までにありそうでなかった内容で、一日の出来事を2ページずつで紹介しています。

「ゲット・バック・セッション」を時系列で解説した本は他で見たことがなく、セッションの始まりから終わりまでが簡潔にわかるようになっていてとても面白いです。ジョージが一時脱退する前後の様子や、ジョンのジョージに対する辛辣な態度が生々しく感じられます。

ですが、「ゲット・バック・セッション」についての本のはずなのに、セッションについてのページは全体の3分の1くらいしかないんですよねえ。ビートルズの活動がリアルに感じられる内容だけに、ボリュームが少ないことがとても残念です。

あとはこのセッションがどういう過程で「Get Back」というアルバムに編集されて、それが「Let It Be」というアルバムになったのか。そしてビートルズの全アルバムのジャケット・デザインの解説。巻末に意図不明な「女子高生 放課後ロンリー・ハーツ・クラブ」という漫画が収録されています。

アルバム「Get Back」~「Let It Be」の制作過程も興味深い内容です。

アルバム「Get Back」が発売されなかったので、編集したグリン・ジョンズの名前はビートルズ史では概ね低評価なんですが、ビートルズ以外にもローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、スティーヴ・ミラー・バンド、ザ・フー、イーグルス、エリック・クラプトンなどを手掛けたロック界の名プロデューサーです。そのグリン・ジョンズが「Get Back」を編集した際に、印税は要らないからアルバムに制作者の名前をクレジットしてほしいと希望した話などは、当時からビートルズの存在が別格で、ビートルズの制作にかかわることがいかに名誉であったかが感じさせるエピソードです。

またフィル・スペクターの依頼で「The Long And Winding Road」のオーケストラ・アレンジを加えたリチャード・ヒューソンは、それから1年間はポールとジョージ・マーティンから口をきいてもらえなったそうですが、その後にポールから「My Love」のアレンジを依頼され、その時にはポールからの指示は特になく ヒューソンの好きなようにやらせてくれたんだそうです。「The Long And Winding Road」にオーケストラ・アレンジを加えたことに激怒していたポールですが、アレンジそのものは実は高く評価していたようです。

そして既存のビートルズ本とは趣を異にするこの本のもう1つの大きな特徴は、その形。

上の写真でおわかりのように長方形ではなく台形の本で、おまけに中のページがすべていびつになっていて、辺と角がばらばらです。
Get Backページ

これは本の中でも書かれている「今までにないことをやる」というビートルズの精神を引き継いだ趣向のようです。

楽しい遊び心にうれしい気持ちにはなるんですが、この凝った製本のせいで値段が3000円(+税)と高くなってるのかも知れません。

内容の面白さは間違いないので、機会があれば是非お手に取ってみてください。
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書評 「ビートルズの真実」

2016/01/25 21:35|書籍TB:0CM:0
ずっと前に買ったまま読まずにいた「ビートルズの真実」を読みました。
ビートルズの真実

対談形式でビートルズの生い立ちから解散後までを語っており、私はとても興味深く面白く感じて読了しましたが、ビートルズ・ファン初心者向きの本ではないです。

文庫本で550ページ程ある分厚い本でして、メンバーの生い立ちから時代順に話は進むんですがビートルズ・デビューまでなかなかたどり着かず、338ページ目でようやくジョージ・マーティンの下で初レコーディングしますけど、460ページ目でもう解散しちゃいます(笑)

レコード・デビューまでに約340ページ、デビューから解散までに約120ページ、解散後に約90ページと、ビートルズ本でありながら“ビートルズ前”に偏ったページ配分なんですが、それだけビートルズ4人の生い立ちや性格・人間性に重点を置いた内容なんですよね。

対談といっても単なる個人的な感想や思い入れを語っているのではなく、なるべく根拠となる証言や出典が示してあり資料としての価値も高いと思いますし、通常の音楽雑誌の対談やエッセイではあり得ない内容の深さなので、ビートルズのことは大概知ってるつもりの私のようなファンでも十分楽しめました。

ただし著者のお二人はビートルズをべた褒めするようなところはなく、むしろ辛辣な発言も多数みられ、読んでいて心が痛むところも多々ありました。

解散後にジョンが「ポールの悪口を言っていいのは自分だけ」みたいな発言をしてますよね。ポールのことをよく知っていて愛情があることの裏返しだと思いますけど、この本にもそんなビートルズへの知識と愛情の裏返しのようなものを感じます。

それに憤るほど私も真っ直ぐなファンではないですが、読み終わってから、ビートルズの4人とは個人的には付き合えないかなと感じてしまいました(笑) ネタバレになるので書きませんけど、メンバーの性格と女性関係については他の本ではまずみられないような内容です。

ビートルズと熱愛中みたいなファンの方にはちょっと勧めにくいですが、長年連れ添った夫婦のような心境のファンの方にはきっと満足できる本だと思いますよ(笑)
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期待外れ「ブライアン・エプスタイン ストーリー」

2015/07/23 13:42|書籍TB:0CM:2
前回の記事でご紹介した「ザ・フィフス ビートル ブライアン・エプスタイン ストーリー」を読み終えました。

ブライアン・エプスタイン・ストーリー

私の感想を一言でいうと、期待はずれ、です。

まず、思っていたよりもビートルズのメンバーとのやり取りはでてきません。

ビートルズ物語でなくエプスタイン物語ではありますが、エプスタインの生涯が注目されるのは彼がビートルズのマネージャーで「5人目のビートル」だったからですので、内容にもっとビートルズの話を盛り込むべきだったと思います。本のタイトルは「5人目のビートル」なんですから。

キャバーンクラブでのビートルズとの出会い、ピート・ベストにグループを辞めるよう話したこと、シェイ・スタジアムでのコンサート、ツアーを辞める決断。

エプスタインについて、ビートルズ側からみればこのあたりはとても重要なエピソードだと思うんですが、いずれもがとてもあっさりしていたり、全く触れられていなかったりです。

アルバム「ラバー・ソウル」を作ってしばらくすると、今度は「サージェント・ペパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を完成させ、いつの間にかインドに行っていたりと、ビートルズの行動も予備知識のない方にはわかりにくいと思いますし、またビートルズのメンバーの心情は全く描かれていません。

エプスタインの孤独を考えるときに、ビートルズが成長するにつれてマネージャーとして友人としてビートルズがエプスタインを必要としなくなっていき、その心の隙間が次第に大きな穴へと拡がっていく過程を抜きにはできないと思うんですが、そこがうまく描かれていません。

ビートルズにとってはマネージャーはエプスタインでなくてもよかったんじゃないか、メンバー達もそう思っていたんじゃないかと、むしろそう感じてしまう内容です。

また本のあとがきで「ビートルズのことは広く知られているのに、エプスタインのことはほとんど知られていない事実に云々」とありますが、同性愛のことはもちろん、この本に描かれていることはビートルズファンなら大体知っていることばかりです。

この本で私が初めて知ったこととしては、(この本の内容が事実なら)エプスタインが同性愛の恋人から金銭的に脅されていたというくだりなんですが、このエピソードのために、エプスタインは自分が同性愛者であることに悩んでいたというより脅迫されていたことに悩んでいたような印象を受けてしまい、かえってエプスタインの苦悩がわかりにくくなっている気がします。

実際のところこの本はビートルズファンのためのエプスタイン物語というより、エプスタインを題材に同性愛者の人権を考えるための本という趣きです(あとがきにもそれらしい記述が少しあります)。

全編水彩画のきれいな絵は一見の価値があると思いますが、エプスタインとビートルズの物語では決してありませんので、これから読んでみようと思う方はそのあたりを期待しない方が、かえって楽しめるのではないかと思います。
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