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              私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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プロフィール

東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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謎と奇跡の人 ブライアン・エプスタイン 後篇

2018/09/24 13:08|その他TB:0CM:2
前篇で、ブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーになったことはとても不思議なことであり、その不思議がビートルズのレコードデビューという奇跡を起こした、というところまでを書きました。

ビートルズのデビューが奇跡? ビートルズほどのバンドならデビュー出来たのは当たり前で、エプスタインがいなくてもデビュー出来たでしょ。

というのが、現代の私たちの感想だと思います。

しかし1962年当時の状況を省みると、ビートルズのデビューはエプスタインが起こした奇跡、エプスタインがいなければ無かったであろう奇跡だと言わざると得ません。


エプスタインがデッカ・レコードに売り込み、1962年1月1日にオーディションを受けたが不合格→次にEMIに売り込む→ジョージ・マーティンの目に留まりデビューが決定。

ビートルズのデビューの経緯についての認識は、一般的にはこのようなものだと思います。

ビートルズを不合格にしたデッカは見る目がなかった、愚かだった、と私たちは考えています。

しかし、デッカは見る目がなかったと言えるのは、ビートルズの成功を知る今だからなのです。

デッカで不合格になった後、エプスタインはパイ、フィリップス、オリオールにもビートルズを売り込みましたが、いずれも却下されています。

デッカの判断は当時の音楽業界では極めて妥当だったわけです。

いやいや、そうは言ってもEMIはビートルズをデビューさせたじゃないか。他のレコード会社に見る目がなくて、EMIには見る目があったということじゃないの?

と思う方もおられるでしょうが、実はEMIも当初はビートルズを不合格にしているんです。それも、後にビートルズのプロデューサーとなるジョージ・マーティン自らが。


エプスタインのEMIへの最初のアプローチはデッカと同時期の1961年12月に行われ、この時に4人の責任者がデモ音源を聴いたうえで却下されたのですが、この4人のうちの1人がジョージ・マーティンなんです。

ただしこの時のデモ音源とはトニー・シェリダンのシングル「マイ・ボニー」で、バックバンドとしての演奏ではビートルズの魅力が伝わらなかったのかも知れません。
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そこで、2月にエプスタインは再度EMIを訪れ、ジョージ・マーティンに今度は1月1日のデッカ・オーディションでの演奏を聴かせます。

が、この時も却下。デッカでの演奏を聴いたジョージ・マーティンはビートルズに契約するに値する魅力を感じなかったのです。


本来ならここでビートルズのデビューはなくなってしまうところでしたが、思わぬ幸運がめぐります。

2月上旬にエプスタインがHMVを訪問した際に、デッカでの演奏を聴いたシド・コールマンという人物がビートルズを気に入ります。

そしてシド・コールマンはEMI系列の音楽出版社の責任者であり、ビートルズの楽曲の著作権を自分の出版社で扱いたいと考えて、ビートルズとの契約をEMIの専務に進言したのです。

系列出版社からの進言を断りにくかったEMIの専務は、ビートルズとの契約をジョージ・マーティンに託しました。

ビートルズの件がジョージ・マーティンに委ねられるはこれで3度目。

さらにこの案件はジョージ・マーティンが自ら進んで取り組んだことではなく、EMIから懲罰的に押し付けられたものだったのです。

というのは、ジョージ・マーティンは当時報酬のことでEMIともめており、さらに社内不倫がばれて立場が悪くなっていたのでした(あの紳士のジョージ・マーティンが不倫とは驚きですが、その後 正式に結婚しています)。


そして3度目の遭遇でジョージ・マーティンがビートルズの魅力に気づいたのかというと、これもそうではありません。

6月にジョージ・マーティンの元でセッションを行って自作曲を数曲披露したのですが、その時の印象ついてジョージ・マーティンは「そこで聴かされたすべての曲に興味が持てなかった。早急に彼ら向きの曲を見つけ出さなければならない必要性を感じた。彼らの作曲能力で売れる見込みはまったくなかった」と後年語っています。

音楽面での貢献から5番目のビートルズと呼ばれることのあるジョージ・マーティンでさえ、ビートルズの魅力に気づくのはデビューしてからなのです。


もしもビートルズがエプスタインと出会っていなければ、あるいはエプスタインの粘り強い売り込みがなければ、ビートルズはどこのレコード会社の目にもとまらず、デビュー出来ずにおそらくリバプールのローカルスターで終わっていたわけです。

ビートルズほどのバンドならエプスタインがいなくてもデビュー出来たはず、というのはビートルズの成功を知っている今だからそう思えるだけということが、おわかりいただけたでしょうか。


さてジョージ・マーティンをはじめ、どのレコード会社にもまったく評価されないビートルズでしたが、デッカのオーディションで不合格になった際に、エプスタインはデッカの担当者にこう言いました。

「ビートルズはエルヴィスよりもビッグになります」

ビートルズの歴史の中で ブライアン・エプスタインほど不思議で奇跡的な人物はいないということが、きっとおわかりいただけたでしょう。
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謎と奇跡の人 ブライアン・エプスタイン 前篇

2018/09/06 13:18|その他TB:0CM:2
私たちのほとんどはビートルズの歴史を後から振り返って追っていますので、その存在や出来事の大概を当然、必然だと思っています。

ビートルズが偉大なバンドになったのは当然だし、あれだけの実力があったんだからビートルズがロック史に登場したのは必然、という感じですね。

しかし冷静に省みると、偶然や奇跡としかいいようのないことが多いんですよね。

今回はビートルズ史上最大級の謎と奇跡である、ブライアン・エプスタインについて考えたいと思います。

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最近ビートルズ関連の本を読むことが多いのですが、どの本を読んでも明確に書かれていないことがあります。

それは「なぜブライアン・エプスタインはビートルズのマネージャーになったのか?」です。

ご存じとは思いますがおさらいしておきますと、もともとエプスタインはNEMSというイギリス北部のレコード店の経営者でした。レコードを売るのが仕事で、音楽業界の中の人ではありません。

ある日そのNEMSへ「ビートルズのレコードはありませんか?」とやってきた若者がおりまして、ビートルズってどんなバンドなんだろうと興味を持ったエプスタインはライブハウスへ演奏を観に行き、その情熱あふれるステージに魅了されて彼らのマネージャーになることを決意した、というのが定説です。

流れとしては間違いはないと思うのですが、私は以前から疑問に思っていることがありました。


まず、レコードを買いに来た若者がいたというだけで、なぜエプスタインはライブハウスに足を運ぶほど興味を持ったのか?

「○○のレコードありませんか?」という問い合わせはビートルズだけでなく他にもあったと思いますし、ビートルズだけがずば抜けて多かったわけではないと思います。

自分の店にないレコードだったから気になったのかも知れませんが、他のミュージシャンでもそんなことはありそうですし、それだけの理由でわざわざライブハウスまで足を運びませんよね、普通。

ロックが好きだったから?

いえ、エプスタインはクラシック音楽が好きで、ロックのレコードは商売として扱ってただけなんです。

地元の音楽誌の記事でビートルズという名前はおそらく知っていたと思われますが、どうしてそんなに気を引かれたのか?

当たり前のようで、実はとても不思議なことだと思います。


そしてもう一つの不思議は、どうしてビートルズのマネージャーになろうと思ったのか? です。

「その情熱あふれるステージに魅了されて」みたいなことがどの資料にも書いてありますが、そもそもエプスタインはただのレコード店経営者ですよ。業界人ではないんです。

町の本屋の店主がお気に入りの作家の秘書になりたいと、本業をなげうって押しかけるか? という話です。

マネージャーになってからのエプスタインはNEMSの経営を弟や他の従業員に任せて、ビートルズの売り込みのために奔走しました。

本業のレコード店経営を疎かにしていることを両親から注意されてもやめませんでした。

そりゃあ、あのビートルズのマネージャーならやりたいだろう、というのは私たちが後世に思うことで、エプスタインがマネージャーになった1962年当初は売れるかどうかもわからない、そもそもレコードデビューもしていないローカルな田舎のバンドの1つに過ぎなかったわけです、ビートルズは。

金儲けが目的でなかったのは、当時の状況やその後のビートルズとのかかわりをみても明らかです。

じゃあ、ビートルズの音楽に惚れ込んだ?

これもちょっと違う気がします。エプスタインは個人の好みとしてロックに興味はありませんでしたし、マネージャーになってからもビートルズの音楽については全く口を出していません。音楽のことには口を出さない約束だったというよりも、口を出すほどロックに精通していなかったのだと思います。

エプスタインのビートルズに対する熱意は、単に彼らの音楽が気に入ったからではないでしょう。

なら、エプスタインは同性愛者だったからビートルズに性的魅力を感じてた?

魅かれる気持ちはあったかも知れませんが、エプスタインはビートルズのメンバーを性的なパートナーにはしていません。自分が同性愛者であることを、むしろメンバーには隠していました(暗黙でみんなわかっていたそうで、また1963年のスペイン旅行でジョンに誘いをかけたという噂はありますが)。ですからそういうよこしまな気持ちが動機でもないでしょう。

そもそもビートルズと出会う前にエプスタインが、誰かミュージシャンのマネージャーになりたがっていたとうエピソードすら見かけないんです。なのにどうして突然マネージャーに?


エプスタインはなぜかビートルズに興味を持ち、なぜかマネージャーになりたいと強く思った。それは常人には理解しがたい不思議なことであった。

私はそう思います。

そしてその不思議が、ビートルズをデビューさせてロック史に残るバンドにするという奇跡を起こすわけです。

なぜビートルズのデビューが奇跡なのか。

長くなりましたので、続きは後編で述べたいと思います。
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185 Brian Epstein - The Beatles

ライブ盤「ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」 9月発売

2016/07/21 12:06|その他TB:0CM:8
なんと! 1977年にLPレコードで発売され、CD化されずに廃盤になっていたハリウッド・ボウルのライブ盤が、9月9日に公式発売されます。

このライブ盤についてご存じでない方は、以前のブログ記事をまずお読みください。
⇒「熱望! 「ザ・ビートルズ・スーパー・ライブ!」 CD化!!」
⇒「海賊盤:The Complete Hollywood Bowl Concerts」

公式ライブ盤としてはBBCのスタジオライブ盤が発売されていますが、観客のいないスタジオライブとは違って、ビートルズのノリも盛り上がりも格段に「ハリウッド・ボウル」の方が高いです。

1977年のアルバムのライナー・ノーツで、プロデューサーのジョージ・マーティンが、

「あの一連のコンサートを取り巻く、ほとんどパニックといいたくなるような混乱状態は、その場にいないかぎり信じてもらえないでしょう。レコーディングに使えたのは3トラックだけ——〝返し〟のモニターもなかったので、ビートルズには自分たちの歌が聞こえず、1万7000人の若くて健康な肺が送り出す途切れのない金切り声は、ジェット機の騒音ですらかき消してしまう凄まじさでした」

と記していたんですが、アルバムのオープニングの観客の悲鳴のような声を聞くと「ジェット機の騒音ですら」という表現は決して大げさではありません。

LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL
ビートルズ唯一の公式ライブ・アルバム9月世界発売

 ザ・ビートルズ唯一の公式ライブ・アルバム「ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル」が初CD化され、9月9日に世界同時発売されることが20日、発表された。

 64年と65年にロスのハリウッド・ボウルで開催したライブを収めたアナログ盤(邦題は「ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!」)が77年に発売されたが、その後廃盤になった。本作はオリジナル盤の13曲に加え、未発表音源4曲も収録された。

 新作長編ドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK-The Touring Years」(ロン・ハワード監督、9月22日公開)に合わせ、約40年ぶりに再リリースが決定した。


気になる収録曲は、

1.Twist and Shout(1965年8月30日)
2.She’s A Woman(1965年8月30日) 
3.Dizzy Miss Lizzy(1965年8月30日/1965年8月29日——1曲に編集)
4.Ticket To Ride(1965年8月29日)
5.Can’t Buy Me Love(1965年8月30日) 
6.Things We Said Today(1964年8月23日)
7.Roll Over Beethoven (1964年8月23日)
8.Boys(1964年8月23日)
9.A Hard Day’s Night(1965年8月30日)
10.Help!(1965年8月29日)
11.All My Loving(1964年8月23日)
12.She Loves You(1964年8月23日)
13.Long Tall Sally(1964年8月23日)
14.You Can’t Do That(1964年8月23日——未発表)
15.I Want To Hold Your Hand(1964年8月23日——未発表)
16. Everybody’s Trying To Be My Baby(1965年8月30日——未発表)
17. Baby’s In Black(1965年8月30日——未発表)

となっています。

LPレコードで発売されたリストの最後に、未発表音源の4曲を追加した形になっていますけど、実際のリリースもこの曲順なんでしょうかね?

最後が「Baby’s In Black」というのは、ライブ・アルバムとしてはちょっと違和感があります。せっかくの再発売ですから、1つのライブを通して聴いたと感じられるような曲順の構成にしてほしいですね。

あと、映画公開に合わせての発売とはいえ、アルバム・ジャケットはビートルズの演奏シーンの方がいいなと思います。

Hollywood Bowl
ハリウッド・ボウルは1万7千人収容の野外音楽堂で、ビートルズ自身にも演奏がよく聞こえなかったという今よりも貧弱な音響システムと、ステージを映す巨大モニターもなく観客からステージ上の4人の姿はほとんど見えなかったんじゃないかと思うんですが、それでもあれだけの演奏と熱狂が生まれ、そしてその音源を50年後の今 聴いて体験することができるのは、奇跡のような幸せです。
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ジョージ・マーティン他界

2016/03/21 13:18|その他TB:0CM:2
3月8日にジョージ・マーティンが亡くなりました。

Georgr Martin

ジョージ・マーティン他界

ビートルズのプロデューサーとして知られる、サー・ジョージ・マーティンが3月8日が他界した。90歳だった。

ポールは「世界は真の偉大なる人物を失った……」とコメントをTwitterにアップした。言葉数の少なさがポールのショックの度合いが大きいことを示しているようだ。
リンゴは「あなたの愛と思いやりに感謝します。ジョージにピース&ラブを」とコメント。
この後も続々と著名アーティストが、お悔やみの言葉を寄せていると報じられている。

ジョージ・マーティンはグラミー賞に6度の受賞歴とアカデミー賞やブリット・アワードなど数々の受賞歴があるだけでなく、プロデューサーの功績としてはフィル・スペクターやクインシー・ジョーンズを凌ぎ、1960年代、70年代、80年代、90年代と4つの時代を通して第一線で活躍したたった一人のプロデューサーである。

ビートルズだけでなく、ジェフ・ベックやアメリカ、エルトン・ジョンら、多くのアーティストのヒット曲を手がけている。
2006年、ビートルズとシルク・ドゥ・ソレイユのコラボレーション・ショー“LOVE”の音楽をプロデュースしたことが、ビートルズのプロデューサーとしての最後の仕事となった(共同プロデューサーは息子のジャイルズ・マーティン)。
ビートルズ・クラブの1996年のイベントで来日し日本のファンと交流をしたこともあり、親日家でもあった。


この人と出会ってなければビートルズの成功はなかったかもしれない。

そう思わせる人物が2人います。

1人はマネージャーとしてビートルズを売り出したブライアン・エプスタイン。そしてもう1人が、ビートルズをデビューさせて音楽面でプロデュースしたジョージ・マーティンです。
epstain martin

ビートルズの才能を見抜いて世に送り出したのがエプスタインなら、ビートルズの才能を引き出して後世に残る音楽に仕立て上げたのがジョージ・マーティンでしょう。

2人に共通するのは私利に走らずビートルズに無償に近い愛情を注いだことではないでしょうか。

またエプスタインは気分のむらがある癇癪持ちだったそうですけど、ジョージ・マーティンは本当に温厚な紳士だったようです。

デビュー前の初対面で「何か気に入らないことがあったら言ってくれ」と言ったジョージ・マーティンに対して「あなたのネクタイが気に入らないね」と答えたジョージ(・ハリソン)。

ジョージのユーモアの例としてよく登場するエピソードですが、17歳も年下の新人のそんな言葉にも怒らなかったジョージ・マーティンの器の大きさを感じます。

ジョージ・マーティンにとってビートルズとの関わりは人生のごく一部にすぎないと思いますので、ビートルズを通してしか彼を知らない私があれこれ言うのもおこがましいんですが。
George Martin Harisson

さて1967年6月世界初の衛星中継テレビ番組「アワー・ワールド」にイギリス代表としてビートルズは出演し、新曲「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」を披露しました。フランス国家「La Marseillaise(ラ・マルセイエーズ)」から曲が始まるんですが、イギリス代表のビートルズの曲がなぜフランス国家から始まるのかご存じでしょうか。


イギリス王家はもともとはフランス王の臣下だったんですが、後にイギリス王家が勢力を拡大して中世になるとフランス王と覇権を争うようになり、その歴史的経緯からイギリス人とフランス人は何かつけて対抗意識が強いそうなんです。

「アワー・ワールド」は世界各国の協調・調和をテーマにした番組でしたから、イギリス代表のビートルズの曲のオープニングがフランス国家なのはそのテーマに沿ったイギリスからの調和のメッセージだったわけですね。

曲のエンディングでイギリス民謡の「グリーンスリーブス」やアメリカン・ジャズの「イン・ザ・ムード」が挿入されているのも同じ趣旨なんですが、これらのアイデアの出所はビートルズではなくジョージ・マーティンだったんだそうです。

表立った自己主張ではなく メッセージをさりげなく音楽に込めるところに、ジョージ・マーティンの人柄を感じますね。

ちなみに最後の「シー・ラブズ・ユー、イェーイェーイェー」はジョンのアドリブです。
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それでは最後にポールからジョージ・マーティンへの追悼メッセージを紹介して、記事を終わりたいと思います。

「僕がジョージ(・マーティン)と一緒に過ごした思い出の中で最も好きなものを選ぶのは難しい。たくさんありますから。ですが、浮かんでくるのは、僕がレコーディングセッションに‘Yesterday’という曲を持っていき、他のメンバーが僕に、ひとりでアコースティック・ギターで弾き語るのはどうだろうかと提案した時のことです。僕がそれをやったあと、ジョージ・マーティンは僕に向かって、『ポール、弦楽四重奏を加えるというアイデアが浮かんだんだけど』と言いました。僕は『ダメだよジョージ、僕らはロックンロールバンドだ。それがいい案だとは思わない』と言いました。そして偉大なプロデューサーらしい優しさで彼は『やってみて、うまくいかなければ採用しないで君の弾き語りバージョンをを採用しよう』と言いました。僕はそれに同意して、翌日アレンジに取り組むために彼の家に行きました。

彼は、僕が見せたコードをピアノで弾き、低いオクターブにチェロを、高いオクターブに1本目のバイオリンを入れ、四重奏におけるストリングスのボイシングに関する最初のレッスンを僕にしてくれました。アビイ・ロード・スタジオで弦楽四重奏をレコーディングしたとき、僕は彼のアイデアがこんなにも正しかったことにスリルを感じ、何週間もその話をいろいろな人に吹聴しました。この曲はその後、フランク・シナトラ、エルビス・プレスリー、レイ・チャールズ、マービン・ゲイ、そしてその他何千人もの人たちにカバーされ、最も数多くレコーディングされた曲になったので、彼の案がもちろんうまくいったということです。

これは、その後‘Eleanor Rigby’、‘Live And Let Die’、そしてその他数多くの僕の曲のアレンジを手伝ってくれたジョージに関する、たくさんある思い出のひとつに過ぎません。僕は、あんなにユーモアのセンスを持ち、自虐的にもなれる素晴らしい紳士と知り合うことができたことを誇りに思います。彼は女王からナイトの爵位を授かったときも、スノッブな部分は少しもありませんでした。彼にとっては親愛な友人たちであった僕と僕の家族は、彼がいなくなって恋しく思うでしょう。そして彼の妻ジュディ、子供のジャイルズとルーシー、そして孫たちに愛を送ります。世界は、僕の魂そしてイギリスの音楽史に、消えることのない跡を残した、真に偉大な人間を失いました。ジョージ、あなたと、あなたの中で航海する全ての人に神の恵みを!


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Georgr Martin Paul

ブライアン・エプスタインの伝記コミックが出版されます

2015/05/25 21:24|その他TB:0CM:2
今年の7月にブライアン・エプスタインの伝記コミックが出版されるそうです。
ブライアン・エプスタイン・ストーリー

⇒「ザ・フィフス ビートル ブライアン・エプスタイン ストーリー」

値段は2160円(税込)と高いですが全編オールカラーで、2014年アイズナー賞(米:コミック界のアカデミー賞)ノンフィクション部門の大賞を受賞とのこと(と言いつつ、アイズナー賞がどんなものかは知りません、私(笑))。

読み物としては期待できそうですね。

コミックとは言いましても、内容はかなりシリアスなようです。

日本語版の予告動画です。


ページの画像をネットでいくつか拾えます。
page1

これはエプスタインがキャバーン・クラブで初めてビートルズの演奏を見て衝撃を受けるシーンですね。
page2

これは後にジョンのゲイ疑惑の元となった、エプスタインとジョンのスペイン旅行のシーンでしょう。
page3


ビートルズに深くかかわった人物の中で、本物の紳士だと私が感じる人が2人います。

1人はプロデューサーのジョージ・マーティン。

ビートルズに目をかけてデビューのきっかけを作った恩人であり、音楽にかけてはビートルズよりも経験と知識があるにも関わらず自分の意見を押し付けたりはせず、「ホワイト・アルバム」製作時のようにビートルズと意見が対立したら身を引く潔さ。

でも「アビー・ロード」製作時に再びビートルズから協力を求められれば、へそを曲げずに彼らの音楽を支える誠実さ。

デビュー曲のレコーディング時に「何か気に入らないことはないか?」とビートルズに尋ね、ジョージから「あなたのネクタイが気に入らいない」とからかわれても、怒らず聞き流せる懐の深さ(笑)

彼のことを悪く言う証言はほとんど聞いたことがありません(ジェフ・エメリックが著書の中で、ビートルズに言いにくいことを言う役目をいつも自分に押し付けてきたと愚痴ってるくらいでしょうか)。


そして私が思う、もう1人の紳士。

それがマネージャーのブライアン・エプスタインです。

ビートルズに無償の愛をそそぎ、ビートルズの成功を自分のこととして喜んだ人。

そしてそれを決して自分の手柄だと自慢しなかった人。

常にビートルズのためを第一に考えて行動し、私利に走らなかった人。


ジョージ・マーティン同様、ブライアン・エプスタインの人間性を悪く言う証言も聞いたことがありません。


ビートルズに自分の夢を重ね、ビートルズを愛するが故に、ビートルズが自分の手から巣立っていく寂しさに苦しんだエプスタイン。

彼は亡くなる直前に、ビートルズのマネージャー業を当時ローリング・ストーンズのマネージャーだったアンドリュー・ルーグ・オールダムに譲ろうとしたそうですが、ビートルズからの自分への愛情がだんだんと薄れていくのが耐え難かったのだろうと思います。

若いビートルズを見守った大人としてみられがちなエプスタインですが、ビートルズに出会ってマネージャーになった時、彼もまだ27歳の若者でした。

ビートルズの成功は4人の若者とそれを支えた大人の物語ではなく、5人の若者が夢に向かって歩んだ物語だといえるかも知れません。

その夢の道からいち早く外れてしまったブライアン・エプスタイン。

そしてエプスタイン亡きあと、ビートルズは自ら道を踏み外していき、ビートルズの物語の第一幕は終わりを告げたのでした。


「想像してごらん、天国なんてないんだと」

と、ジョンは歌いましたが、天国でエプスタインがジョンとジョージに再会していることを、私は願ってやみません。
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ブライアンエプスタイン

ビートルズで交通安全

2013/07/01 20:16|その他TB:0CM:2
長年ビートルズと付き合ってますが、いや~、これは思いつかなかったです。

目にして、なるほどと感心しました。


インドのカルカッタで、“ABBEY ROAD”のジャケットを使用した交通ポスターが使用され、そのおかげで道路横断時の死亡率が20%下がったとインドの交通署長が発表した。

インドではおよそ14万人が毎年、道路での交通事故で亡くなっており、これは世界ワーストNo.1であった。


If they can, why cant you ?

「彼らにできるんだから、君もやろうぜ」

次はポールの右手に注目して、禁煙ポスターですかね(笑)
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もしかして・・・?

2013/04/04 14:27|その他TB:0CM:8
さて昨日行きつけの美容室に髪を切りに行ったんですが、扉を開けて耳に入ってきたのは、

“ I nearly died, I nearly died, 'Cause you walked hand in hand ~”

というジョンの歌声。

ビートルズが流れていました。

このお店のBGMでビートルズを聴くのは初めてです。

店長さんに案内されて店内に入り洗髪台に座ったところで、

「今日の有線はビートルズチャンネルなんですよ」

と店長さんがおっしゃっるので、

「あ、そうですよね」

とまあ、私が返事して洗髪が始まりました。

その後は特にBGMの話はなくカットが進みましたが、2度目の洗髪の後、濡れてる髪を乾かしにきた若い店員さんが、

「今日、ビートルズなんですよ。僕、ビートルズ好きですよ。ヒルトンさんもお好きですよね」

と私に話しかけてきます。

「ええ、好きですよ」

「ジョンとポールのどっちが好きですか?」

「う~ん、若い頃はジョンが好きだったけど、今はポールが好きかなあ。でも父親と母親みたいなもんで、簡単にどっちとは言えませんね」

「そうですか。ジョンは人気ありますよね。解散してからもいい曲作ってますよね、イマジンとか」

ビートルズが好きといってもそんなにディープなファンではなさそうだと思っていると、それからは特にビートルズの話題は出ませんでした。

その後お店でのカットがすべて終わって会計を済ませて店を出て、そして ハッと気づきました。

「もしかして、今日 自分が来るからBGMをビートルズにしてくれてた?」


美容室へは行こうと思った当日に電話をして行くことが多いんですが、今回は1週間前から予約を入れてたんですよね。

お店の中で音楽の話を特にした記憶はないんですが、昔からの行きつけですからビートルズが好きだということを話したことはあるでしょう。

店長さんと店員さんと、2人がわざわざ「今日はビートルズなんですよ」と話してきたということは、これってやっぱり自分のためにしてくれてたんですよね、きっと。

いや~、もっと喜んで返事すればよかった(^^ゞ

意外にそっけない態度でごめんなさい。


次も早めに予約して行きますので、BGMはまたビートルズでお願いしますね。『人気ブログランキング』へ

ギルバート・オサリバンのライブを観て思ったこと

2013/03/16 17:51|その他TB:0CM:2
先日、ギルバート・オサリバンのライブに行ってきました。
ビルボードオサリバン

ギルバート・オサリバンといえばやっぱり「Alone Again (Naturally)」ですよね。


またアニメ「めぞん一刻」で流れていたため、「Get Down」を聴いたことがある方も多いと思います。


実を言いますと彼について私は詳しくはありませんで、初めてギルバート・オサリバンの曲を聴いたのはテレビのCMで流れていた「Alone Again (Naturally)」でした。1980年代後半のことだと思います。

「Alone Again (Naturally)」を初めて聴いた時、とにかく完璧な曲だと思いました。

メロディー、アレンジ、ボーカル。どれをとっても非の打ちどころがない。

その後にギルバート・オサリバンのベスト盤をレンタルしたところ「Alone Again (Naturally)」の他にも佳曲があり、そのクオリティの高さに感心しました。

ポールと音楽性に似通ったところがあり、そしてそのクオリティの高さはポールと比べても遜色がないと思いました。

しかし一方で、不思議にも思いました。

これだけの上質な音楽を作っていた人が、どうして今は第一線で活躍してないのか?

同じピアノマンとして、エルトン・ジョンやビリー・ジョエル クラスの大物として名前を聞かないのが不思議だなと思ったんです。

活躍の時期が1970年代前半に限られてるんですよね。

でもおかしいなと思っただけで、それ以上掘り下げることはありませんでした。


そしてそれから20数年後に、この度思いがけず彼のライブを観る機会が訪れたのでした。

ライブは往年のヒット曲を中心に、アンコールを含めておよそ1時間20分のステージでした。

しっとりとしたステージを想像してたんですが、意外とポップで明るいライブでした。

ボーカルはCDで聴けるような魅力的な透明感ではありませんでしたが、これは録音技術によるものかも知れませんし、あるいは年齢による声の変化かも知れません(何しろ「Alone Again (Naturally)」から40年ですから)。

私は心地よい時間を過ごし、家路につきました。


ところでライブを聴いていて、感じたことがありました。

どの曲もみな同じような印象なんです。

メロディーや歌詞はもちろん曲ごとに違うわけですが、曲全体や聴き終わった後の印象がどの曲も概ね同じだったんですよね。


Wikipediaにはプロデューサーとの裁判や人間不信に陥ったことが音楽活動の停滞を招いたと書かれていますが、もしかすると彼の音楽性を刺激して伸ばしてくれる存在が欠けていたんじゃないでしょうか?

ポール・マッカートニーにとってのジョン・レノンのような存在です。

ポールがジョンと出会わずに最初からソロだったら、あるいはジョンが最初からソロだったら、ビートルズ時代はもちろんその後のソロ時代のような音楽活動を彼らができたかどうか。

もしジョージがビートルズに加入せず、ソロ・ミュージシャンを目指していたら・・・

ビートルズのことを考えると、刺激し合う存在、可能性を引き出してくれる存在の大切さをとても感じます。


もしギルバート・オサリバンがソロではなく、バンドだったら。

そのバンドの中にジョンのような強烈な才能を持った人物がいたら。

彼はポール・マッカートニーと肩を並べるレジェンドとして、ロックの歴史に今よりも大きな名前を刻んでいたんじゃないかと想像してしまいます。


彼がそんなことを望んでおらず、また彼のファンもそんなことを望んでいないのなら、私のこの勝手な想像をロック・ファンの身勝手で馬鹿な妄想だとして、ファンの方にはお許しいただきたいと思います。

ビートルズ・ファンにそんな妄想をさせるほど、彼の名曲は素晴らしく輝いていると思うのです。
オサリバンCD

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明けましておめでとうございます!

2013/01/02 13:55|その他TB:0CM:2
明けましておめでとうございます。

記事にするようなネタがあるわけではないんですが、何となく新年の挨拶をしてみたくなって書いてみました(^^ゞ

昨日の元日、ビートルズのアルバムを聴きました。

アルバム名は「Please Please Me」

元日ということで一番最初のアルバムを聴きたい気分になったんですが、実はこのアルバム、私はあんまり好きではありません。

なんといいますか、青臭さというか、ゆるさを感じるんですよね。

選曲から演奏・ボーカルまで、全体的に。

そこをいいと思うかどうかなんですけど、私は「With The Beatles」くらい引き締まった方が好きです。

ただこのアルバムのレコーディングをしていた時のビートルズの4人の気持ち。

初めてのアルバムなんですから、その後のキャリアでのどのレコーディングよりも張り切って、緊張して、不安に思って、幸せにひたってレコーディングしてたんじゃないかと思います。

そこまでビートルズに思いを馳せるようになると、好きではなくても愛おしい1枚に感じてはいます。

ビートルズのアルバムの中で唯一、「年下の男の子」みたいな魅力を感じるアルバムです(笑)


話は変わりますが、ビートルズファンにとって今のところ今年最大のイベントはやはりリンゴ・スターの来日公演ですね。

以前の武道館に比べると格段に狭いZeppが会場なので、チケットの争奪戦になるのではと危惧していましたが、今でも残席があるようです。

オークションなんかで高値で転売されるのも悔しいですが、ソールド・アウトしないのもちょっと寂しいですね。

まあそんなことは気にせず、当日はリンゴのエンターテイメントを楽しみたいと思います。


新年早々取りとめのない記事になりましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。『人気ブログランキング』へ


ハンブルグのビートルズ博物館閉鎖

2012/06/14 16:05|その他TB:1CM:4
2010年9月30日にさいたま市の「ジョン・レノン・ミュージアム」が閉鎖しましたが、今度はハンブルグにある博物館閉鎖のニュースです。


ハンブルグのビートルズ博物館が閉鎖

ドイツ、ハンブルグにあるザ・ビートルズの博物館Beatlemaniaが6月30日をもって閉鎖することになった。期待したほど関心を引かなかったのが理由だという。

Bealemaniaが発表した声明によると、2009年5月29日にオープン以来メディアや来客者から好意的な反応があったものの、3年間の入場者数は15万人ほどで、経費をまかなえなかったそうだ。これまで赤字経営でやってきたが、これ以上の継続は困難との判断を下すしかなかったという。

ハンブルグはザ・ビートルズがブレイクする前に巡業しており、彼らに縁のある場所も多く存在するが、故郷リバプールやかの有名なアビーロードの横断歩道と違い、一般的な関心は引いていない。リバプールにあるザ・ビートルズ博物館Beatles Storyのほうは年間20万人ほど(2009年度)が訪れているという。

Ako Suzuki, London



3年間で15万人ですから、年間入場者数は平均5万人ですね。

こういう施設での5万人が多いのか少ないのか(まあ閉鎖するんですから少ないんでしょうけど)、数字だけではピンとこないんですが、

閉館になったジョン・レノン・ミュージアムの入場者数が開館初年度に12万4000人、閉館前が年間3万人でしたから、こういう記念館を維持するには年間10万人以上は必要なんでしょうね、きっと。


ハンブルグはデビュー前のビートルズが最も沢山ライブをやった、ビートルズゆかりの都市の1つですので、

そのハングルグにおいても、

>一般的な関心は引いていない

時代なんですね。

ビートルズ博物館目当てはもちろん、デビュー前のビートルズにゆかりの場所目当てでハンブルグを訪れる人は、もうそんなにいないんでしょう。


陸続きのヨーロッパ(イギリスは島国ですけど)でもこの状況ですから、欧米から離れた日本にあったジョン・レノン・ミュージアムが閉館になったのも時代の必然だったのだろうと、あらためて思いました。


ビートルズが20世紀で最も偉大なロック・バンドであることは、誰しもが認めることだと思います。

でも21世紀のバンドではないんですね、やっぱり。

当たり前ですけど。

ビートルズの軌跡を公式に振り返る「アンソロジー・プロジェクト」は、1995年にドキュメンタリー映像やCDのリリースで始まり、2000年10月5日の公式伝記本の発売で終了しました。

2000年は、21世紀になる前年です。

20世紀の最後の5年間、ビートルズは現役としての最後の活動で私たちファンを楽しませ、そして21世紀を前に幕を下ろした。

アンソロジー・プロジェクトが2000年に終了したのは単なる偶然かもしれませんが、私は今さらながら そんな感想を抱いています。『人気ブログランキング』へ

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