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              私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド 2019年4月10日尼崎公演

2019/04/11 10:30|リンゴ・スターTB:0CM:2
2013年の大阪公演から6年振りに、リンゴ&ヒズ・オールスター・バンドの日本公演に行ってきました。
場所は兵庫県尼崎市です。

RINGO0.jpg

バンド・メンバーはベースのリチャード・ペイジがヘイミッシュ・スチュアートに代わり、トッド・ラングレンがコリン・ヘイに代わった他は、2013年と変わりありません。
前回の様子は過去ログをご参照ください。
⇒『リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド 3月1日大阪公演』

あと3ヶ月で79歳になるリンゴですが、とても元気でした。声に張りがあり、動きも軽やか。70代とは思えない様子に嬉しくなりました。
RINGO1.jpg

「Matchbox」から始まり、リンゴは12曲歌ってくれました。ビートルズの曲が9曲、ソロになってからの曲が3曲。

「I Wanna Be Your Man」や「With a Little Help From My Freinds」ではジョンやポールの気持ちになって、観客みんなでコーラス部分を歌うのが楽しかったですね。

ソロの曲で印象に残ったのは「Photograph」。ジョージがリンゴのために作った曲ですが、ジョージらしい優しいメロディに2人の仲の良さを感じて、ジョージはリンゴに素敵な宝物を残してくれたなとしみじみ思いました。

残念だったのは今回も「Octopus's Garden」を歌ってくれなかったこと。自分の葬式で流してほしいと自身が言う程のお気に入りなのに、どうして公演では歌わないんでしょうかね。不思議です。

RINGO2.jpg

ドラムはグレッグ・ビソネットとのツイン・ドラムなので、リンゴ単独のドラミングはほとんど聴けないんですが、時々ですね、曲の途中でリンゴだけがハイハットで刻んでる時があったんですよ。

ビートルズ初期の頃にとても印象的なリンゴのハイハットです。ジョンもポールもジョージもこのリズムを聴いてたんだなあと思うと嬉しくなりましたね。

さて他のメンバーについて。前回の公演にて圧巻のパフォーマンスで私の目を釘づけにしたトッド・ラングレンが不在なのは残念でしたが、交代したコリン・ヘイも私はとても楽しみにしていました。

私が洋楽のヒット曲をリアルタイムで聴いていた80年代前半。コリン・ヘイのバンド「メン・アット・ワーク」はまさにその頃のバンドで、とても好きだったんです。

「Down Under」「Overkill」「Who Can It Be Now ?」の3曲を歌ってくれましたが、当時と変わらない歌声に満足でした。

他のメンバーがステージ上を動き回って派手なアクションをしたり、掛け声で観客を煽るのに対して、コリン・ヘイは直立不動で大きな声も出さず、時々ニコッと笑うだけなんですが、観客へのサービス精神がないわけではなかったんですよ。

コリン・ヘイの観客への気持ちを強く感じたことが2つありました。

まず他のメンバーがほとんど英語でしかMCをしなかったのに対して、コリン・ヘイだけが「ミナサン、ゲンキデスカー!」と日本語でMCしたんです。

それから他のメンバーが「オーサカ!」「オーサカ!」としばしば叫んでたんですが、尼崎って大阪府じゃなくて兵庫県なんですよね。

尼崎は大阪駅から電車で10分程の所だし、翌日は大阪公演なので、「日本ツアーの最後の2か所は大阪」とメンバーは教えられていたんでしょう、きっと。

でもですね、歌い終わった後にコリン・ヘイだけは

「アリガトウ、アマガサキ」

と正しい地名を言ったんですよ。それも少し恥ずかしそうに。

前回のトッド・ラングレンとは全く違うキャラクターでしたが、ステージが進むにつれて、私の目はコリン・ヘイに釘づけになっていったのでした。
RINGO4.jpg
(右端がコリン・ヘイです)

今回あらためて思ったんですが、リンゴもポールもスリムな体型で、日頃からとても摂生してるんでしょうね。

2人がいつまでも若々しく、音楽活動をしてくれるのは本当に嬉しいことです。

残り長くはないであろう人生。できるだけファンを楽しませたい、それがビートルズとしての使命なんだ。

2人はそう思ってるんじゃないかと、公演を観るたびに思います。

ありがとう、リンゴ。

そしてまた来日してください。待ってます。
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リンゴ、お葬式では“Octopus's Garden”を

2017/09/19 09:50|リンゴ・スターTB:0CM:0
リンゴのインタビューを見つけました。

ビートルズのメンバーが自分の葬儀について語るのを目にしたは初めてなんですけど、もうそういう年齢になってるんですねえ。

77歳ですもんね。

自分の葬儀ではオクトパス・ガーデンをみんなで歌ってほしい、自分も(幽霊になって?)一緒に演奏したいと話しています。

また、新作アルバムのレコーディングではポールだけでなく 幽霊になったジョージも参加してたんだよ、なんて言ってますが、ジョンの名前は出てきません。

どうしてでしょうか。


なおニュース元のサイトには4分ほどのインタビュー動画があり、そこではリンゴがビートルズ時代を振り返っています。

目新しい内容ではないですけど、あんなに楽しそうにビートルズのことを話すリンゴを見るのは私は初めてです。

解散後にはビートルズのことばかり話題にされるのを嫌がっていた様子のリンゴだったんですが、老境に入ってそんなわだかまりも解消したんでしょうね。

がに股で演奏するジョンの仕草や、電話口でのポールのものまねなど、本当に楽しそうです。
⇒【Beatles legend Ringo Starr wants to play at his own FUNERAL】

前の記事で紹介したジョージ作詞の歌を、是非ポールと一緒に完成させてほしいものです。

その時はジョンの幽霊とも一緒にセッションしてくださいね。
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リンゴ、ジョージの未発表曲をプレゼントされる

2017/06/26 21:55|リンゴ・スターTB:0CM:2
こんなニュースを見つけました。

このたび、オリビアはリンゴにジョージの未発表曲をプレゼントした。
オリビアによると、その曲’Hey, Ringo’の歌詞は、自宅のピアノのベンチで発見されたという。
オリビアはジョージの友人たちが使えるようなデモを探している際、この歌詞を発見した。
この曲は1970年のビートルズ解散の頃、バンドが解散しないようにという懇願として書いたと推測されている。
オリビアは、「リンゴはこの曲をこれまで見たことがなかった。とても驚いていました。ジョージのピアノのベンチに歌詞フォルダーがあったの」と語り、ポールがメロディをつけてくれることを望んでいるという。

発見された歌詞の訳は、自分とリンゴの対話のようになっている。
以下に翻訳を掲載する。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
ヘイ、リンゴ、君に分かってほしい
君がいないと、僕のギターはあまりにも遅すぎる
そしてリンゴ、君にこう言わせてくれ
君のように演奏できるドラマーを聞いたことがない

ちょっと待ってくれ、Mr. G、おだてるのはやめてくれ
君のギターがないと、僕のドラムは、何もないようにきこえてしまう
ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ
君の演奏を聞かせてくれ

ヘイ、リンゴ、言っていないことがひとつある
僕は倒れて死ぬまで君と一緒にギターを弾くよ

ねえ、G、君は嬉しいことを言ってくれる
でも倒れるときは、逆の方向に倒れてくれ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

解散前後に書いたものが50年近く経った今みつかるなんて、大発見ですね。

歌詞というより落書きのような印象ですけど、メンバー間の当時の重苦しい雰囲気の中でこんな会話が交わされてたのかと思うと、気持ちがほっとします。

バンドが解散しないように懇願して書いたというより、バンドが解散しても一緒にプレイしたい気持ちを書いたんじゃないでしょうか。

ビートルズの解散にはジョージは賛成だったはずですし。

リンゴの1971年のヒット曲「It Don't Come Easy」はジョージのプロデュースで、1973年のヒット曲「Photogragh」はジョージとの共作ですから、この歌詞に書かれたジョージの思いは叶いました。

ジョージの死後、今この歌詞を知ったリンゴの喜びはいかほどでしょうか。

ビートルズ解散後のリンゴには気難しい印象を私は持っていて、以前にもこのブログでそのことについて書いたことがあるんですけど、ビートルズ時代はもちろん、リンゴは元来“いい人”なんでしょうね。

リンゴについて考える時、私がよく思い出すのはビリー・プレストンの言葉です。1994年のインタビューでビートルズの4人の印象を聞かれた時に、こんな風に答えているんです。

「ジョンはビートルズのボス。いろんなことを言う奴がいるが、あくまでもジョンがリーダーだ。ものすごくクレバーで、人間のスケールも大きい。

ポールは仕事人。みんなが帰った後もスタジオに残って作業してたな。最もクリエイティブなビートルとも言えるね。

ジョージも人格者だけど、ちょっと神秘的なところがある人。

リンゴは本当にいい奴! 僕は好きだなぁー。普通にいい人なのはリンゴだよ。他の3人が言うことを黙って聞いてて、それぞれに対して協力を惜しまなかったね。最初にスター・クラブでビートルズに出会った日は明け方までみんなで飲んでたんだけど、リンゴったら僕に抱きついて言うんだよ、“離れたくないよー”(笑)って。彼とはその日のうちに親友になった感じだね」


やっぱりリンゴはいい人なんですね。
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リンゴ、間違ってるよー!

2016/09/22 13:00|リンゴ・スターTB:0CM:0
今年10月に3年ぶりの来日公演をおこなうリンゴ。

週刊朝日 9月23日号に日本のファンに向けてのインタビューが掲載されているのですが。。。

週刊朝日 9月23日号
10月下旬にコンサートのため来日予定のビートルズの元メンバー、リンゴ・スター(76)。50年前の武道館ライブの思い出を語り、日本のファンに対し、メッセージを送ってくれた。

*  *  *
──ビートルズが初来日してちょうど50年になることを知っていました?

 武道館公演のこと? そうだね、当時はみな僕たちが日本武道館で公演を行うのを嫌がったんだよね。

──そうなんですか?

 僕たちが日本武道館で公演を行うことを快く思わない人が多かったんだ。武道館はもっと別のことで使用する場所と考えられていたからね。僕たちはクレージーでワイルドなロックンロール・ピープルだと思われていたんだよ。

──でもファンはあなたたちが日本に来ることを楽しみにしていました。

 うん、何回も日本には戻ってきているよ。

──10月下旬にも来日します。3年ぶりの来日公演ですね。

 今回のこと? そうだね、今回はMR.UDOに呼んでもらっているんだ。本当に日本のファンはとても僕たちを応援してくれていて、たくさんのファンがいるんだ。公演も毎回素晴らしいものだよ。

──日本公演に向けて何か新しい試みや特別なことは考えられていますか?

 うーん、そうだね、日本のファンはまだこのバンド・メンバーでは見ていないんじゃないかな? うん、見ていないと思うな。

 前回はすごく寒い冬で、違うバンド・メンバーだったと思う。見所はこのバンド・メンバーということだね。通常はバンド・メンバー構成を変えるんだが、今回のバンド・メンバーは大好きだから、ずっとこのメンバーで続けているんだ。

──日本のファンにメッセージをお願いします。

 ああ、そうだね、もし音楽が好きで楽しみたいなら、ぜひコンサートに来てください。“Peace & Love” “Peace & Love”、10月に会いましょう!


ん?

今年の来日予定メンバー(UDO公式サイトより)
2016リンゴバンド
▪︎ リンゴ・スター(Dr・Vo)
▪︎ スティーヴ・ルカサー(G・Vo)
▪︎ トッド・ラングレン(G・Vo)
▪︎ グレッグ・ローリー(Key・Vo)
▪︎ リチャード・ペイジ(B・Vo)
▪︎ グレッグ・ビソネット(Dr)
▪︎ ウォーレン・ハム(Sax・Per)

2013年来日メンバー
2013リンゴバンド
▪︎ リンゴ・スター(Dr・Vo)
▪︎ スティーヴ・ルカサー(G・Vo)
▪︎ トッド・ラングレン(G・Vo)
▪︎ グレッグ・ローリー(Key・Vo)
▪︎ リチャード・ペイジ(B・Vo)
▪︎ グレッグ・ビソネット(Dr)
▪︎ マーク・リベラ(Sax・Per)

サックス担当がマーク・リベラからウォーレン・ハムに代わっただけで、あとのメンバーは今回も3年前も同じですよー、リンゴ(笑)

覚えてないんですねー。覚えてないうえに日本向けのインタビューを受けるのに、前もって調べてもいません。

リンゴらしいといえばリンゴらしいかな。ポールなら絶対こういうことはない気がします。

ビートルズ時代から「いい人」としてミュージシャン仲間から慕われているリンゴですが、マスコミやファンに対してはときどき不機嫌だったり不遜な態度のときがあるんですよね。特にビートルズ解散後は。

まあ些細なことではありますけど、久しぶりにちょっとがっかりしたニュースでした。
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リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド 3月1日大阪公演

2013/03/02 17:40|リンゴ・スターTB:0CM:30
3月1日のリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの大阪公演に行ってきました。

会場はZepp Namba。2階席で座ってゆっくり観たかったのですがチケットが取れなかったため、1階のスタンディングでの鑑賞となりました。

前方でもみくちゃになる勇気がなかったので1階後方でゆったり観ようと思って会場入りしたのですが、前の方も思ったよりぎゅうぎゅう詰めではなかったので予定より前へと進み、正面を向いて右寄りのステージから15メートル程の場所で観ることができました。

まずオールスター・バンドの面々がステージに登場し、トッド・ラングレンの呼び込みでリンゴ・スターが登場!

リンゴ、小さい!

そして、か細い!

生で見るリンゴの華奢な姿に驚きました。

写真などで見る最近のリンゴは「渋いオジサン」という感じでしたが実際のリンゴは「面白いオジサン」という感じでしたね。

踊ったり跳ねたりのポーズがコミカルで、映画「ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ!」の頃のリンゴを思い出しました。

ルックスは全く違ってましたが(笑)

自分のパートでは体を揺らしたり手を振ったりして終始観客を盛り上げようとする一方、オールスター・バンドのパートではドラムのプレイに徹して、ソロを歌っているメンバーより目立たないようにしているようでした。

またオールスター・バンドが魅力あふれる人達でした。

もちろん私はリンゴを目当てにライブに行ったわけで、ライブの開始からしばらくはリンゴばかりを見ていたんですが、途中からはリンゴも他のメンバーも同じ比率で見るようになりました。

オールスター・バンドのメンバーの個々の技量はもちろんですが、バンドとしての一体感がとても素晴らしく、仮にリンゴを抜きにしても十分に楽しめるバンドだったと思います。

むしろオールスター・バンドのソロ・ナンバーが続いた後にリンゴがビートルズ時代の持ち歌を歌うと、そこでライブの流れがプツッと途切れてしまったかのように感じられ、ちょっと残念な気さえすることがありました。

それくらいオールスター・バンドのパフォーマンスは良かったです。

リンゴへの愛情を差し引いてしまうと、明らかにオールスター・バンドはリンゴを食ってしまう程に。


語弊を恐れずに書きますと、今回のライブを観てあらためて思ったんですが、ジョンとポールが偉人だとすれば、ジョージは偉人に近づこうとした人、そしてリンゴはやっぱり凡人なんですよね。

周りをぐいぐい引っ張ったり圧倒するようなオーラもないし。

でも、ただの凡人ではありません。

偉大な凡人なんですよ。

凡人ゆえにみんなから愛され慕われる、偉大な凡人なんだと思いました。

リンゴがいるからオールスター・バンドが集まる。

リンゴ&ヒズ・オールスター・バンドだから観客が集まり、楽しんで、満足して帰る。

ビートルズ解散からおよそ20年経って始めたオールスター・バンドでのツアーで、リンゴはようやく自分の本来の立ち位置を手にできたのではないでしょうか。

あんなに楽しそうなリンゴと、あんなに楽しそうなオールスター・バンドの面々。

この幸せがいつまでも続くことを願ってやみません。『人気ブログランキング』へ

私の前方にいて、そのカリスマ性と巨体(笑)で私の心をわしづかみにしたトッド・ラングレン(笑)
この動画では緑のTシャツですが、大阪では上下おそろいのサイケな虹色のスーツを着てました。

【速報】リンゴ来日公演決定!

2012/10/18 15:14|リンゴ・スターTB:0CM:4
ご訪問ありがとうございます。

いや~、全然期待してなかったというか、もう来ないだろうと思っていたので驚きました!

リンゴ・スター18年ぶり来日公演決定「待ちきれないよ。PEACE&LOVE!」
オリコン 10月18日(木)0時0分配信

 元ビートルズのドラマー、リンゴ・スター(72)が17日、今冬にオリジナルバンドを率いて日本、ニュージーランド、オーストラリアの環太平洋地域でツアーを行うと発表した。リンゴの来日公演が実に18年ぶりに実現する。

 バンドメンバーはスティーヴ・ルカサー、リチャード・ペイジ、トッド・ラングレン、マーク・リヴィエラ、グレッグ・ローリー、グレッグ・ビゾネットの6人。今夏行った北米ツアーと同じラインナップで臨む。

 リンゴは「この夏のツアーは素晴らしかった。私はこのバンドと演奏することが大好きだし、また一緒に演奏することが待ちきれないよ。オールスターズとともにまた日本を訪れることを楽しみにしています。もちろんニュージーランドとオーストラリアも。PEACE&LOVE!」と心待ちしているとコメント。

 これまで1989年と95年に日本公演を行なっている彼ら。今回はクラシックナンバー「It Don't Come Easy」「Photograph」「Little Help From My Friends」「Yellow Submarine」をはじめ、最新作から「Wings」なども演奏する予定。生ける伝説の生演奏を聴ける貴重な機会となりそうだ。

■RINGO STARR & HIS ALL STARR BAND日本ツアー
2013年2月25日(月) 東京 ZEPP TOKYO
2013年2月26日(火) 東京 ZEPP TOKYO
2013年2月27日(火) 名古屋 ZEPP NAGOYA
2013年3月1日(金) 大阪 ZEPP OSAKA



リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドは1989年と1995年に来日公演をしてるんですが、何となくまた来るだろうと思ったので、私はどちらにも行かなかったんですよね~(^^ゞ

あれから17年。

もうチャンスを逃したものと思ってました。

それが来年、18年ぶりの来日公演が実現するなんて!

今回は絶対行きますよ~。

これがラストチャンスでしょうから。

とりあえず速報でした『人気ブログランキング』へ

リンゴの珍しい写真

2012/09/17 18:04|リンゴ・スターTB:1CM:2
ご訪問ありがとうございます。

久しぶりにリンゴの記事です。

まずは次のニュースを。

リンゴ・スター、ビートルズ加入前の音源発見……ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ在籍
RBB TODAY 9月6日(木)10時30分配信

 リンゴ・スターがザ・ビートルズ加入前に在籍し、英リヴァプールで当時トップに君臨していたバンド、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズの1960年にレコーディングされた音源が発見された。

 音源テープは同バンドのロリーの妹、アイリス・コールドウェルの家の地下室にあったもので、同バンドの最初で最後のアルバムとして、50年以上たった今発見されたことになる。同テープは、リヴァプール北部クロスビーにあるクラブのジャイブ・ハイブと、ストームズヴィルと呼ばれていた、ロリーの家でレコーディングされたものだ。

 アイリスは発見されたテープや兄ロリーについて「この音源テープは(レコーディングされた時から)ずっと古い箱にしまったままだったみたいなんです」「ロリーはパフォーマーでした。ザ・ビートルズのような素晴らしいソングライターではありませんでしたがね。みんなロリーのことをザ・ゴールデン・ボーイだとかミスター・ショービジネスと呼んでいたんです」と語っている。

 リンゴは18歳で1959年にロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズに加入し、1962年にザ・ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインに見出されザ・ビートルズに加入するため同バンドを脱退している。

 ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズはリンゴ脱退後もバンド活動を続け、1964年にはブライアンがプロデュースした楽曲を含むシングルを数枚リリースしたものの、ヒットには至らなかった。BBCラジオ番組『ラジオ・マージーサイド』のMCであるスペンサー・リーは、今回見つかった音源について「演奏には荒っぽさがありますが、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズは当時とても人気があり、もしかしたら1960年3月にはザ・ビートルズよりも良いバンドだったのではないでしょうか」と話している。



とまあ、こんなニュースです。

1960年頃のロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズが人気バンドだったのは確かなようで、リンゴもインタビューで「当時ビートルズは駆け出しの無名バンドだったが、自分たちはすでにスターだった」みたいな発言をよくしています。

デビュー直前のビートルズに加入できてリンゴはラッキーだったと言われることがありますが、ローカル限定ながら安定した人気のバンドを脱退してビートルズという未知数のバンドに飛び込んだという面があったようです。


そして前述の記事の音源がどうやらCDでリリースされたそうなのですが、リンゴ自身のこんなコメントでオチがつきました。

リンゴ、「あのドラムは僕じゃない」

Rockstarというレーベルからリリースされたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのCD“LIVE AT THE JIVE HIVE MARCH 1960”は、アルバム・ジャケットにリンゴの写真も掲載されているが、自身は参加していないと、リンゴが広報を通して発表した。

このCDの元となる音源は1960年にジャイブ・ファイブを呼ばれるクラブで録音されたものであると言われている。ロリー・ストームの妹の家の地下からみつかった。ロリーは1972年に死亡している。

リンゴの声明。「僕じゃないよ。あのライブは僕がビートルズに入るためにバンドを去ったあとのものだ。誰がドラマーかは分からないけれど、ロリーのファンが楽しんでくれることを願います。1960年、僕らがドイツにいる時にレコーディングされたのは2曲だけで、それをアセテートにしたときの2曲は、デジタル・ワールドにいるみんな、ア・セ・テートだよ、ルー・ウォルターズの歌っていたバディ・ホリーの‘Mailman, Bring Me No More Blues’と‘Fever’だ。コピーを持っていないから、それらの曲を聴いてみたいよ。ピース・アンド・ラブ。リンゴ」



ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのCDが今の時代に需要があるとは考えにくく、リンゴの関連商品としてビートルズ・ファンの購入を当て込んでリリースされたものだと思いますが、

なんと、この音源のライブにはリンゴは参加していないのだそうです。

リンゴは他人のドラム演奏を自分のプレイだと思われることを、ドラマーとして許せなかったんでしょうね。

しかしながら自分の存在を売名行為的に使われたことには触れず、

>誰がドラマーかは分からないけれど、ロリーのファンが楽しんでくれることを願います

とコメントしたところに、リンゴの人柄の良さを久々に感じました。


で、この記事のタイトルの「珍しい写真」なんですが、そのCDのジャケットです。

もしかしたら見たことがある方がおられるかも知れませんが、エレキギターを弾いているリンゴの姿を見たのは私は初めてです(左から2番目です、念のため)。

本当に弾いている・・・んでしょうね(^^ゞ『人気ブログランキング』へ

Rory Storm and the Hurricanes

せつない気持ち

2011/06/16 13:45|リンゴ・スターTB:0CM:22
先日こんな記事を見つけました。

リンゴ・スター「ザ・ビートルズは僕を加入させることができてラッキーだった」

途中から加入したため「ザ・ビートルズに入れてラッキーだ」と思われがちなリンゴ・スターだが、リンゴいわく実際は「ラッキーだったのは彼らのほうだ」という。

ファンの間では知られていることだが、リンゴはザ・ビートルズ加入前、Rory and The Hurricanesというバンドにおり、地元リバプールではザ・ビートルズより有名だった。

リンゴは『Daily Mail』紙のインタビューでこう話している。「リバプールでは彼らより僕のほうがはるかに有名だった。Rory and The Hurricanesは地元では大物だったんだ。スーツ着てたよ。それって僕らには名声の証だった」

「ああだから、僕を獲得できた彼ら(ザ・ビートルズ)のほうがラッキーだったんだよ。大物だったっていうだけじゃない。僕はクールなドラマーだったからね。ブライアン・エプスタインからランチタイムにキャバーン(・クラブ)でプレイしないかって誘われたんだ。それが始まりだった」

これは事実。故ジョン・レノンもかつて「みんな、リンゴはザ・ビートルズに加入する前からスターだったことを忘れている」と話したことがある。

リンゴはまた、そのRory and The Hurricanesの活動に専念することを決めた1960年の夏についてこう回想している。

「工場で働いてたんだ。僕はエンジニアの見習いでね、それって僕の家族にとっては大ニュースだったよ。でも、一方でRory and The Hurricanesでもプレイしてて、スケグネス(英国の海辺の町)で3ヶ月演奏しないかって話が来たんだ。僕らは仕事を辞めなきゃいけなかった。親戚みんなが説得に来たよ。ドラムは趣味としてはいいって。僕はそこで踏ん張って自分の立場を主張しなきゃならなかった。“いや、僕はドラマーだ。だから、行く”ってね。『Sliding Doors』(地下鉄のドアが閉まったときと閉まらなかったときで主人公の人生が変わる姿を描いた映画)の瞬間だったわけだ。いい決断っていうのがあるよ」
Ako Suzuki, London


歴史に「もし」はありませんので、このリンゴの発言については正解はないと思います。

各々がどう考えるかにつきるでしょう。

ただリンゴに関しては、こういうことをわざわざ発言しないといけない立場なのが、やはりファンとしてせつないですよね。

音楽的にはドラムって多くの人にとっては「誰が叩いても同じ」という風に感じてしまう楽器ですし、作曲やボーカルでビートルズを引っ張っていたわけではなかったですからね。

リンゴ独自のドラミングはもちろん、リンゴの存在が音楽以外の点でビートルズに不可欠であったのはその後のビートルズ史をみればまあそうなんですが、「リンゴ以外がドラマーだったら」という「もし」は存在しないので、やはり結論のない話だと思います。

まあこんな話が出てくるほど、ロックの世界にビートルズが残したものが偉大だということなんでしょう。


ところでリンゴがこの手の発言をするのは、今回が初めてではありません。

記憶に新しいところでは、DVD「ビートルズ・アンソロジー」の中でも同じような発言があります。

このDVDの中で、リンゴがビートルズに加入した経緯についてジョージが、

「初めてリンゴのドラムを聞いた時に、これだ!と思った」

と言っているのに対して、リンゴは、

「ビートルズのことは何とも思ってなかった」

と発言しています。

このDVDを見た時に私は、リンゴにとってはある程度は本当の心境なんだろうけど「ラッキー」と言われることに対する反発もあるんだろうなあ、と思いました。


さてDVDの中でのジョージとリンゴのこのやり取りが印象に残っていた私が、今回の記事を読んではっとしたのは、リンゴについてではなく実はジョージについてでした。

「ビートルズにとってドラマーはリンゴじゃなくてもよかったはず」

と言われることにリンゴは反発しているわけですよね。

純粋にドラマーとしてデビュー直前にビートルズに加入したリンゴと違い、ジョージは学校の友達関係からアマチュア時代にビートルズのメンバーになっていますので、リンゴとジョージでは立場が全く違うように思えますが、

「ビートルズにとってあいつじゃなくてもよかったはず」

と言われかねない立場という点では、二人の立場は似ていたのではないでしょうか。

中期~後期になるとインド音楽の導入や作曲などで独自の個性を発揮し始めるジョージですが、ジョンとポールの存在感と比べるとやはりビートルズの中心ではないですし、ビートルズ解散後ですが実際にジョンが「ビートルズは自分とポールの2人だけ」みたいな発言をしたこともありますからね。


1964年のオーストラリア公演の直前にリンゴが扁桃腺炎で入院して公演に参加できなくなった時、代役のドラマーで公演をしようという案に最後まで反対したのはジョンでもなくポールでもなく、ジョージでした。

「メンバーの中でリンゴと一番仲がいいのはジョージ」

というのが定説ですので、このエピソードを私は単なる仲の良さの表れだと思っていたんですが、実はジョージにとって、

「あいつじゃなくてもいいと思われることへの不安」

からの反対だったのかも知れません。

そう考えるとリンゴの代役を立てて公演を行うことに反対したジョージのエピソードは、ジョージとリンゴの友情を示す心温まるエピソードではなく、バンド内で不可欠と思ってもらえない辛い心情の表れだったのではないかと、今は思うのです。

そうです。

タイトルの「せつない気持ち」というのはリンゴの気持ちではなく、ジョージの気持ち。

そしてそんな風に感じてしまった、私の気持ちです。『人気ブログランキング』へ

リンゴの生家取り壊し問題 その後

2011/01/03 18:03|リンゴ・スターTB:0CM:2
明けましておめでとうございます^^

マイペースな更新が続いている「いつも心にビートルズ」ですが、本年もよろしくお願いします<(_ _)>


さて以前記事に取り上げましたリンゴの生家取り壊しについての続報がありました。

生家取り壊し問題をご存じでない方は、まずは前回の記事をご覧ください^^
→「リンゴの生家取り壊し問題」

リンゴの生家が老朽化のためリバプール市の取り壊し計画に入っているということなんですが、続報によるとまだ決着はついてないようです。


リンゴ・スターの生家が取り壊しの危機=英政府が救出に乗り出す
時事通信 1月3日(月)12時5分配信

【ロンドン2日AFP=時事】元ビートルズメンバーのリンゴ・スターさんの生家が取り壊しの危機に直面し、英政府が救出に乗り出した。他の元メンバーのポール・マッカートニーさんと故ジョン・レノンさんの生家は観光客が訪れる名所となっており、歴史的建造物や景勝地の保存を目指すナショナル・トラストによって管理されている。

スターさんの生家はリバプールのディングル地区マドリン通り9番地にあるテラスハウス。リバプール市評議会(市議会)が昨年8月に決定した1919年以前に建造された同地区の古い建物445戸を取り壊す計画に含まれているが、反対の声も上がっている。

計画委員会が1月に取り壊しの詳細を詰める予定だが、シャップス住宅担当相は同市評議会に書簡を送り、多くの人々が文化的に重要だと考えているとして取り壊しを再考するよう求めた。

これに対して市評議会のスポークスマンは、地域の住民には事前に十分に意見を聞いており、住民は一刻も早い取り壊しを望んでいると述べている。



ファンからイギリス政府に対して生家の保存について署名かなんかがあったんじゃないかと想像しますが、イギリス政府は口は出すけどお金は出さないということですね(笑)

ビートルズに関連したものすべてに歴史的価値があるのか、ジョンとポールには価値が合ってリンゴには価値がないのかなど、非常に現実的というかシビアな現状を見せられている気がしますが、この記事で気になるのは、

>市評議会のスポークスマンは、地域の住民には事前に十分に意見を聞いており、住民は一刻も早い取り壊しを望んでいると述べている

の部分ですね。

このスポークスマンのコメントがどこまで市民の意向を正しく反映しているのかはわかりませんが、本当だとかなりショックなことですね。

郷土のスターゆかりのものを保存することについては、普通は地元の住民が最も強く希望するもんじゃないですか。

それを他ならぬリバプール市民が解体を強く望んでいるのだとしたら、リンゴは地元のリバプール市民から愛されてないということが考えられますよね。

実際のところビートルズ解散後のリンゴの活動は北米中心で、イギリスへはあまり目が向いていなかった印象があります。

アルバム「LIVERPOOL 8」を出したり、リバプールで記念ライブをやったり、ここ数年は地元を意識した活動もあるにはあるんですが、ライブツアーはいつも北米だけですし。

もし本当にリンゴの生家解体がリバプール市民の総意だとしたら、そのツケがまわっているというか、やはりビートルズファンとして切なくなりますね。

生後3ヶ月間だけしか住んでない家ですから、家の存在そのものについてはリンゴは案外無関心でいられるんじゃないかと思うんですが、このスポークスマンのコメントを聞いて、リンゴは何を思ったでしょうか。
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リンゴの生家取り壊し問題

2010/11/04 14:57|リンゴ・スターTB:0CM:8
記事にするほど自分の中で考えがまとまってるわけじゃないんですが、事態もなかなか進展しそうにないので、ここらでリンゴの生家取り壊し問題について一度書いてみたいと思います。

順番が前後するんですが、まずは10月のニュース記事からどうぞ。

リンゴ・スターの生家、“壊される前の記念に”レンガ泥棒が続出
2010-10-28

リンゴ・スターの生家が周辺の開発計画のため取り壊しの危機にあることは以前お伝えしたが、この話が広まったことで、反対運動が始まっただけでなく、「ならば、その前に記念に…」と外壁のレンガを持ち去る困った輩も出現しているそうだ。

レンガ造りの家だけに、それが取り外されたらバランスが崩れる。市役所は歩行者の安全も考え、金属製のカバーを取り付けることにしたという。スポークスマンは「窓周辺のレンガがいくつも持ち去られています。記念品ハンターによるものだと思われます。もしこれ以上のレンガが取り外されたら、通行人に危険がおよびかねません」と話している。

開発工事は当初、10月にスタートするといわれたが、“リンゴの生家を救え”キャンペーンが起こり延期されている。

リンゴはこの家(9 Madryn Street)に3ヶ月しか住んでおらず、その後長年に渡り暮らしたAdmiral Groveほど観光客から注目されていない。しかし、熱心なビートルズ・ファンは「ポール・マッカートニーやジョン・レノンの家と同じように、リンゴの生家も保存し観光目的に再建すべきだ」と話している。キャンペーンの発起人は「Madryn Streetを撤去するというクレイジーな決断をくつがえすためにあらゆる手段を尽くして戦うつもりだ」という。


レンガ泥棒の記事を読んで、やあ懐かしいなあと思いましたね。

え? いえ、私がレンガ泥棒をしたことがあるんじゃないですよ。

私より年配のビートルズ・ファンの方ならご記憶のある方もいると思うんですが、今から30年くらい前、あのキャバーン・クラブのレンガが買えたんですよ。

通販で。
CavernClubBlock.jpg

Beatles in Cavern

キャバーン・クラブは今でもリバプールにあるんですが、今のキャバーン・クラブはビートルズが出演していた当時の場所から少し離れたところに移転されたものなんですよね。
CavernClub.jpg

で、内装のレンガなんかが改装時に売りに出されてたんですよ。証明書付きで。

全世界で限定5000個、ということだったんですが、本当のところはわかりません。

値段は忘れましたが、当時の金額で3万円くらいだったでしょうか?

「ええ~! そんな貴重なお宝がそんな金額で買えたの~!?」

と最近のファンの方は思われるかも知れませんが、当時のファン、少なくとも当時の私の感覚では、

「たかがレンガに3万円は高すぎるよ~」

でした(笑)

当時はビートルズ解散後10年くらいで、今ほどビートルズに歴史的なプレミア価値がついてなかったんでしょうね。

ジョンも愛と平和の人というよりは、まだロックンローラーのイメージでしたし。

まあキャバーンのレンガは、あの時買っておけばよかったかなあ、と今になって少し後悔しています(笑)

今にして思えば安かったし(笑)


さてこのリンゴの生家取り壊し問題なんですが、順番が前後すると冒頭に書いたように、まずは今年の8月にこんな第一報があったんです。

リンゴ・スターの生家、またもや取り壊しの危機
2010-08-19

リバプールにあるリンゴ・スターの生家(9 Madryn Street)がとうとう取り壊されることになるかもしれない。この話は数年前にも上がったが、市はやはり歴史的価値はないと判断。この地域の再建計画のため、10月に取り壊すと再通知した。

リンゴはこの家に3ヶ月しか住んでおらず、リバプールを訪れるザ・ビートルズ・ファンもこちらではなく、その後リンゴが20年間暮らしたAdmiral Groveのほうを訪れることが多いのだろう。ジョン・レノンやポール・マッカートニーの家を管理するNational TrustもMadryn Streetは保護していない。

リンゴの生家は別だが、この地域の不動産の95%は市が所有しており、現在、ほとんどが空き家。市はこれらの古い建物を取り壊し再建したいと考えている。2005年にもこの話があがったが、当時はリンゴ本人をはじめ地元の人たちやビートルズ・ファンから反対の声が上がり、ホールド状態となった。

生家を博物館(National Museums Liverpool)へ移そうとの話も出ているが、これには難色を示すファンも少なくない。リンゴ自身、「それじゃあ意味がない。僕が誕生したところ見たいのであれば、(博物館のある)ウィラルにあるんじゃよくない。そこ(Madryn Street)にあるからこそ、意味があるんだ」と話していた。

博物館側も、移動したとしてもすべてを再現するのは無理で、その外観だけになるだろうと話している。

市は正式な取り壊し計画を通知したものの、ビートルズ・ファンから反対の声が上がるのは間違いなく、速やかに実行できるかどうかは疑問だ。


ジョンとポールは歴史的芸術家として国から認定されてるんですね。

>ジョン・レノンやポール・マッカートニーの家を管理するNational TrustもMadryn Streetは保護していない

リンゴは認定されてないということなんでしょう(ジョージもかな?)

同じビートルズのメンバーでも後世の評価や扱いに差が出るのは仕方がないことだと思います。

でもリンゴはそのあたりが気に食わないのかも知れませんね。

>それじゃあ意味がない。僕が誕生したところ見たいのであれば、(博物館のある)ウィラルにあるんじゃよくない。そこ(Madryn Street)にあるからこそ、意味があるんだ

イエス・キリストが生まれた厩でもないでしょうに(笑)

取り方によっては、あんた何様? 発言ですね。

自分では何もしないけど口は出す、というリンゴの態度は、ファンのためにもそしてリンゴ自身のためにもなっていないと思います。

ビートルズで1番のいい人といわれていたリンゴですが、ことビートルズにまつわることでは けっこう意地悪な発言をするんですよね。

「ビートルズのリンゴ」に触れられるたびに「一個人としてのリンゴ」の気分を害してしまうんでしょうね。

私が感じるリンゴのビートルズ・コンプレックスについては、過去ログをご覧ください。
→「リンゴ・スターの憂鬱」

現在のポールが「ビートルズのポール」という過去の自分ととてもうまく付き合っている感じなのに、相変わらずのリンゴの態度にはファンとして悲しい気持ちになります。


まあリンゴの生家問題については、取り壊したくなければやっぱり博物館に移設するのが妥当な解決策じゃないでしょうか『人気ブログランキング』へ

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