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              私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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リンゴのテレビCM出演<海外編>

2008/04/28 20:25|リンゴ・スターTB:0CM:4
さて前回、リンゴ・スター出演の日本のテレビCMをご紹介しましたが、今回は海外でのテレビCM出演です。

海外の情報はすべて網羅できていませんので、今回ご紹介する以外にもあるかも知れませんが、とりあえず私が知っている海外でのテレビCMは3つあります。
たぶんすべてアメリカのCMだと思います。
ビートルズ解散後のリンゴはアメリカに生活の基盤を置いてますからね。

まずはSun Country社のワイン・クーラーのCM。
1987年のCMだそうです。
えっ、1987年?
リンゴがアルコール依存症の治療のためにリハビリ・センターに入所したのが1988年10月ですから、リンゴはアルコール依存症の頃にお酒のCMに出てたんですね~。

Sun Country Classic wine coolers




次は日本でもお馴染みの宅配ピザの「Pizza Hut」。
リンゴの知名度を買っての起用なんでしょうが、リンゴらしさはあまり感じられず、どうしてリンゴなんだという気持ちがします。
まあ、商品が宅配ピザですからね。
リンゴの他に出てくるおじさん達は元モンキーズの人らしく(今でも現役なのかな?)、BGMが途中で「Twist And Shout(かな?)」からモンキーズの曲に変わります。

Pizza Hut


ちなみにPizza HutのCMにはリンゴがナレーションをやっていた「機関車トーマス」バージョンもあります。
(オフィシャルなものではないかも知れませんが)

Thomas - Pizza Hut


最後は1989年の自動車のCMです。
「おっ、さすが元ビートルズ。車のCMなんてセレブじゃん。」
と思った方、ちょっと違います(*^_^*)
このCMにはジョンジョージは絶対に出演しないと思いますし、サービス精神旺盛なポールでも出ないんじゃないでしょうか。
いやホント、Fab4の中でも、これはリンゴ・スターならではCMだと思いますね。

Oldsmobile


Viva! Ringo!
来日公演を期待しています!!


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リンゴのテレビCM出演<日本編>

2008/04/25 14:05|リンゴ・スターTB:0CM:6
ビートルズの元メンバーの中で、テレビCMにCMキャラクターとして出演したことがあるのは、リンゴ・スターだけです。
時々ジョンの映像がテレビのCMで流れていることがありますが、ジョンの死後にヨーコの判断でCMに登場しているもので、もちろんジョン自身の預かり知らないところです。

日本ではテレビCMに出演するというのは、それだけ一般大衆に人気があるというステータスなんですが、欧米ではテレビCMへの出演を「安っぽい仕事」考える風潮があり、欧米のテレビCMにスーパー・スターが出演することは少ないようですが、「日本限定」でCMに出演することはよくありますね。

ビートルズというブランド力と、親しみやすいそのキャラクターから、リンゴは3つの日本のテレビCMに出演しています。

最初の出演は1976年か77年の衣料のCMです。
レナウンの「Simple Life」というブランドのイメージCMです。
商品とCMの内容から考えて、これは「元ビートルズ」の高級イメージを見込んだ起用だと思います。
YouTubeでは4パターンが見られますが、実際には7パターンあったそうです。

レナウン「Simple Life」








続いてはASASHIの「シュウェップス」という炭酸飲料のCM。
1984年か85年だと思います。
炭酸飲料という大衆嗜好品のCMというところに、リンゴ・スターのブランド力の低下を少し感じますが、CMの作りは高級感があります。
まだまだ「元ビートルズ」の高級イメージを保ってたんですね。
2本立てです。

ASAHI「シュウェップス」


そしてリンゴ・スターの高級イメージを完全に取り除き、その知名度と親しみやすいキャラクターを全面に押し出したのが、1996年の「すりおろしりんご」という飲料のCMでした。
自分の名前「リンゴ」が日本語では「Apple」の意味だということは、リンゴも1966年のビートルズの来日の時にはすでに知っていたそうです。
しかし1966年当時のビートルズ・ファンも、リンゴ自身も、およそ30年後の日本で「おやじギャグ」と呼ばれるダジャレを披露することになるとは、もちろん誰にも想像できなかったでしょう。
だって当時はリンゴを見た女の子が絶叫して、感激のあまり失神したりしてたんですからね。

宝酒造「すりおろしりんご」






この頃リンゴ・スターは日本の若者から「りんごすったおじさん」と呼ばれていたとかいないとか・・・

さてさて、今回はリンゴが出演した日本のテレビCMをご紹介しましたが、実はリンゴはアメリカでもテレビCMに出演しています。

続きは、次回をお楽しみに!

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ジョン・レノン 息子として父親として

2008/04/21 15:56|ジョン・レノンTB:0CM:14
YouTubeのおかげで、一昔前ならまず見れなかった映像が見れたり、聴けなかった曲が聴けるようになりました。
今回ご紹介するレコードの存在も昔から知ってはいたんですが、いつか聴く機会が訪れるなんて、昔は想像もしていませんでした。
まずは曲からご紹介しましょう。
フレディ・レノン(Freddie Lennon)「ザッツ・マイ・ライフ(That’s My Life)」です。

That's My Life (My Love And My Home)


「レノン」の苗字からお察しのとおり、これはジョンの父親がリリースしたレコードなのです。
「えっ? ジョンのお父さんもミュージシャンだったの?」と思った方、違います。
このレコードはジョンビートルズで有名になってから、1966年にリリースされたもので、ジョンの心をひどく傷つけたレコードなのです。

ジョンの父・アルフレッド・レノン(Alfred Lennon)は外国船の船乗りで、ジョンが母・ジュリアのお腹の中にいる時に航海に出たまま行方知れずとなります。
1人でジョンを育てることができなかったジュリアは、生まれたばかりのジョンを連れて、姉であるミミ夫婦と同居を始めます。

そして5年後、アルフレッドは突然に姿を現したのですが、その時すでにジュリアには新しい恋人ができていたため2人の結婚生活は再開されず、両親のどちらかを選ぶように迫られたジョンは母・ジュリアを選びました。そしてアルフレッドは再びジュリアとジョンの前から姿を消しました。
母を選んだジョンだったのですが、母ジュリアは新しい恋人との生活のために、その後すぐにミミの家を出て行ってしまいます。

ミミの家から遊びに行ける距離ではありましたが、ジョンを置いてジュリアが出て行ってしまったため、その後もジョンはミミの家で居候としてくらします。ミミ伯母さんが母親代わりに、ミミの夫であるジョージ伯父さんが父親代わりになってくれましたが、ジョンが13歳の時にジョージは亡くなってしまいます。
実の父であるアルフレッドとは音信不通のままでした。
Mimi John

そんな父・アルフレッドがジョンの前に再び姿を現したのは、映画「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」撮影中のことです。
1964年4月1日、およそ19年振りに再会した時の2人の様子を伝える記事は見当たりません。
ただ、ジョンはこの再会を快く思っていなかったようで、2人きりで会うことはせず、再会の場にはリンゴとジョージも同席していたそうです。
それまで音信不通だった父親が、子供が有名人になってから突然に名乗り出てきたのですから、何か裏があるのではないかとジョンならずとも警戒するのが当たり前かも知れませんね。
また同席したのがマネージャーのブライアン・エプスタインではなく、リンゴとジョージだったところに、当時のFab4の絆の強さを感じます。
Freddie_Lennon_in_kitchen.jpg

この再会でジョンはアルフレッドに金銭的な援助を約束したそうですが、その後に積極的に会うことがなかったことからも、やはり親子の再会は冷え切ったものであったと思われます。

アルフレッド・レノンはその後アメリカに渡り、息子であるジョン・レノンが自分に冷たい仕打ちをしていると次第に訴えるようになります。
おそらくお金のためだったのでしょう。
その一環として1966年にアルフレッド・レノンがアメリカでリリースしたレコードが、この「ザッツ・マイ・ライフ」なのです。
Thats My Life

幸いにというか、当然というか、このレコードは全米ヒット・チャートにランク・インしませんでした。
このレコードがヒットしなかったことを、ジョンはとても喜んでいたそうです。
しかし、この父・アルフレッドとの係わり合いは、確実にジョンの心を傷つけたことでしょう。

そんなジョン自身も、ビートルズで多忙だったせいもあり、自分の息子・ジュリアンには父親らしいことを出来ないままに別れてしまいます。

1970年発表の「マザー(Mother)」の中で、ジョンは「子供たちよ、自分のようになってはいけない。(Children, Don't Do What I have Done)」と歌い、「お母さん、行かないで。お父さん、帰って来て。(Mama, Don’t Go. Daddy, Come Home)」と叫びます。
ジョンは両親に傍にいて欲しかったのです。
また、父親としての自分自身を懺悔する気持ちもあったのではないでしょうか。

John Lennon – Mother


1975年、ヨーコとの間に息子ショーンが生まれたジョンは音楽活動を休止し、ショーンの傍にいることを選びます。
ジュリアンの時と同じ後悔をしたくなかったのでしょう。

しかし1980年。
息子を残して、ジョンはこの世を去りました。
ジョンがアルフレッドと別れた時と同じく、息子・ショーンは5歳でした。

ジョンの人格形成に母親の愛を求める気持ちが大きく係わっていることは、よく語られます。
しかしその一方で、ジョン・レノンは父親の愛にも飢え、父子の関係に苦しんだ人でもあったのです。

ジュリアンショーンがよい父親となり、幸せな家庭を築くことを祈ります。

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おすすめの「I Saw Her Standing There」

2008/04/17 15:11|Please Please MeTB:0CM:7
今回は「I Saw Her Standing There」にスポットを当ててみたいと思います。

デビュー・アルバムの1曲目で、ポールの「One, Two, Three, Four」の掛け声が印象的な、オーソドックスなスタイルのロックン・ロールですが、理屈抜きにファンの心を惹きつける1曲です。

さて今回は、私がおすすめの「I Saw Her Standing There」を4つ、ご紹介します。

1つ目は、1964年エド・サリバン・ショーでの「I Saw Her Standing There」です。
現在発売されているエド・サリバン・ショーのDVDではどうなっているのかわかりませんが(持ってませんので)、私が昔持っていたビデオ・テープの演奏はこの動画の通りでした。
ジョンポールのマイクの音量のバランスが悪く、間奏に入るまではジョンの声がとても大きく聴こえるんです(間奏の後はなぜかジョンのマイクの音が小さい)。
おかげでジョンのハーモニーのパートのメロディがよくわかります。
ジョンのハモリって、こんなメロディーなんだ~」と感心したものです。

I Saw Her Standing There – ED’SULLIVAN SHOW in 1964


続いてはいきなり10年後、1974年エルトン・ジョン(Elton John)のニュー・ヨークでのコンサートでの「I Saw Her Standing There」です。
さて、このブログを始めて5回目のエントリーで、エルトン・ジョンのコンサートにジョン・レノンが飛び入りした記事を書きましたが、読まれた方は少ないと思います。
何しろその頃の、このブログへのアクセス数は毎日1~4人でしたから(^ ^;
ジョンがエルトン・ジョンのコンサートにゲスト出演
今では多くの方にご訪問いただくようになり、本当に感謝していますm(_ _)m

コンサートに飛び入りしたジョン・レノンは、エルトン・ジョンと3曲共演したのですが、そのうちの1曲が「I Saw Her Standing There」です。
「I Saw Her Standing There」はジョンとポールのそれぞれが、解散後にコンサートで演奏した唯一のビートルズ・ナンバーなのです。
ちなみにこのコンサートは、ジョン・レノンにとってのラスト・ステージでもあります(;´д`)
動画がないのが残念・・・

Elton John and John Lennon - I Saw Her Standing There


次はさらに約10年後、1986年プリンス・トラスト・コンサートでのポールの演奏です。
Wingsを解散してツアーに出なくなったポールにとっては、7年ぶりのステージです。
ライブ好きのポールは登場から、もうノリノリです。
こんなにノリノリで楽しそうなポールは見たことがないというくらいです。
また観客も楽しそうで、会場の雰囲気もいいんですよね~。
次に日本公演が実現したら、私たちもこんな観客になりたいですね。

I Saw Her Standing There - THE PRINCE'S TRUST in 1986


さて最後はちょっと変わったI Saw Her Standing Thereです。
1988年ビートルズロックの殿堂入りをしまして、1月20日の授賞式にジョージリンゴ、ジョンの代理としてオノ・ヨーコが出席しました。
ポールは「ビジネス上の意見の相違」を理由に欠席しましたが、おそらくFab4の残った3人が公式な場に揃うことを避けたんじゃないかと思います(再結成うんぬんと騒がれますので)。
そして出席者によるパフォーマンスが行われたのですが、なんとポールの「I Saw Her Standing There」が演奏されたのです。
この選曲からも、他のメンバーとポールの不仲によるポール欠席でないことがうかがえると思います。
ビリー・ジョエル、ミック・ジャガー、ブルース・スプリングスティーンがボーカルをとり、ジョージがミック・ジャガーとマイクを分け合うという珍しいシーンもあります。
GeorgeMick.jpg

I Saw Her Standing There – The Rock And Roll Hall of Fame in 1988


リリースから数十年にわたって愛され続けている「I Saw Her Standing There」
最近のポールのライブでも演奏リストの定番です。
今秋からかも・・・と噂されている世界ツアーでも、はつらつとした歌声を聴かせてほしいですね。

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雲の上で2人のデュエットを

2008/04/14 14:33|その他TB:0CM:14
前回ご紹介したスティービー・リクス(Stevie Riks)さんは、ビートルズ以外にもたくさんのミュージシャンのものまねをされています。
イギリスの方なのでやはりイギリスのミュージシャンが多いんですが、ビートルズに次いでよくものまねされているのが、この人です。
う~ん、説明なしで見てわかるでしょうか。
チャレンジしてみてください(最初にタイトルが出ちゃうんで、音が出るまで目をつぶって)。



わかりましたか?
右はもちろんジョン・レノンですが、左の人物はクイーンQUEENフレディ・マーキュリー(FREDDIE MERCURY)のものまねなんです。

フレディ・マーキュリーといえば黒い短髪に口ひげ、マッチョな体に胸毛、というイメージを思い起こす方が多いと思いますが、
Freddie Mercury

70年代のフレディはあんな感じだったんですよね。
Freddie Mercury-70

ただあのものまねでは、なんだか頭の悪い気味の悪い人みたいな感じで、ビートルズが割とかっこよくものまねされているのと比べると、ちょっと気の毒ですね。
私のイメージするフレディ・マーキュリーはもっと知的でかっこいいんですけどねえ。
でも思いっきりいじられるということは、それだけリクスさんのフレディへの愛情が深いのかも知れません。

日本の漫画などでよく出てくる口ひげのマッチョなゲイのキャラのモデルは、間違いなくフレディ・マーキュリーだと思います。
楽曲は70年代の方が好きな曲が圧倒的に多いんですが、私の思い出のフレディはやっぱりこっちですね。
ステージ・アクションもたまりません。

Queen - Radio GaGa (Live Aid 1985)


しかし残念なことに、フレディ・マーキュリーは1991年11月24日、HIV感染症によるAIDSのために亡くなりました。
45歳でした。

前回のエントリーの冒頭で、「スティービー・リクスさんのものまねネタ」を本当は11月にアップしたかったと書きましたが、理由はこれです。
今回の記事を、本当はフレディ・マーキュリーの命日に合わせて出したかったのです。
合掌。・゚・(ノд`)・゚・。

さてクイーンビートルズには、イギリスの4人組バンドという以外にも似通ったところがあります。
メンバー全員が曲を作ったり、ボーカルやコーラスをこなすところも同じですし、「1人のスターとそのバック・バンド」にならず、メンバーの平等を原則にしていたところも似ています。

音楽面でもロックにクラシックの要素を取り入れたのはもちろん、ブラック・ミュージックやディスコ・サウンドなど、その時代の流行を柔軟に取り入れて自分たちのスタイルに消化していったところなども、常に音楽性を変化させたビートルズと似通っています。

実際にフレディは生前、好きなアーティストとしてジミ・ヘンドリックス、ロバート・プラント、ライザ・ミネリらの名前とともに、ビートルズ、特にジョン・レノンの名前を挙げていました。

クイーン「Life Is Real (Song for Lennon)」はタイトルの通り、フレディ・マーキュリーがジョンに捧げた追悼歌です。
素朴なメロディとアレンジは、まるでアルバム「Double Fantasy」の頃のジョンのようです。

Queen - Life Is Real (Song for Lennon)


またYouTubeにはフレディ・マーキュリーが歌う「Imagine」が多数あるんですが(音源はすべて同じ)、本物なんでしょうかね?
動画もないし、いつの音源なのか記録もないし、私は今一つ確信が持てませんが。

Freddie Mercury - Imagine


さて最後に、ジョンの「Imagine」クイーン「Play The Game」の素敵なリミックスをご紹介します。
フレディの澄んだ歌声と「Imagine」のピアノが重なって、とてもきれいです。

1991年に天に召されたフレディは、空の上でジョンに会えたでしょうか。
享年40歳のジョン・レノン、享年45歳のフレディ・マーキュリー。
雲の上での2人のデュエットを聴きたいものです。

Imagine / Play The Game by John Lennon and Freddie Mercury


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ものまね!ザ・ビートルズ

2008/04/10 13:44|その他TB:1CM:17
さて今回の記事は、もともとは11月にアップしようと思って原稿のまま温めていたものなのですが、いつもお世話になっている湘南のJOHN LENNONさんが先日ご自身のブログで記事にされましたので、予定より早い時期ですが、私もアップしようと思います。
湘南のJOHN LENNONさんの「Those were the days」

今回取り上げるのは、スティービー・リクス(Stevie Riks)さんという方です。
img_7870-1.jpg

日本でいえばコロッケさんとか、ビジーフォーのグッチ裕三さん、モト冬樹さんみたいな感じの、イギリスのものまね芸人さんです。

このリクスさん、歌もうまいし、楽器もなかなかうまいんですよー。
やっぱりコロッケというよりビジーフォーでしょうか。

そしてイギリスの芸人さんですから、やはりビートルズを得意の持ちネタにされています。
ジョンポールは表情なんかも似てますよ~。
特にポールが雰囲気をうまく掴んでいて、サングラスなどの小道具なしの直球ネタです。
リンゴはちょっと声が高いかな~。
ジョージも似てるんですが、なぜかあまりしゃべりを披露しないんですよね~。自信がないんでしょうか。

それではスティービー・リクスさんのFab4のものまねを、一人ずつ見ていきましょう!

Stevie Riks plays JOHN LENNON


Stevie Riks plays Paul McCartney


Stevie Riks plays Ringo Starr


Stevie Riks plays George Harrison


いかがですか?
歌い方や仕草の癖までよく掴んでいて、楽しいでしょう?
ものまねって不思議な魅力がありますよねー。

ただ残念なのはこのリクスさん、「ものまねのそっくりさ」で勝負したいのか、「ネタの面白さ」で勝負したいのか、なんかどっちつかずなんですよね~。
もっとハジけた芸風にした方が、いいんじゃないかと思うんですけどね。

それでは引き続き、リクスさんのビートルズのものまねを堪能しましょう。

ホワイト・アルバム1枚目のA面、B面の完全ものまねです。

THE WHITE ALBUM:A面

THE WHITE ALBUM:B面

ところで、どうしてこの記事を11月にアップしたかったのか。
その答えは、次回のブログ記事へとつながるのです(って、そんなに大した理由でもないんですが・・・)

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島田奈美さんをご存知ですか?

2008/04/07 15:04|その他TB:0CM:17
島田奈美さんって、ご存知ですか?

島田奈美2

1986年にデビューしたアイドル歌手です。
1990年に引退しちゃいましたけど。
今と違ってアイドル歌手といえば、実写版「リカちゃん人形」のような時代。
愛くるしい顔といい、歌といい、島田奈美さんは当時の典型的なアイドル歌手でした。
歌はこんな感じです。
アイドル・アイドルしてますね。

島田 奈美 - 内気なキューピッド


う~ん、親衛隊の怒声のような掛け声が懐かしい(笑)

また、クレアラシルというニキビの薬のCMにも出てました。



いっぽう当時の私はすでに熱烈なビートルズ・ファンだったので、日本のアイドル歌手に対する興味は全くなかったのですが、実はこの島田奈美さんだけは心の中で応援していたんです。
(すみません、レコードは1枚も買ってませんが)

島田奈美

なぜかと言いますと、あるアイドル雑誌のインタビューの中で「好きなミュージシャンは?」と聞かれた彼女が、

ビートルズエリック・クラプトンが好きです。特にクラプトンのギターの音が好き。」

と答えていたのを見たことがあったからなんです。
今の時代だと何ということはない答えなんですが、アイドル歌手はお人形さんの時代でしたからね~。
フリフリのドレスを着たアイドルがビートルズを好きだとか、クラプトンのギターが好きだなんて答えていたのは、すごく驚きだったんですよ。

またジョン・レノンについて、こんな発言をしていたこともありました。

「最初はビートルズを聞いていたんですけれど、ジョンのソロを聞いたらすごく良くて…。ジョンって、もうレコードが出ないでしょ。だから反対にものすごく魅力を感じちゃうとこ、ありますよね。」

「ジョンの曲を聞いていると、自分の知らない世界が見えてくる気がしたの。戦争のこと、社会のこと、そして恋愛のこと。だから、とっても新鮮だったし、いろんな面で考えさせられた。」

とにかくアイドル歌手が洋楽を聴いているというだけでも驚きの時代です。
こんな本格的な音楽志向の子だから人気が出ればいいなあ、と思っていました。

実際のところ、松田聖子や中森明菜のようなスーパー・トップ・アイドルにはなれませんでしたが、シングル曲がオリコン・チャートのトップ10に入ったりもしてましたから、アイドルとして成功したほうでしょうね。
ただし残念ながら、彼女の本格的な音楽志向は表面に出ることなく、彼女はアイドル歌手のまま1990年に芸能界を引退しました。

それから10数年。

ある時ふっと彼女のことが気になって、今どうしてるのかとネットで調べてみたところ、なんと音楽ライターやイベント・プロデューサーとしてお仕事されているではありませんか!

現在は、本名の島田奈央子で活動されています。
naoko@net
島田奈央子2

HPからのプロフィールの転載です。

島田奈央子Naoko Shimada
1971.02.01生 / O型 / 水瓶座
90年芸能界引退後、「CDジャーナル」など音楽系雑誌でCDレビューやインタビューなどを担当。音楽ライターとして活動を開始する。当初は、邦楽系が多かったが、最近ではSOULやクラブジャズなどを中心に執筆。現在も「スウィング・ジャーナル」などに掲載。CDのライナー・ノーツなども手掛ける。また、92年からクラブDJとして、都内各所で行なわれたクラブイベントに参加。アシッド・ジャズ レア・グルーヴを中心にプレイ。青山「マニアック・ラブ」、青山「Blue」、渋谷「DJバー」など。更に、TVやラジオなどにも出演。
スペースシャワーTVでVJ 、FM富士、Bay-fmなどでレギュラーパーソナリティーとしての経験を持つ。

島田奈央子

ジャニーズのアイドル3人組「たのきんトリオ」で、最もかつダントツに人気がなかった「よっちゃん」こと野村義男さんが、後にギター・リストとして成功して浜崎あゆみのバック・バンドをされているように、好きなことを諦めないで続けていれば道は開けるものなんだと、島田奈央子さんのHPを見つけてとてもうれしくなりました。

島田奈央子さ~ん、このブログを読んでたら、是非お便りくださ~いヾ(´▽`)
って、読んでるわけないか(*^_^*)

さてさて島田奈央子さんのHPのプロフィールで、好きなアーティストは、と、

>スティービー・ワンダー
>ダニー・ハザウェイ
>マイケル・フランクス


好きなアルバムは、と、

>「キー・オブ・ライフ」スティービー・ワンダー
>「ライブ」ダニー・ハザウェイ


あれ? ビートルズクラプトンはいずこへ・・・(^ ^;

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この春 「ビートルズ講座」 開講!

2008/04/05 17:50|Fab 4TB:1CM:6
お知らせで―す。
大阪梅田のよみうり文化センターで、今月からビートルズ講座なる講座が始まります。

舩曳将仁

知っているようで知らないビートルズのこと。
最新の研究素材や映像、CDなどの資料から、偉大なロックの歴史を築き上げたビートルズの誕生から解散までを裏話を交えて紹介します。
開催日時:第3(日)13:00~14:30
受講料:6回12,600円、1回参加2,500円
講師:音楽ライター 舩曳将仁

よみうり文化センタービートルズ講座

英会話やダンス、ヨガ、メイクアップなんかに交じって、カルチャー・センターで「ビートルズ講座」があるなんて、すごいじゃないですか!

講師の舩曳将仁さんについては私はよく存じませんが、「大人のロック ザ・ビートルズ・1967-1970・青の時代の真実」の中で記事を書かれてますね。
大人のロックビートルズ特集

ちなみに舩曳さんがお書きになってる記事のタイトルは「70年代ロックの源流としてのビートルズ 『ペパー』の衝撃が切り開いた新しいロックの潮流」です。

舩曳さんのプロフィールも転載しておきます。
「ふなびき まさよし
1974年大阪生まれ。音楽評論家、フリーライター。音楽雑誌やCDのライナーノーツ等で執筆活動中。著書に『ブリティッシュ・ロックの黄金時代』『英国ロック博覧会』(ともに青弓社)」

今年34歳ですから、結構お若い方なんですね。
著書は読んだことありませんが、UKロックにお詳しいようです。

関西在住のビートルズ・ファンのみなさん!

是非、受講されてみてはいかがでしょうか?

ちなみに、東京ヒルトンはよみうり文化センターの関係者ではありません。念のため(*^_^*)

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ジョージとシタールとシャンカール親娘

2008/04/03 14:34|ジョージ・ハリスンTB:0CM:8
こんなニュースを見つけました。

A. Shankar

ラビ・シャンカールの娘アヌーシュカが日本でシタール・コンサートを行なうことが発表された。
日時は6月10日、東京の紀尾井ホールにて。アヌーシュカのシタールをはじめ、ピアノやタブラなど、5人編成での演奏となる。また、アヌーシュカは6月11日に東京芸術大学で行なわれる「アジア・躍動する音たち’08 インド音楽の魅力~トーク&コンサート~ ナレシ・ソハール(「ギターンジャリ」より3つの歌)/他」にも出演する。

アヌーシャカ・シャンカール「時の記念日」に来日公演決定

ラビ・シャンカール(Ravi Shankar)はインドの世界的なシタール奏者ですが、ビートルズ・ファンにはジョージシタールの師匠としての印象が強いですよね。
George-Rshankar.jpg

ジョージシタールという楽器を初めて知ったのは1965年。映画「ヘルプ!(4人はアイドル)」の撮影中に、インド・レストランでインド人奏者が演奏しているのを見た時です。
そして撮影の合間に弾いてみて「変な音がする楽器だな」と思いながらも、その音色に惹かれて購入し、その後は独学で練習をしていたようです。
当時22歳のジョージシタールについて、「僕の中のある部分が強く揺さぶられているのがわかった。僕の知性は理解していなかったんだけど、僕の残りの部分はなぜかそれと一体化していたという感じかな。」と発言していますが、自分の上に君臨しているジョンポールに対して、何らかの形で独自の個性を出したいという野心もあったんじゃないかと私は思います。

そして1966年6月にジョージは初めてラビ・シャンカールと出会い、手ほどきを受けるために同年9月から5週間の間、ジョージはインドに滞在しました。
ジョージラビ・シャンカールからシタールの手ほどきを受けている貴重なニュース映像があります。

George Harrison's Sitar-Lesson With Ravi Shankar


しかしながら、ジョージがその後シタールにドンドンのめり込んでいったのかというと、私はそうではないと思います。
ラビ・シャンカールから手ほどきを受けてからシタールを披露したビートルズ・ソングは、実は「Across The Universe」の1曲だけしかないのです。
アルバム「RUBBER SOUL」の「ノルウェーの森(Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」のシタールも、アルバム「REVOLVER」の「ラブ・ユー・トゥー(Love You To)」のシタールも、どちらもラビ・シャンカールに出会う前の独学での演奏です。
また、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー(Within You Without You)」とシングル「Lady Madonna」のB面の「ジ・インナー・ライト(The Inner Light)」の演奏は、プロのインド楽器演奏家の演奏です。
インド音楽と西洋のロックとは、やはり本来の曲調が合わないのではないでしょうかね。
ビートルズ解散後、ジョージがソロになってから自分の作品にどんどんシタールを取り入れたということもありませんし。

だからといってジョージとラビ・シャンカールの交流が一時的なものだったかといえば、決してそうではなかったようで、1971年のバングラデシュ難民救済コンサートは彼がジョージに働きかけたことがきっかけで開催されましたし、1974年のジョージの北米ツアーはジョージとラビ・シャンカールの連名で行うなど、単なる楽器演奏の師匠と弟子の関係ではなく、思想面などでも共感するところが多い2人だったようです。
George-Rshankar US Tour

そして2002年11月のコンサート・フォー・ジョージにも、ラビ・シャンカールは今回来日する娘さんのアヌーシュカ・シャンカールと参加しています。
ちなみにラビ・シャンカールは1920年生れですから今年で88歳ですが、まだご健在のようです。
それではコンサート・フォー・ジョージでの、アヌーシュカ・シャンカールの演奏をご紹介します。
この度の来日でもこんな演奏を聴かせてくれるんでしょうね。
残念ながら私は行けませんが。

Anoushka Shankar – in Concert for George (2002)


なお、今回の記事を書くにあたって初めて知ったんですが、ジャズ・シンガーのノラ・ジョーンズ(Norah Jones)は、ラビ・シャンカールの娘さんなんですね!
最近の音楽事情に疎い私は、全く知りませんでした・・・
そう言われれば、顔が結構インド人っぽい(*^_^*)
ノラ・ジョーンズ

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