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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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ビートルズ映画の配役をチェック!

2009/01/27 14:04|映画TB:0CM:8
お久しぶりです。
しばらく更新せずに、すみませんでした<(_ _)>

最近 ブログのネタになるようなビートルズの話題がなくて。

日記系ブログではないので、ビートルズ関連の興味深いニュースがないと、ブログの更新がとどこおりがちになってしまうのですが、今回は小ネタで。

昨年の夏に製作が発表されていたジョンの伝記映画「ノウウェア・ボーイ」の配役が一部決まったそうです。

ジョン・レノンの伝記映画でジョンを演じるのは子役出身の注目俳優

 1980年12月8日に狂信的なファンに射殺されたジョン・レノンの伝記映画が製作される。映画は『ノウウェア・ボーイ』(原題)で、ジョンの子ども時代からスターとして頂点に登りつめるまでの過程が描かれ、両親が不在で、叔母に育てられた孤独な青春時代やポール・マッカートニーとの友情にも焦点が当てられる予定だ。

 ハリウッド・レポーター紙が伝えたところによると、本作で主人公のジョンを演じるのは映画『ジョージアの日記/ゆーうつでキラキラな毎日』のアーロン・ジョンソンで、イギリスの女優クリスティン・スコット・トーマスがジョンを育てた叔母のミミを演じ、『あるスキャンダルの覚え書き』のアンヌ=マリー・ダフが母親のジュリアを演じる。監督はビジュアル・アーティストのサム・テイラー・ウッドがあたり、撮影は3月からジョンの故郷であるリヴァプールで行われる予定だ。

 ジョンを演じるアーロンは、テレビドラマや映画『トムとトーマス』などで子役から活躍しており、映画『シャンハイ・ナイト』『幻影師アイゼンハイム』『ジョージアの日記/ゆーうつでキラキラな毎日』と話題作へ出演した後、人気作家マーク・ミラーの最新コミックの映画版『キック・アス(Kick-Ass)』(原題)の主人公を演じることが決まっている。同作ではスーパーヒーローになろうとする平凡な高校生を演じ、ニコラス・ケイジと共演。今後が楽しみな18歳である。


撮影はこれからですが、映画の内容はどうでしょうかねー。
はぁ~ ┐(´-`)┌ ってならなければいいですが。

私は映画に詳しくないので、ここの記事に出てくる俳優さんの名前はみんな初耳でした。
で、どんな人たちだろうと調べてみました。

まずはジョン役のアーロン・ジョンソンさん。
Aaron1.jpg

おお、美少年だ!
ちょっと美形すぎる気がしないでもないですが、主人公ですからね。
ジョンの顔の特徴は、ポールのようなまん丸じゃないけどはっきりとした目とまっすぐに通った鼻筋だと思いますので、結構いい線だと思います。

続いて、まずは左が本物のミミおばさんで、右はもちろんジョン。
Mimi  John

で、ミミおばさん役のクリスティン・スコット・トーマスさん。
KRISTIN-SCOTT-THOMAS.jpg

うん、感じ出てますね。
とても似ています。

そしてジョンの実母のジュリア。
ジュリアの写真って少ないですよねー。
私が知る限りではこの2枚しかありません。
John  Julia
Julia.jpg

上の写真が有名ですね。
この写真を初めて見た時、「なんて頭が大きいんだ。まるで塩沢ときじゃないか。」と思ったものですが、
塩沢とき

つばの広い帽子を被ってたんですよね(^ ^ ;

で、ジュリア役のアンヌ=マリー・ダフさん。
Duff.jpg

う~ん、これもなるほどっていう配役ですね。

「ジョンはジュリアのことを母としてだけでなく、一人の女性として意識していた」

みたいな感じじゃないでしょうか。

映画の中にはポールやジョージも出てくると思うんですが、今のところ配役はわかりません。


さて、ビートルズ関連の映画は過去にも何作かありました。

一番有名なのは1994年の「バック・ビート」でしょうか。
backbeat.jpg
残念ながら現在発売中止ですが。

デビュー前のハンブルグを舞台に、スチュアート・サトクリフの生涯をつづった映画ですが、もちろん、ジョン、ポール、ジョージも出てきます。

ジョン役のイアン・ハートさん(写真左)。
Ian Hart

ポール役のゲイリー・ベイクウェルさん。
G_B.jpg
この写真はポールにそっくり。

ジョージ役のクリス・オニールさんはあんまり似てないですけど。
C_O.jpg

また、解散後をテーマにした映画では、2000年の「ザ・ビートルズ 1976ダコタ・ハウスにて…」があります。

1976年、全米ツアー中のポールがお忍びでジョンのいるダコタハウスを訪れ、2人きりで6年ぶりの再会を果たすという内容なんですけど、私は観たことないんですよねー。

ほとんどがジョンとポールの会話だけのしっとりとした映画らしいんですが、監督がなんと「レット・イット・ビー」マイケル・リンゼイ・ホッグなんです。
ビートルズ崩壊の様子を1ヶ月間撮り続けて映画にした監督が、果たしてどんな再会の場面を描いたのか、いやー、是非観てみたいんですけど日本語字幕版のビデオは発売中止で、DVDは未発売です。

で、配役ですが、まずポール役のエイダン・クインさん。
aidan quinn

痩せた顔だと似てませんが、ちょっとふっくらしてニッコリ笑うと雰囲気がポールっぽくなりますし、
aidan quinn 2

髭を生やしてこんな格好をすると、おお、ポール。
aidan quinn 3

ジョン役のジャレッド・ハリスさんは、はっきり言って似てません。
jared_harris.jpg jared_harris 2

でもこれが、ビデオのジャケットだと雰囲気がそっくりなんですよねー。
Two of Us

ちなみに映画の中のシーンはこんな感じ。
john and paul in cinema

john and paul in cinema 2

うーん、やっぱりジョンは・・・ ( ̄_ ̄ i)

でも観てみたい!


さて、写真をネタにした今回の記事でしたが、おまけです。

絵本「ちょうどいい ほん」とニュー・アルバム「Chimera Music Release No.0」の発売記念イベントで来日中のショーン・レノン
ショーン・レノン

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ジョンのMBE勲章返還の真の理由とは?

2009/01/12 15:15|ジョン・レノンTB:0CM:9
先日、こんなニュースを見つけました。
MBE.jpg

ジョンが1969年に返還したMBE.勲章発見

ジョンが1969年に返還したMBE勲章が発見されたと、Times OnlineとUKサンが報じている。
ジョンは当時「イギリスのナイジェリア/ビアフラでの内戦への関与、ベトナム戦争におけるアメリカへの支援、「コールド・ターキー」がチャートを下降していることに反対し」と言ってMBE.勲章を返還した。
そのMBE勲章は返還されたときに、ジョンが添えた手紙とともに、セント・ジェームス宮殿の Central Chancery of the Orders of Knighthood(勲爵士団の中央公文書保管所)に置かれた。
勲章は返還されたが、ジョンの気持ちとは裏腹にMBEという称号はそのまま残されている。
バッキンガム宮殿は声明を出し、その一部で「それはレノン氏が返還した日から保管されておりますが、博物館で展示されるかどうか決めるには、まず所有者を定める必要があるでしょう。それはジョン・レノンの遺産を管理するヨーコ・オノ次第と言えましょう」


念のため解説しておきますと、ビートルズの4人は1965年10月に大英帝国彰勲章 (Members of the Order of British Empire: MBE)を英国王室から送られています。
受勲の理由は国家に対する、外貨獲得などによる多大な経済的貢献です。
BeatlesMBE.jpg

ビートルズの受勲が発表されたところ、戦争の武勲で勲章をもらった元軍人達の中で勲章を返上するという騒動が起こったりしましたが、その時にジョンは、

「僕らの叙勲に不満がある人は、戦争で人を殺して勲章をもらったんだろう。でも僕達は人を楽しませてもらうんだから、僕達のほうがもらう資格はあると思うよ。」

と、なかなかユーモアのある発言をしています。

さて、そのMBE勲章をジョンが王室に返還したのが1969年11月26日で、その勲章が先日 宮殿で見つかった、というニュースなのです。

返還された勲章が捨てられずに発見されたことついては特に感想はないんですが、今回のニュースであらためて思ったのは、

なぜジョン・レノンはMBE勲章を返還したのか?

ということです。

>「コールド・ターキー」がチャートを下降していること

はジョークとして、一般にはイギリス政府の政策に抗議してと言われていまして、その具体的な政策が「イギリスのナイジェリア/ビアフラでの内戦への関与」と「ベトナム戦争におけるアメリカへの支援」です。

しかし私は、これはジョンの気持ちの核心ではないのではないかと考えています。

2年後の1971年に「Happy Xmas (War Is Over)」をリリースしていますから、1969年当時のジョンが強固な反戦思想を持っていても不思議ではないんですが、これが勲章返還の真の理由ではないと思うんですよね。

まず、戦争についての政策を決定・実行しているのは英国王室ではなく英国政府ですから、政府への抗議として王室へ勲章を返還するのは少し筋違いだと感じます。

それに「ベトナム戦争におけるアメリカへの支援」に反対してといいながら、ジョンは1971年にアメリカに移住してるんです。
1971年のアメリカは、まだベトナム戦争を継続中です。

これらのことから考えて、ジョンの勲章返還の本当の理由は「戦争政策批判」ではないと思います。

それではジョンの勲章返還の真の理由は何だったのでしょうか?

謎を解く鍵は、1969年11月という時期にあると思います。
PlasticOnoBand.jpg

この頃のジョンですが、まず1969年7月に「平和を我等に(Give Peace A Chance)」、10月に「コールド・ターキー(Cold Turkey)」の各々をビートルズではなく、Plastic Ono Band(プラスティック・オノ・バンド)というジョンとヨーコを中心とした新しいバンド名義でリリースしています。

そして勲章を返還したとされている11月26日ですが、この日のジョンは何をしていたかといいますと、プラスティック・オノ・バンド名義でEMI第2スタジオを使い、「What’s The New Mary Jane」と「You Know My Name (Look Up The Number)」の編集やオーバー・ダビングをしています。
この日にスタジオに集まったのはプラスティック・オノ・バンドの名の示す通りジョンとヨーコだけであり、ポール、ジョージ、リンゴは参加していません。

そして翌年の1970年1月3日と4日に、前回の記事で書いたようにビートルズとしての最後のセッションが行われたのですが、これにはジョンのみ参加していません。

さらに、このセッションの中でジョージがこんな“公式表明”をした記録が、テープに残っているそうです。

「すでにお聞き及びのことと思いますが、デイブ・ディーはグループを脱退しました。しかしミッキーとティッチ、それに私は、大切でありながらこれまで二の次とみなされていた仕事を、今後も続ける所存であります。」

デイブ・ディーとは、60年代のイギリスのポップ・グループ「デイブ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティッチ(日本での名前はデイブ・ディー・グループ)」のリーダーで、1969年にグループを抜けてソロになった歌手の名前です。

ジョージはデイブ・ディーとジョンをひっかけて、ジョンがビートルズをすでに脱退していること、自分達は残されたテープの編集作業をしていることを、皮肉交じりに表明しているのです。

この流れを踏まえてジョンの勲章返還を、私はこう考えます。

ビートルズとしての名誉であるMBE勲章を返還することで、ジョンはビートルズとしての名声を返上したかったのではないでしょうか。
ジョンのMBE勲章返還は、ビートルズとの決別の表明だったのではないでしょうか。
John MBE

受勲の時は“たかが勲章”という態度を取っていたジョンでしたが、MBE勲章にそれだけの意味を込めていたのかと思うと、やぱりジョンは英国人であり、“されど勲章”の気持ちも強かったのではないかと思います。『人気ブログランキング』へ

ビートルズの年始を振り返る

2009/01/05 14:11|Fab 4TB:0CM:0
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

昨年はポールの心臓手術のニュース(後にポールが否定)から始まり、ポールの離婚、リンゴのニュー・アルバム、リンゴの北米ツアー、リンゴのファン・レター受け取り拒否発言、ファイアーマンのニュー・アルバム、「Carnival Of Light」リリース騒動と、現役Fab4の話題だけでも盛りだくさんな一年でした。

今年はビートルズ・ファンにとってどんな一年になるでしょうか。
やはり注目はポールのワールド・ツアーが実現するかでしょうね。
単発でのライブは行っているポールですが、大規模なツアーに出るかどうか。
近年のポールの活発な活動をみていると、実現の可能性は十分にあると思います。

さて年末年始はブログの更新をしていなかったのですが、年末年始に休むというのはイギリスの習慣にはないのでしょうか。

ビートルズの活動をみてみると、結構、年始に印象に残る活動をしています。

まず、1月1日
1961年の1月1日に、ビートルズはデッカ・レコードのオーディションを受けて不合格となりました。
このオーディションでの演奏は「アンソロジー1」にも数曲収録されていますし、海賊盤では全曲聴けます。
ドラムはリンゴではなく、ピート・ベストです。

このオーディションの演奏を聴いて印象的なのは、ジョージのボーカルがとても活き活きとしていることです。
レコード・デビューしてからのジョージはリード・ギタリスト&コーラスというポジションで、ボーカリストとして目立つ存在ではありませんでしたが、デビュー前はこんなに積極的に歌っていたのかと新鮮に感じます。

Three Cool Cats - The Beatles


続いて1月2日
1969年1月2日。
この日から1月30日まで、後に「ゲット・バック・セッション」と呼ばれるセッションが始まります。
映画「Let It Be」となったセッションです。
このセッションは気ままに演奏をしたり歌ったり、そして途中で演奏をやめてしまうことも多く、とにかくだらだたとまとまりがありません。セッションの様子を編集なしの状態で聴ける海賊盤などもありますが、私でも最初から最後まで聴くのは苦行です(笑)

このセッションは一般に「オーバー・ダビングなどの編集を行わない一発録りのアルバム『Get Back』のレコーディング」と思われがちですが、実はそうではありません。
確定してはいませんでしたが、この頃にビートルズの頭にあったのは「客船の上ですべて新曲のライブを行い、そのライブをアルバムとしてリリースする」であったといわれています。
ですからあのセッションはレコーディングではなくて、ライブのリハーサルなんですね。
おまけにいつどこでライブをするのかなど、具体的な計画は全くなかったライブのリハーサルですから、なるほどだらだらと演奏してまとまりがなかったのも納得です。
結局、船上ライブは実現せず、その代りに1月30日にアップルのビルの屋上でライブを行ってセッションを終えたのですが、このライブもレコーディングだという意識はなかったのではないでしょうか。

The Beatles Rooftop Concert


1月3日1月4日
1970年の1月3日と1月4日。
デンマークに旅行中のジョンを除いて、ポール、ジョージ、リンゴの3人がEMIの第2スタジオに集まり、3日に「I ME MINE」のレコーディング、4日に「LET IT BE」のオーバー・ダビングを行っています。
そしてこれがビートルズのバンドとしての最後のレコーディングとなったのです。
(個人では4月1日にリンゴがオーバー・ダビングのために演奏したのが最後です)

そして1月5日
1967年の1月5日。
「PENNY LANE」のボーカルのオーバー・ダビングの後に、昨年11月に話題になったビートルズの未発表曲「CARNIVAL OF LIGHT」が録音されています。
マーク・ルウィーソンの「ビートルズ/レコーディング・セッション」によると、この曲はロンドンの劇場で行われるイベントの中で使うサウンド・エフェクト・テープだったとのことで、テープには「電子ノイズ」と書かれていたそうですから、まあ曲の体裁をなしてないのでしょうねえ。

1988年に発売されたこの本の中で、すでに、

「ポールはビートルズがこのようなアバンギャルドな作品を生み出したことを、明らかに喜んでいた」

と書かれています。
三つ子の魂、百までか。ポール(笑)

ところで、この「CARNIVAL OF LIGHT」のリリース騒動。
振り返ってみれば昨年が初めてではないんですね。

2002年9月にも、こんな報道がありました。

[ロンドン 14日 ロイター] 元ビートルズのポール・マッカートニーが、35年間日の目を見なかったビートルズ時代の曲を発売すると、英高級日曜紙サンデー・タイムズが報じた。
この曲は、演奏時間14分の「カーニバル・オブ・ライト」。アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の製作中にレコーディングされ、1967年にロンドン市内のイベントで演奏されたのを最後に、長年封印されてきた。
同紙がプロデューサーのジョージ・マーティン氏の発言として伝えたところによると、同氏は当時、この曲をビートルズの音楽として発売する価値はないと判断したという。
「カーニバル・オブ・ライト」は、マッカートニーの前妻、故リンダさんにより撮影されたビートルズ写真の記録映画で使用され、サウンドトラックに収録される予定。


2002年といえばジョージが亡くなった翌年ですが、この時もオリビアの反対にあったんでしょうか?

というか、そもそも

「ビートルズ写真の記録映画で使用され、サウンドトラックに収録される」

この映画そのものが実現してないですよね?

「CARNIVAL OF LIGHT」の公式リリースは、やはり今後も実現しないのではないでしょうかね。『人気ブログランキング』へ

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