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ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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謎と奇跡の人 ブライアン・エプスタイン 後篇

2018/09/24 13:08|その他TB:0CM:2
前篇で、ブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーになったことはとても不思議なことであり、その不思議がビートルズのレコードデビューという奇跡を起こした、というところまでを書きました。

ビートルズのデビューが奇跡? ビートルズほどのバンドならデビュー出来たのは当たり前で、エプスタインがいなくてもデビュー出来たでしょ。

というのが、現代の私たちの感想だと思います。

しかし1962年当時の状況を省みると、ビートルズのデビューはエプスタインが起こした奇跡、エプスタインがいなければ無かったであろう奇跡だと言わざると得ません。


エプスタインがデッカ・レコードに売り込み、1962年1月1日にオーディションを受けたが不合格→次にEMIに売り込む→ジョージ・マーティンの目に留まりデビューが決定。

ビートルズのデビューの経緯についての認識は、一般的にはこのようなものだと思います。

ビートルズを不合格にしたデッカは見る目がなかった、愚かだった、と私たちは考えています。

しかし、デッカは見る目がなかったと言えるのは、ビートルズの成功を知る今だからなのです。

デッカで不合格になった後、エプスタインはパイ、フィリップス、オリオールにもビートルズを売り込みましたが、いずれも却下されています。

デッカの判断は当時の音楽業界では極めて妥当だったわけです。

いやいや、そうは言ってもEMIはビートルズをデビューさせたじゃないか。他のレコード会社に見る目がなくて、EMIには見る目があったということじゃないの?

と思う方もおられるでしょうが、実はEMIも当初はビートルズを不合格にしているんです。それも、後にビートルズのプロデューサーとなるジョージ・マーティン自らが。


エプスタインのEMIへの最初のアプローチはデッカと同時期の1961年12月に行われ、この時に4人の責任者がデモ音源を聴いたうえで却下されたのですが、この4人のうちの1人がジョージ・マーティンなんです。

ただしこの時のデモ音源とはトニー・シェリダンのシングル「マイ・ボニー」で、バックバンドとしての演奏ではビートルズの魅力が伝わらなかったのかも知れません。
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そこで、2月にエプスタインは再度EMIを訪れ、ジョージ・マーティンに今度は1月1日のデッカ・オーディションでの演奏を聴かせます。

が、この時も却下。デッカでの演奏を聴いたジョージ・マーティンはビートルズに契約するに値する魅力を感じなかったのです。


本来ならここでビートルズのデビューはなくなってしまうところでしたが、思わぬ幸運がめぐります。

2月上旬にエプスタインがHMVを訪問した際に、デッカでの演奏を聴いたシド・コールマンという人物がビートルズを気に入ります。

そしてシド・コールマンはEMI系列の音楽出版社の責任者であり、ビートルズの楽曲の著作権を自分の出版社で扱いたいと考えて、ビートルズとの契約をEMIの専務に進言したのです。

系列出版社からの進言を断りにくかったEMIの専務は、ビートルズとの契約をジョージ・マーティンに託しました。

ビートルズの件がジョージ・マーティンに委ねられるはこれで3度目。

さらにこの案件はジョージ・マーティンが自ら進んで取り組んだことではなく、EMIから懲罰的に押し付けられたものだったのです。

というのは、ジョージ・マーティンは当時報酬のことでEMIともめており、さらに社内不倫がばれて立場が悪くなっていたのでした(あの紳士のジョージ・マーティンが不倫とは驚きですが、その後 正式に結婚しています)。


そして3度目の遭遇でジョージ・マーティンがビートルズの魅力に気づいたのかというと、これもそうではありません。

6月にジョージ・マーティンの元でセッションを行って自作曲を数曲披露したのですが、その時の印象ついてジョージ・マーティンは「そこで聴かされたすべての曲に興味が持てなかった。早急に彼ら向きの曲を見つけ出さなければならない必要性を感じた。彼らの作曲能力で売れる見込みはまったくなかった」と後年語っています。

音楽面での貢献から5番目のビートルズと呼ばれることのあるジョージ・マーティンでさえ、ビートルズの魅力に気づくのはデビューしてからなのです。


もしもビートルズがエプスタインと出会っていなければ、あるいはエプスタインの粘り強い売り込みがなければ、ビートルズはどこのレコード会社の目にもとまらず、デビュー出来ずにおそらくリバプールのローカルスターで終わっていたわけです。

ビートルズほどのバンドならエプスタインがいなくてもデビュー出来たはず、というのはビートルズの成功を知っている今だからそう思えるだけということが、おわかりいただけたでしょうか。


さてジョージ・マーティンをはじめ、どのレコード会社にもまったく評価されないビートルズでしたが、デッカのオーディションで不合格になった際に、エプスタインはデッカの担当者にこう言いました。

「ビートルズはエルヴィスよりもビッグになります」

ビートルズの歴史の中で ブライアン・エプスタインほど不思議で奇跡的な人物はいないということが、きっとおわかりいただけたでしょう。
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謎と奇跡の人 ブライアン・エプスタイン 前篇

2018/09/06 13:18|その他TB:0CM:2
私たちのほとんどはビートルズの歴史を後から振り返って追っていますので、その存在や出来事の大概を当然、必然だと思っています。

ビートルズが偉大なバンドになったのは当然だし、あれだけの実力があったんだからビートルズがロック史に登場したのは必然、という感じですね。

しかし冷静に省みると、偶然や奇跡としかいいようのないことが多いんですよね。

今回はビートルズ史上最大級の謎と奇跡である、ブライアン・エプスタインについて考えたいと思います。

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最近ビートルズ関連の本を読むことが多いのですが、どの本を読んでも明確に書かれていないことがあります。

それは「なぜブライアン・エプスタインはビートルズのマネージャーになったのか?」です。

ご存じとは思いますがおさらいしておきますと、もともとエプスタインはNEMSというイギリス北部のレコード店の経営者でした。レコードを売るのが仕事で、音楽業界の中の人ではありません。

ある日そのNEMSへ「ビートルズのレコードはありませんか?」とやってきた若者がおりまして、ビートルズってどんなバンドなんだろうと興味を持ったエプスタインはライブハウスへ演奏を観に行き、その情熱あふれるステージに魅了されて彼らのマネージャーになることを決意した、というのが定説です。

流れとしては間違いはないと思うのですが、私は以前から疑問に思っていることがありました。


まず、レコードを買いに来た若者がいたというだけで、なぜエプスタインはライブハウスに足を運ぶほど興味を持ったのか?

「○○のレコードありませんか?」という問い合わせはビートルズだけでなく他にもあったと思いますし、ビートルズだけがずば抜けて多かったわけではないと思います。

自分の店にないレコードだったから気になったのかも知れませんが、他のミュージシャンでもそんなことはありそうですし、それだけの理由でわざわざライブハウスまで足を運びませんよね、普通。

ロックが好きだったから?

いえ、エプスタインはクラシック音楽が好きで、ロックのレコードは商売として扱ってただけなんです。

地元の音楽誌の記事でビートルズという名前はおそらく知っていたと思われますが、どうしてそんなに気を引かれたのか?

当たり前のようで、実はとても不思議なことだと思います。


そしてもう一つの不思議は、どうしてビートルズのマネージャーになろうと思ったのか? です。

「その情熱あふれるステージに魅了されて」みたいなことがどの資料にも書いてありますが、そもそもエプスタインはただのレコード店経営者ですよ。業界人ではないんです。

町の本屋の店主がお気に入りの作家の秘書になりたいと、本業をなげうって押しかけるか? という話です。

マネージャーになってからのエプスタインはNEMSの経営を弟や他の従業員に任せて、ビートルズの売り込みのために奔走しました。

本業のレコード店経営を疎かにしていることを両親から注意されてもやめませんでした。

そりゃあ、あのビートルズのマネージャーならやりたいだろう、というのは私たちが後世に思うことで、エプスタインがマネージャーになった1962年当初は売れるかどうかもわからない、そもそもレコードデビューもしていないローカルな田舎のバンドの1つに過ぎなかったわけです、ビートルズは。

金儲けが目的でなかったのは、当時の状況やその後のビートルズとのかかわりをみても明らかです。

じゃあ、ビートルズの音楽に惚れ込んだ?

これもちょっと違う気がします。エプスタインは個人の好みとしてロックに興味はありませんでしたし、マネージャーになってからもビートルズの音楽については全く口を出していません。音楽のことには口を出さない約束だったというよりも、口を出すほどロックに精通していなかったのだと思います。

エプスタインのビートルズに対する熱意は、単に彼らの音楽が気に入ったからではないでしょう。

なら、エプスタインは同性愛者だったからビートルズに性的魅力を感じてた?

魅かれる気持ちはあったかも知れませんが、エプスタインはビートルズのメンバーを性的なパートナーにはしていません。自分が同性愛者であることを、むしろメンバーには隠していました(暗黙でみんなわかっていたそうで、また1963年のスペイン旅行でジョンに誘いをかけたという噂はありますが)。ですからそういうよこしまな気持ちが動機でもないでしょう。

そもそもビートルズと出会う前にエプスタインが、誰かミュージシャンのマネージャーになりたがっていたとうエピソードすら見かけないんです。なのにどうして突然マネージャーに?


エプスタインはなぜかビートルズに興味を持ち、なぜかマネージャーになりたいと強く思った。それは常人には理解しがたい不思議なことであった。

私はそう思います。

そしてその不思議が、ビートルズをデビューさせてロック史に残るバンドにするという奇跡を起こすわけです。

なぜビートルズのデビューが奇跡なのか。

長くなりましたので、続きは後編で述べたいと思います。
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185 Brian Epstein - The Beatles

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