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中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
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ジョンのMBE勲章返還の真の理由とは?

2009/01/12 15:15|ジョン・レノンTB:0CM:9
先日、こんなニュースを見つけました。
MBE.jpg

ジョンが1969年に返還したMBE.勲章発見

ジョンが1969年に返還したMBE勲章が発見されたと、Times OnlineとUKサンが報じている。
ジョンは当時「イギリスのナイジェリア/ビアフラでの内戦への関与、ベトナム戦争におけるアメリカへの支援、「コールド・ターキー」がチャートを下降していることに反対し」と言ってMBE.勲章を返還した。
そのMBE勲章は返還されたときに、ジョンが添えた手紙とともに、セント・ジェームス宮殿の Central Chancery of the Orders of Knighthood(勲爵士団の中央公文書保管所)に置かれた。
勲章は返還されたが、ジョンの気持ちとは裏腹にMBEという称号はそのまま残されている。
バッキンガム宮殿は声明を出し、その一部で「それはレノン氏が返還した日から保管されておりますが、博物館で展示されるかどうか決めるには、まず所有者を定める必要があるでしょう。それはジョン・レノンの遺産を管理するヨーコ・オノ次第と言えましょう」


念のため解説しておきますと、ビートルズの4人は1965年10月に大英帝国彰勲章 (Members of the Order of British Empire: MBE)を英国王室から送られています。
受勲の理由は国家に対する、外貨獲得などによる多大な経済的貢献です。
BeatlesMBE.jpg

ビートルズの受勲が発表されたところ、戦争の武勲で勲章をもらった元軍人達の中で勲章を返上するという騒動が起こったりしましたが、その時にジョンは、

「僕らの叙勲に不満がある人は、戦争で人を殺して勲章をもらったんだろう。でも僕達は人を楽しませてもらうんだから、僕達のほうがもらう資格はあると思うよ。」

と、なかなかユーモアのある発言をしています。

さて、そのMBE勲章をジョンが王室に返還したのが1969年11月26日で、その勲章が先日 宮殿で見つかった、というニュースなのです。

返還された勲章が捨てられずに発見されたことついては特に感想はないんですが、今回のニュースであらためて思ったのは、

なぜジョン・レノンはMBE勲章を返還したのか?

ということです。

>「コールド・ターキー」がチャートを下降していること

はジョークとして、一般にはイギリス政府の政策に抗議してと言われていまして、その具体的な政策が「イギリスのナイジェリア/ビアフラでの内戦への関与」と「ベトナム戦争におけるアメリカへの支援」です。

しかし私は、これはジョンの気持ちの核心ではないのではないかと考えています。

2年後の1971年に「Happy Xmas (War Is Over)」をリリースしていますから、1969年当時のジョンが強固な反戦思想を持っていても不思議ではないんですが、これが勲章返還の真の理由ではないと思うんですよね。

まず、戦争についての政策を決定・実行しているのは英国王室ではなく英国政府ですから、政府への抗議として王室へ勲章を返還するのは少し筋違いだと感じます。

それに「ベトナム戦争におけるアメリカへの支援」に反対してといいながら、ジョンは1971年にアメリカに移住してるんです。
1971年のアメリカは、まだベトナム戦争を継続中です。

これらのことから考えて、ジョンの勲章返還の本当の理由は「戦争政策批判」ではないと思います。

それではジョンの勲章返還の真の理由は何だったのでしょうか?

謎を解く鍵は、1969年11月という時期にあると思います。
PlasticOnoBand.jpg

この頃のジョンですが、まず1969年7月に「平和を我等に(Give Peace A Chance)」、10月に「コールド・ターキー(Cold Turkey)」の各々をビートルズではなく、Plastic Ono Band(プラスティック・オノ・バンド)というジョンとヨーコを中心とした新しいバンド名義でリリースしています。

そして勲章を返還したとされている11月26日ですが、この日のジョンは何をしていたかといいますと、プラスティック・オノ・バンド名義でEMI第2スタジオを使い、「What’s The New Mary Jane」と「You Know My Name (Look Up The Number)」の編集やオーバー・ダビングをしています。
この日にスタジオに集まったのはプラスティック・オノ・バンドの名の示す通りジョンとヨーコだけであり、ポール、ジョージ、リンゴは参加していません。

そして翌年の1970年1月3日と4日に、前回の記事で書いたようにビートルズとしての最後のセッションが行われたのですが、これにはジョンのみ参加していません。

さらに、このセッションの中でジョージがこんな“公式表明”をした記録が、テープに残っているそうです。

「すでにお聞き及びのことと思いますが、デイブ・ディーはグループを脱退しました。しかしミッキーとティッチ、それに私は、大切でありながらこれまで二の次とみなされていた仕事を、今後も続ける所存であります。」

デイブ・ディーとは、60年代のイギリスのポップ・グループ「デイブ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティッチ(日本での名前はデイブ・ディー・グループ)」のリーダーで、1969年にグループを抜けてソロになった歌手の名前です。

ジョージはデイブ・ディーとジョンをひっかけて、ジョンがビートルズをすでに脱退していること、自分達は残されたテープの編集作業をしていることを、皮肉交じりに表明しているのです。

この流れを踏まえてジョンの勲章返還を、私はこう考えます。

ビートルズとしての名誉であるMBE勲章を返還することで、ジョンはビートルズとしての名声を返上したかったのではないでしょうか。
ジョンのMBE勲章返還は、ビートルズとの決別の表明だったのではないでしょうか。
John MBE

受勲の時は“たかが勲章”という態度を取っていたジョンでしたが、MBE勲章にそれだけの意味を込めていたのかと思うと、やぱりジョンは英国人であり、“されど勲章”の気持ちも強かったのではないかと思います。『人気ブログランキング』へ
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コメント
なるほど・・・・
深いですね。
僕はこの勲章が見つかった記事を読んだ時、またビートルズの歴史の
1ページが甦った、と思い、同時にジョンレノン・ミュージアムに特別展示されないかな、という浅い想いだけでした・・・スイマセン。
ダン・コレステ #-|2009/01/16(金) 20:50 [ 編集 ]
ちょっと深読みしすぎかなと自分でも思ってますが(笑)

ジョン・レノン・ミュージアムに来ればうれしいですね。
実際にFab4が触れたモノの実物に接すると、時間を超えて彼らと交わってるような気になります。
東京ヒルトン #-|2009/01/16(金) 20:54 [ 編集 ]
>受勲の理由は国家に対する、外貨獲得などに
>よる多大な経済的貢献です。
TOYOTAもSONYも外貨が稼げなくなった日本で
外貨をガッポリ稼げるようなアーティストは出現しない
ものでしょうか?(しませんね)
今ならまさに勲章ものですけど(笑)
PS すいません いろいろあって私が継続になりましたw
  混乱させて申し訳ありません。頑張ります(~o~)
さり #e/A4EyGE|2009/01/19(月) 03:05 [ 編集 ]
今回の記事を書くにあたって日本の場合を考えてみたんですが、日本では受勲とか国民栄誉賞は文化面での理由がほとんどですね。
「経済的貢献」が受勲の理由になるところに、国民性の違いを感じました。

ブログの継続はうれしいですが、負担にならない程度にね!
夢の実現を応援しています(^ ^)
東京ヒルトン #MaKh7gFU|2009/01/19(月) 15:13 [ 編集 ]
はじめまして、ヤンマと申します。

ジョンは、もらった勲章をミミおばさんへ、贈呈したそうです。
ミミおばさんは、それは宝物のようにリビングに飾っておいたのですが・・・。
ある日、突然ジョンがやってきて、
「これ、借りてくよ。」
ミミおばさんは、ジョンが勲章を返還するために持ち出した事を後々知ったのでした

「勲章はジョンが私にくれたもの、だからあれはジョンのものでなく、私のものよ。
 彼は、ひとの物を勝手に持っていってしまうんだから・・・。
 返還するなんて、とんでもないわ!」

ヤンマ #AQqyclas|2009/02/23(月) 15:31 [ 編集 ]
ご訪問&コメントありがとうございます。

ジョンのMBE勲章をミミおばさんが自宅に飾っていたというのは聞いたことがありましたが、そういえば返還した時の様子は聞いたことがありませんでした。

ジョンって思い込んだら周りが見えなくなって、勝手にどんどん進んでしまうところがありそうですよね。

これからもよろしくお願いします。
東京ヒルトン #MaKh7gFU|2009/02/23(月) 21:43 [ 編集 ]
今年5月の日立中西CEOがまだ原発推進派なら叙勲に恐怖を感じます

【ameba blog Casshern】http://my.ameba.jp/menu.do?guid=ON【Gree RAMBO】http://m.gree.jp/?mode=home&act=top&from=footer&gree_mobile=f2d6927ff0720dbbd78ac1556a00b302
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世良 康雄 #SfKSIVtM|2015/09/17(木) 21:02 [ 編集 ]
私も以上の説に賛同します。MBE勲章返還はビートルズグループに対するジョンの抵抗だと思います。後でジョンしの持っていた本にポールの悪口が沢山書いてあったそうですね?それにジョンは米国支配層に批判的でそのせいで暗殺に近い事件に巻き込まれた可能性が強いとも思います。ネットで生前のジョンに対するインタビューで察しました。おまけに著名な映画監督もネットで支配層の内幕を語った後、謎の死です。本人も殺されるかも知れないと言って居ました。かく語りき
山口健吾 #F2flc2Ug|2020/10/25(日) 16:50 [ 編集 ]
いただいていたコメントを長らく放置してしまい、申し訳ありませんでした。

MBE勲章の返還は権威に対する民衆の反発で、その権威にはビートルズも含まれていたのだと思います。ジョン流のビートルズへの決別宣言だったのではないでしょうか。
東京ヒルトン #MaKh7gFU|2020/12/21(月) 20:30 [ 編集 ]
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