私の心にはいつもビートルズがいます。 ファンの人とは共に楽しみ、ビートルズを知らない人には興味を持ってもらえる、そんなブログを目指しています。 コメント・相互リンクはお気軽にどうぞ!

ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
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東京ヒルトン

Author:東京ヒルトン
ビートルズが大好きです。
中学生・高校生の頃は、クラスに1人や2人はビートルズのファンがいたものですが、最近は少なくなって、ビートルズのことで雑談できる機会もほとんどなくなりました。
そこでビートルズ談義のできる場を! とこのブログを立ち上げました。
皆さん、よろしくお願いします。

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「ジョンレノンミュージアムの存続を求める市民の会」からコメントをいただきました

2010/01/23 17:28|ジョン・レノンTB:0CM:12
「ジョン・レノン・ミュージアム 来年秋に閉館の危機」のエントリーに対して、「ジョンレノンミュージアムの存続を求める市民の会」の方からコメントをいただきました。

コメント欄をクリックしていただければ読めるのですが、ここに全文をご紹介させていただきます。


ぜひ署名にご協力ください

今のままでは信者系の人以外はリピートしないのはわかってる。
ヨーコディレクションの作りになっているのも間違いなし。
それでも今無くしてしまえば永久に戻らない。
バッハやモーツアルトと200年後には肩を並べるような人。
それを10年でさようならでは世界に笑われる。
どこの国へいっても、ビートルズというだけ話題ができ、
ジョンレノンミュージアムというと、「SAITAMA?」と言われる。
それはけっこう重要なことだ。

ジョンの冠はそう簡単に手に入らない。
運営の方向性とアイデア次第で再生は可能だ。
だから今はとりあえず残したい。

そんな気持ちで署名活動しています。
ヨーコ夫人と大成建設の最終結論がでるまで時間がありません。
ぜひご協力を!
ブログでネット署名もできます。



「ジョンレノンミュージアムの存続を求める市民の会」のHP(ブログ形式なので厳密にはHPとは言わないのかも知れませんが、細かいことは抜きでお願いします)を読むと、ミュージアムの運営の状況がよくわかります。また会長さんのお気持ちには共感するところが多いです。

生の情報がよくわかり、上から目線な言い方で恐縮ですが、一読の価値があるHPだと思います。
「ジョンレノンミュージアムの存続を求める市民の会」
o0800056610385212132.jpg


一方いまだによくわからないのは、ヨーコさんのミュージアムに対するスタンスです。

私の記事の中で書いたヨーコさんへのライセンス料支払いというのは実際にはないのかもしれませんが、ヨーコさんからの支援も全くないようなんですよね。

ミュージアムが閉館の危機で、存続のために活動する地元市民がいて、で、当の本人(ヨーコさん)は? という気持ちを抱いているファンは多いんじゃないでしょうか。

そこが明確になれば、支援活動はきっともっと大きくなると思います。

ヨーコさんのひと声があれば日本国内どころか、世界中のジョン・レノン・ファンの支援が集まると思うんですけどねえ。『人気ブログランキング』へ

ヨーコさんが自伝を執筆、出版へ

2010/01/12 17:13|ジョン・レノンTB:0CM:6
新年 明けましておめでとうございます。

最近は月に2回ほどの更新頻度になっていますが、今年もよろしくお願いします。


さて今年最初の記事は、こんなニュースから。

aflo_yoko_large.jpg

オノ・ヨーコが自伝を出版。ジョン・レノンとの不倫、ビートルズ解散を綴る

ビートルズのメンバーだった故ジョン・レノンさんの妻で芸術家・音楽家として活躍するオノ・ヨーコ(76)が、自伝を出版することが明らかになった。英フィメール・ファーストなどによると、レノンさんとの波乱万丈の人生を綴るもので、これから執筆に入り今後5年以内に完成させる予定だという。

オノとレノンさんは66年、英ロンドンで開催中だったオノの個展で出会った。当時レノンさんには妻シンシアがいたが68年に離婚、翌69年にオノと再婚した。オノとの間に生まれた息子ショーン・レノンも音楽家として活動している。

レノンさんに多大な影響を与えたオノは、70年に解散したビートルズの不仲の原因としてファンから非難され続けてきたが、家族や友人、シンシアを傷つけたくないとの思いから、これまで自伝の出版を封印してきた。しかし、今回ついにペンをとることを決意したようで、レノンさんとの不倫やビートルズの解散の真相について、自伝の中で全てを明かす意向だ。

ビートルズの関係者は、「シンシアとは対照的に、ヨーコは今までビートルズやジョンとの結婚について詳細を語ったことはなかった。彼女はビートルズの解散に自分は関与していないと常に主張してきたが、自伝は彼女側の言い分を明らかにするチャンスであり、注目を浴びるだろう」と語っている


76歳にしていまだに胸の谷間を強調した洋服を着るところは相変わらずさすがですが(笑)、それは置いておくとして、今なぜ自伝なんでしょうねえ。

過去にはジョンの前妻のシンシアや、最近ではジョージの前妻のパティが自伝を出していますが、この2人に関してはやはり金銭的な理由が大きなウエイトを占めていたんじゃないかと思います。
ジョンレノンに恋して パティ・ボイド自伝

その点、ヨーコさんが今になってお金に困っているとは思えませんし。

>家族や友人、シンシアを傷つけたくないとの思いから、これまで自伝の出版を封印してきた


これはちょっと、きれいごとが過ぎる気がしますね。

彼女の行動そのものに関係者はもちろん多くのビートルズやジョンのファンは傷ついてきましたから、今さらという感じがします。

>自伝は彼女側の言い分を明らかにするチャンスであり

とのことですが、ヨーコさんの言い分は過去にインタビューや著作などで何度も聞いており、たいがいのファンは知っています。

「ジョンはソロでやりたがっていたし、ジョージもバックバンドみたいに後ろで弾いているのが嫌になっていた。ビートルズが解散したのは自然な流れ。」

みたいな主張です。

総論としてはそうなんだろうと思いますが、ヨーコさんの存在がビートルズ解散の導火線に火を付け、早く爆発させる触媒になったのは否定できないと私は思います。


さて、ヨーコさんが自伝を書くことについて否定的なことばかり書きましたが、私みたいな古いファンはアンチ・ヨーコ側の主張ばかりを耳にしてきましたので、ビートルズの解散をバランスのよい感覚で認識できていない傾向はあるかと思います。

その点からは、ヨーコさんの視点から見た当時の事情は興味深くはありますね。

いやでも、正直に言うと、ちょっと読むのが怖いです・・・

自分のイメージと違うビートルズの姿が書かれているかも知れないからではなく、ヨーコさんの主張をどっぷりと読めるかどうか・・・

なんか辛そう・・・

コアなビートルズ・ファンならご存知だと思いますが、ビートルズ関係者の中で解散前に最も仲が悪かった2人は「ジョンとポール」ではなく、「ジョージとヨーコ」なんですよね。

何しろジョージは自分のビスケットをヨーコさんが勝手に食べたことにスタジオで激怒するくらいですから(笑)

ジョージ主催の「バングラデシュ難民救済コンサート」だって、ヨーコさんと一緒じゃないと出演しないとジョンに言われたジョージは、それなら出なくていいと(笑)

そのエピソードも書いてくれるかなあ。

また中山康樹氏の「ビートルズの謎」の中に、

ビートルズの謎

「Two Virgins」のアルバム・ジャケットのジョンとヨーコの周りの白く消された部分には実はもう1人全裸の男性が立っており、本当は「Three Virgins」なのであるが、その男性は結局は消され、またその男性が何者なのかもわからない

two virgins
注:“ぼかし”入れてます(笑)

という記事があり、本の中にはその男性が消される前の原写真も載ってるんですが、是非その写真の3人目の男性の謎を解明してほしいですねえ。

でもファンが知りたいこういうエピソードには、全く触れないような気がするんですよねえ。


ところで、

>これから執筆に入り今後5年以内に完成させる予定だという

って、出版される頃ってヨーコさん80歳くらい?『人気ブログランキング』へ

ジョン・レノン・ミュージアム 来年秋に閉館の危機

2009/12/15 13:08|ジョン・レノンTB:0CM:24
ジョンレノンミュージアム 閉館の危機
2009.12.11 13:10

元ビートルズのメンバー、ジョン・レノンの遺品を展示するさいたま市中央区の「ジョン・レノン・ミュージアム」が、平成22年秋に閉館する可能性があることが11日、埼玉県などへの取材で分かった。運営会社の親会社「大成建設」が、来場者数減などを理由に閉館を検討していることを非公式に県に伝えたという。

ジョン・レノン・ミュージアムは、妻のオノ・ヨーコさんが正式に許諾した世界で唯一の公式ミュージアム。愛用のギターや作詞原稿など約130点が展示され、ジョンの生誕60年の誕生日となる平成12年10月9日にオープンした。

大成建設側は、オノさんと展示に関するライセンス契約を22年10月まで結んでいるが、最近になって「来場者数減のため、契約更新は厳しい」と非公式に県に伝えたという。大成建設は「契約については守秘義務があるため答えられない」としている。

上田清司知事は11日、報道陣の取材に「まちのイメージアップやビートルズ世代にとっては大拠点。できるだけ存続するよう要望するしかない」と述べた。

「ジョン・レノン・ミュージアム公式HP」
John Lennon Museum 1


寂しいニュースですが、時代の流れには逆らえませんねえ。

ジョンが亡くなって来年で30年です。

電車の中でiPodを聴いてる人達で、ジョンが生きてた時の記憶がある人はめったにいないでしょうしねえ。


時代と共にファンの数も減っていると思いますが、ビートルズ・ファンは家庭を持つ年代が圧倒的に多いですから、個人の趣味のためにテーマ・パークみたいな所にはそうそう行けないのも来館者が少ない理由だと思います。

家族の娯楽としてジョン・レノン・ミュージアムには行けないでしょう。

そんな家庭の人がいたら、ひたすらうらやましい(笑)


それに、さいたま市を誹謗するわけではないんですが、テーマ・パークとしては場所が良くないです。

東京ヒルトンと名乗っている私ですが、実は東京在住ではなく、関東圏でもありません。

東京には年に数回行く機会はあるんですけど、そこから更に埼玉まで足を延ばすということが、意外にできないもんなんですよね。

東京ディズニー・リゾートの社長さんのインタビュー記事を昔 新聞で読んだことがあるんですが、

「全国のテーマ・パークが経営不振に陥っている中、東京ディズニー・リゾートだけが集客を伸ばして成功しているのはなぜだとお考えですか?」と聞かれて、開口一番、

「まず立地がいいからだと思います」

と答えていたんですよ。

あの魔法の国でも まず立地なんですから、いわんやジョン・レノン・ミュージアムおやですよ。


そもそも日本に作ったことにも無理があったんじゃないでしょうか。

詳しい経緯はわかりませんが、確か日本に作ることになったのはヨーコさんの意向で、さいたま市に決まったのは入札みたいに手を挙げた中からヨーコさんが選んだんだったと思います。

ちなみにジョンとさいたま市とのかかわりって、特にないはずです。

>大成建設は「契約については守秘義務があるため答えられない」としている

という一文から考えて、最もいい条件、つまりヨーコさんへ支払うライセンス料が一番高額だったんじゃないでしょうかね。

でも、もともとビートルズ・ファンが集う街ではないところに記念館を建てても、そのうち客足が遠のくことは容易に予想できたと思うんですが、当事者の方々はどう考えていたんでしょうか。

おまけに開館した2000年って、私の印象ではビートルズ・ファンはすでにロックの中でマイノリティになっていたと思います。

当初10年の契約だったようですから、当面10年間続けられればいいと考えていたのかも知れませんが、その先を考えたらやっぱりロンドンかリバプールに作るのが適当だったんじゃないでしょうか。

さいたま市をジョン・レノンの新しい聖地に! とか本気で思っていたんなら、もう何も言いませんけど。


来年秋の閉館の可能性は高いんじゃないですかね。

この不況の時代に、赤字ミュージアムの運営を続けることは企業として困難でしょうし。

継続するためにはライセンス料を受け取るのではなく、むしろヨーコさんが資金援助する必要があるんじゃないでしょうかね。


まあ日本にジョン・レノン・ミュージアムがあるという幸運に感謝して、閉館までに一度は行ってみようと思います。

実はまだ行ったことがないので・・・『人気ブログランキング』へ

「Double Fantasy」の秘密

2009/05/22 17:25|ジョン・レノンTB:0CM:11
少し前の記事でヨーコについて書きましたが、ついでにちょっとした「ミステリー読み物」を。

先日iPodでジョンのアルバム「Milk & Honey」を聴いていました。
「Milk & Honey」は、ジョンの遺作となったアルバム「Double Fantasy」レコーディング時の未発表曲を収録したアルバムで、「Double Fantasy」に準じてジョンの曲とヨーコの曲が交互に収録されています。
「Milk & Honey」収録曲のジョンの曲が「Double Fantasy」の選に漏れた曲だからといって、収録されているジョンの曲のクオリティが低いわけではありません。
「Double Fantasy」の収録曲と遜色ないクオリティだと私は思います。

Milk and Honey

さて、多くのビートルズ・ファン、ジョン・レノンのファンがやっていることだと思いますが(笑)、これらのアルバムをiPodに入れる時、私はヨーコの曲は入れずにジョンの曲だけを入れています。

「Aisumasen, Yoko-san」

と、謝っておきます。

さて、この2枚のアルバムからそれぞれジョンの曲だけを抜き出すと、iPodの中にはボリュームが半分のアルバムが2枚ある、という状態になります。

そこで、ふと思います。

「どうしてこれらの曲を合わせて、ジョンの曲だけで1枚のアルバムにしかなったんだろう?」
1枚のアルバムにまとめるだけの曲数があったのに。

一般に「Double Fantasy」は「男と女の対話」をテーマにしており、だからジョンの曲とヨーコの曲が交互に収録されている、というのが定説です。
ジョンも生前のインタビューで、そのようなことを言っています。

しかし、ヨーコの音楽をジョンが本心から素晴らしいと思っていなかったと考える私としては、その定説には以前から違和感がありました。

「Double Fantasy」の発売に際して、レコード会社が決まるまでにかなりの苦労があったという話を読んだことがあります。
どのレコード会社もジョンの5年ぶりの新作を自分のところから発売したがったが、アルバムの半分がヨーコの曲だと知ると、どの会社もノー・サインを出したというのです。

そこまで反対されてもお互いの曲を半分ずつ交互に収録することにこだわったのは、やっぱり「男と女の対話」というコンセプトを貫くためだったのでしょうか。

その割にはアルバムの1曲目がジョンの「(Just Like) Starting Over」で2曲目がヨーコの「Kiss Kiss Kiss」だったりして、対話というほど内容はかみ合っていません。

John Lennon - (Just Like) Starting Over


Yoko Ono - Kiss Kiss Kiss


そんな時、昔読んだある本を思い出しました。

ジョンが亡くなる直前までジョンの個人秘書だったフレデリック・ラインハルト・シーマンという人物が書いた「ジョン・レノン 最後の日々」です。
今は絶版になっているようです。
ジョンレノン最後の日々

いわゆる暴露本でして、どこまでが真実なのかは眉唾ものなのですが、この中に出てくるジョンは神経衰弱者のように弱々しい男です。
精神的にヨーコに完全に依存しており、身の回りのちょっとしたことでもヨーコに相談しないと決められないダメダメ男です。

一方のヨーコは非常に図太く描かれ、ビジネスに夢中でジョンのことを疎ましくあしらう女として描かれています。
そして1980年頃のヨーコにはジョンとは別に愛人がおり、ジョンとの離婚を考えていたと書かれています。

繰り返しますが暴露本であり、他に同様の証言がありませんので信憑性はとても低いと思いますが、ジョンの気持ちは別として、ヨーコは本当に離婚を考えていたのかも知れないと、「Double Fantasy」の収録曲がジョンとヨーコの半分ずつになっていることから ふと思ったのでした。

アルバムの中の収録曲数が半分ずつということは、アルバムが1枚売れるたびにジョンとヨーコの個人にそれぞれ半分ずつ印税が入るということです。
そして、もしその後に離婚して財産をきっちり分けてしまった後でも、印税の山分けはその後もアルバムが売れる限り永久に続くわけです。

離婚の原因になる不貞が自分にあり、ビジネスに長けているヨーコが離婚後の収入源にと考えて、新作アルバムの収録曲の半分を自分の曲にするようジョンに要求し、ヨーコに頼りきりのダメダメ男のジョンは「それはいいアイデアだ!」と何の疑いもなく、レコード会社の反対に合いながらも自分の曲とヨーコの曲を半分ずつ収録したに違いありません。

なんてブラックなミステリーを考えながら、iPodのスイッチを消したのでした。

今回はかなり失礼な内容ですみません。
ヨーコさんへの誹謗中傷の意図はありません。

ビートルズ絡みの“フィクション”として読んでいただければと思います。『人気ブログランキング』へ

John Lennon - Aisumasen (I'm Sorry)

藤田朋子さんの発言を読んで(後編)

2009/05/16 16:23|ジョン・レノンTB:0CM:10
ライブでは、リンダに対していろいろ批判があったかも知れませんが、自分が結婚した今、夫と一緒にライブをしてみると、「どこがいけないの? おたがいに尊敬しあっていれば、それはアリでしょう」と思うんです。

この藤田朋子さんの発言を読んで、ビートルズ・ファンならポール&リンダよりも、もう一方のカップルを連想するのではないでしょうか。

そう、ジョン&ヨーコです。

世界的に非難を受けながらもジョンがヨーコをステージに上げる気持ちを私は長らく理解できなかったんですが、藤田さんの発言を読んで心のしこりがすっとが取れた気持ちになりました。

「どこがいけないの? お互いが尊敬しあってるなら、それはアリでしょう」

この気持ちがジョンとヨーコを支えていたんですね~、きっと。

これを自分達の意志と愛を貫き表現する素晴らしい態度ととるか、ファンや周りの人たちへの迷惑を顧みない身勝手な態度ととるかは、賛否両論でしょう。

ただ、多くのビートルズのファン、ジョンのファンはやはり身勝手な態度だと思ったんじゃないでしょうか。

1969年トロントでのジョンのコンサート(正確にはPastic Ono Bandのコンサート)で、「コールド・ターキー」にヨーコの声が入ってなければよかったのにと思うファンは多いでしょう。



ヨーコに歌わせる時間があるなら、その分 ジョンに歌ってくれとほとんどのファンは思ったでしょう。

ヨーコが歌い始めた時のクラプトンの、「なんだこいつ?」みたいな目が印象的です。



ヨーコに好感を持っていないビートルズ・ファンが多いことについて、ファンの多くがヨーコのことを「ビートルズを解散させた女」だと思っているからだと、ヨーコ自身が語っていたことがあります。

今では解散前後のビートルズの内情について多くのことが明らかになっていますので、ヨーコの存在がなくてもビートルズは早年に解散しただろうと今なら思えるのですが、情報の乏しい当時ではそういう認識が多くあったのだろうと思います。

でもヨーコに好感を持たないビートルズ・ファンが多かったのは、「お互いが尊敬しあってるなら、それはアリでしょう」の気持ちでジョンと対等の立場を気取っていたからじゃないでしょうか。

ジョンとヨーコの間での尊敬は、ジョンとファンの間には直接は関係ないですからね。

みんなジョンの歌が聴きたいわけです。そこにヨーコが割り込んで歌うわけです。
ジョンのパートナーとしてのヨーコに敬意は払っても、ヨーコの歌をジョンの歌と同じようにありがたがって聴けるはずはないのです。

会社員として社長の奥さんに敬意を払いはしても、社長の奥さんが社長面して命令してきたらどうでしょう?

あなた素直に聞けますか?

ジョンのことを妄信していた時期がある私でも、この音楽面でのヨーコの介入は辛かったですね。

しかし最近思うのですが、ヨーコの音楽について「時代が君に追いついてないだけだよ」「もうすぐ君の時代がくるよ」と言い続けいていたジョンですが、心底からそう思っていたんでしょうか?

ビートルズ解散前はヨーコと一緒に「Revolution 9」を作ってビートルズのアルバムに収録したり、「Two Virgins」や「Life With The Lions」などのアルバムをヨーコと共同制作していたジョンですが、ビートルズ解散後は共作していません。
Two Virgins back life with lions

ジョンは自分の音楽とヨーコの音楽をはっきりと区別して扱っていたように思います。
ポールのようにパートナーの音楽性を自分の音楽の中で活かすことができなかったんでしょう。

1980年の「Double Fantasy」でも、ジョンはヨーコと自分の曲を交互に並べて収録していますが、曲の共作はありません。

知り合った頃は夢中になってヨーコのすべてを素晴らしいと思ったジョンも、ビートルズ解散の時期くらいから、「やっぱり音楽は違うよな」と思い始めたんじゃないでしょうか。

解散後にコンサート・ツアーを行わなかったジョンにとって、コンサートは純粋な音楽活動ではなく政治活動やチャリティー活動の一環でしたので いつもヨーコを伴っていましたが、音楽作品として後世に残るアルバムにはヨーコを参加させていないのは、やはりそういう理由があるのではないかと思います。



とまあ、以上のようなことはもう何十年にわたってビートルズ・ファンの間で話題に上っていることですし、今さらブログに書こうという気持ちもずっとなかったんですが、

藤田朋子さんの、

「どこがいけないの? おたがいに尊敬しあっていれば、それはアリでしょう」


を2回も目にしてしまったので、ついつい書いてしまいました。

大人気なかったと、反省してます。少し。『人気ブログランキング』へ

「苺畑」よ さようなら

2009/04/27 14:17|ジョン・レノンTB:0CM:13
今回は「ストロベリー・フィールド」にまつわるこんなニュースからスタートです。

リバプール・エコーによると、何年間も放置されているストロベリー・フィールドの門を見かねたビートルズ・ファンが、先週、行動を起こしたという。
マンチェスターから来たコリン・アンウィン氏(61)は4月18日、ストロベリー・フィールドの門をもとの郵便ポストのような赤色に塗り直した。

ビートルズゆかりの地を訪れるために年間14回リバプールを訪れているコリン氏は、ビートルズゆかりの地のメインでもあるストロベリー・フィールドの放置され荒廃した状態に嫌気がさしたと語った。
ロシュデール消防署の用務員をしているコリンは、落書きを消し、入り口と通路に生い茂った雑草を取り除いた。

コリン氏は語る。「私は過去18か月におよび、この場所の衰退を見て来て、もうたくさんだと思った。すばらしいデザインで、今でも毎年何千人というビートルズファンが訪れるこの門を、誰も手入れをしていないということが私には信じられない。ビートルズは世界最高のバンドなのに、この門は放置され、盗まれっぱなしのときすらあった」。コリンは、2005年1月にストロベリー・フィールドが閉鎖してからも、その場所を所有し続けている救世軍に連絡をとった。救世軍は、コリンが門をきれいにしてくれることを喜び、門の塗り直しを快諾したという。


あらためて説明することもないと思いますが、記事に出てくる「ストロベリー・フィールド」とはリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、子供のころのジョンがよく遊び場にしていたことでビートルズ・ファンに知られています。
ただしジョンがその孤児院に住んでいたわけではなく、孤児院に親しい友達がいたという話も聞いたことはありません。

そしてジョンは1967年に「スロベリー・フィールズ・フォーエバー」という曲を書いており、幻想的なメロトロンのイントロから始まるこの曲はビートルズ・ファン、特にジョンのファンの中で「最も好きなビートルズの曲」にしばしば挙げられます。

ところで私は長年にわたり「救世軍って軍隊?」と思っていたんですが、キリスト教のプロテスタントの組織なんですね。
名前だけで思いこんではいけないものです。
救世軍とは

>ストロベリー・フィールドの門をもとの郵便ポストのような赤色に塗り直した

ストロベリー・フィールドの門って赤かったっけ? と思ったんですが、門柱じゃなくて門扉の色ですね。
それなら確かに赤いです。
strawberry field

さて、ストロベリー・フィールドの門扉はなぜ赤いのでしょうか?
単なるデザインなのかも知れませんが、赤い門ってちょっと奇抜ですよね。
やはり「ストロベリー・フィールド」だからじゃないかと思うのですが、それでは孤児院の名前がなぜ「ストロベリー・フィールド」なんでしょうか?

孤児院の名前が「苺畑」って、珍しい気がしますよね。
どうして「苺畑」なのか、ずっと疑問に思っていました。

そしてある日、街の花屋でこんなものを見つけたのでした。
千日紅

【種類名】 センニチコウ(千日紅)
【品種名】 ストロベリー フィールズ

「ストロベリー フィールド」と単数形となっていることもあります。
花が咲いている様子が苺畑に似ていることから、「ストロベリー フィールド(ズ)」という品種名が付いたんでしょうね。
そして千日紅の原産国はイギリスで、イギリスでは園芸用としてポピュラーな花なのだそうです。
strawberry fields


そこで思ったのですが、リバプールの孤児院「ストロベリー・フィールド」は「苺畑」ではなく、この「千日紅」の意味ではないでしょうか。

The Beatles - Strawberry Fields Forever


Strawberry Fields Forever

Let me take you down, 'cos I'm going to Strawberry Fields.
Nothing is real and nothing to get hungabout.
Strawberry Fields forever.

僕と一緒に行かないか
あのストロベリー・フィールズに
すべてが夢 捕われるものさえ何もない
ストロベリー・フィールズよ 永遠に

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
It's getting hard to be someone but it all works out, it doesn't matter much to me.
目を閉じれば 人生なんて楽なもの
目に映ったものは 自分なりに受け止めればいい
ひとかどの人物になるのは困難なことさ
それでもなんとかなるもの 僕には関係ない話だ

Let me take you down, 'cos I'm going to Strawberry Fields.
Nothing is real and nothing to get hungabout.
Strawberry Fields forever.
僕と一緒に行かないか
あのストロベリー・フィールズに
すべてが夢 捕われるものさえ何もない
ストロベリー・フィールズよ 永遠に

No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.
That is you can't you know tune in but it's all right, that is I think it's not too bad.
どうやら 僕の樹には誰もいないようだ
それが高かろうと低かろうと
つまり 誰もぼくを理解することはできないのさ
でも それでいいんだ
僕にとっちゃ それほど不幸って訳じゃない

Let me take you down, 'cos I'm going to Strawberry Fields.
Nothing is real and nothing to get hungabout.
Strawberry Fields forever.
僕と一緒に行かないか
あのストロベリー・フィールズに
すべてが夢 捕われるものさえ何もない
ストロベリー・フィールズよ 永遠に

Always, no sometimes, think it's me, but you know I know when it's a dream.
I think I know I mean a 'Yes' but it's all wrong, that is I think I disagree.
これが本当だと いつも思ってる
だけど この僕さえ虚構なのかも知れない
つまり 僕と君は同じじゃないってことさ

Let me take you down, 'cos I'm going to Strawberry Fields.
Nothing is real and nothing to get hungabout.
Strawberry Fields forever.
Strawberry Fields forever.
Strawberry Fields forever.
僕と一緒に行かないか
あのストロベリー・フィールズに
すべてが夢 捕われるものさえ何もない
ストロベリー・フィールズよ 永遠に
ストロベリー・フィールズよ 永遠に
ストロベリー・フィールズよ 永遠に

曲の中の「ストロベリー・フィールズ」はジョンの心の中にある架空の世界であり、実在の孤児院「ストロベリー・フィールド」が“実際の”モデルではないのかも知れません。
「ストロベリー・フィールド」という音の響きを気にいったジョンが、その名前を借用しただけというのが真実のような気がします。

「スロベリー・フィールズ・フォーエバー」の「ストロベリー・フィールズ」は、「苺畑」でも「千日紅の庭」でもなく、一人一人の心の中にあるやはり「ストロベリー・フィールズ」としか訳せない世界なのではないでしょうか。

ですから孤児院の名前の正解は、曲の中にはないと思います。

しかし孤児院「ストロベリー・フィールド」は「苺畑」ではなく、やはり「千日紅の庭」だと私は考えます。

なぜなら「千日紅」の花言葉は、「変わらぬ愛」 「不朽」 「終わりのない友情」なのですから。『人気ブログランキング』へ

ジョンのMBE勲章返還の真の理由とは?

2009/01/12 15:15|ジョン・レノンTB:0CM:7
先日、こんなニュースを見つけました。
MBE.jpg

ジョンが1969年に返還したMBE.勲章発見

ジョンが1969年に返還したMBE勲章が発見されたと、Times OnlineとUKサンが報じている。
ジョンは当時「イギリスのナイジェリア/ビアフラでの内戦への関与、ベトナム戦争におけるアメリカへの支援、「コールド・ターキー」がチャートを下降していることに反対し」と言ってMBE.勲章を返還した。
そのMBE勲章は返還されたときに、ジョンが添えた手紙とともに、セント・ジェームス宮殿の Central Chancery of the Orders of Knighthood(勲爵士団の中央公文書保管所)に置かれた。
勲章は返還されたが、ジョンの気持ちとは裏腹にMBEという称号はそのまま残されている。
バッキンガム宮殿は声明を出し、その一部で「それはレノン氏が返還した日から保管されておりますが、博物館で展示されるかどうか決めるには、まず所有者を定める必要があるでしょう。それはジョン・レノンの遺産を管理するヨーコ・オノ次第と言えましょう」


念のため解説しておきますと、ビートルズの4人は1965年10月に大英帝国彰勲章 (Members of the Order of British Empire: MBE)を英国王室から送られています。
受勲の理由は国家に対する、外貨獲得などによる多大な経済的貢献です。
BeatlesMBE.jpg

ビートルズの受勲が発表されたところ、戦争の武勲で勲章をもらった元軍人達の中で勲章を返上するという騒動が起こったりしましたが、その時にジョンは、

「僕らの叙勲に不満がある人は、戦争で人を殺して勲章をもらったんだろう。でも僕達は人を楽しませてもらうんだから、僕達のほうがもらう資格はあると思うよ。」

と、なかなかユーモアのある発言をしています。

さて、そのMBE勲章をジョンが王室に返還したのが1969年11月26日で、その勲章が先日 宮殿で見つかった、というニュースなのです。

返還された勲章が捨てられずに発見されたことついては特に感想はないんですが、今回のニュースであらためて思ったのは、

なぜジョン・レノンはMBE勲章を返還したのか?

ということです。

>「コールド・ターキー」がチャートを下降していること

はジョークとして、一般にはイギリス政府の政策に抗議してと言われていまして、その具体的な政策が「イギリスのナイジェリア/ビアフラでの内戦への関与」と「ベトナム戦争におけるアメリカへの支援」です。

しかし私は、これはジョンの気持ちの核心ではないのではないかと考えています。

2年後の1971年に「Happy Xmas (War Is Over)」をリリースしていますから、1969年当時のジョンが強固な反戦思想を持っていても不思議ではないんですが、これが勲章返還の真の理由ではないと思うんですよね。

まず、戦争についての政策を決定・実行しているのは英国王室ではなく英国政府ですから、政府への抗議として王室へ勲章を返還するのは少し筋違いだと感じます。

それに「ベトナム戦争におけるアメリカへの支援」に反対してといいながら、ジョンは1971年にアメリカに移住してるんです。
1971年のアメリカは、まだベトナム戦争を継続中です。

これらのことから考えて、ジョンの勲章返還の本当の理由は「戦争政策批判」ではないと思います。

それではジョンの勲章返還の真の理由は何だったのでしょうか?

謎を解く鍵は、1969年11月という時期にあると思います。
PlasticOnoBand.jpg

この頃のジョンですが、まず1969年7月に「平和を我等に(Give Peace A Chance)」、10月に「コールド・ターキー(Cold Turkey)」の各々をビートルズではなく、Plastic Ono Band(プラスティック・オノ・バンド)というジョンとヨーコを中心とした新しいバンド名義でリリースしています。

そして勲章を返還したとされている11月26日ですが、この日のジョンは何をしていたかといいますと、プラスティック・オノ・バンド名義でEMI第2スタジオを使い、「What’s The New Mary Jane」と「You Know My Name (Look Up The Number)」の編集やオーバー・ダビングをしています。
この日にスタジオに集まったのはプラスティック・オノ・バンドの名の示す通りジョンとヨーコだけであり、ポール、ジョージ、リンゴは参加していません。

そして翌年の1970年1月3日と4日に、前回の記事で書いたようにビートルズとしての最後のセッションが行われたのですが、これにはジョンのみ参加していません。

さらに、このセッションの中でジョージがこんな“公式表明”をした記録が、テープに残っているそうです。

「すでにお聞き及びのことと思いますが、デイブ・ディーはグループを脱退しました。しかしミッキーとティッチ、それに私は、大切でありながらこれまで二の次とみなされていた仕事を、今後も続ける所存であります。」

デイブ・ディーとは、60年代のイギリスのポップ・グループ「デイブ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティッチ(日本での名前はデイブ・ディー・グループ)」のリーダーで、1969年にグループを抜けてソロになった歌手の名前です。

ジョージはデイブ・ディーとジョンをひっかけて、ジョンがビートルズをすでに脱退していること、自分達は残されたテープの編集作業をしていることを、皮肉交じりに表明しているのです。

この流れを踏まえてジョンの勲章返還を、私はこう考えます。

ビートルズとしての名誉であるMBE勲章を返還することで、ジョンはビートルズとしての名声を返上したかったのではないでしょうか。
ジョンのMBE勲章返還は、ビートルズとの決別の表明だったのではないでしょうか。
John MBE

受勲の時は“たかが勲章”という態度を取っていたジョンでしたが、MBE勲章にそれだけの意味を込めていたのかと思うと、やぱりジョンは英国人であり、“されど勲章”の気持ちも強かったのではないかと思います。『人気ブログランキング』へ

12月8日 ジョンが亡くなった日

2008/12/08 22:30|ジョン・レノンTB:1CM:6
1980年の12月8日に、ジョンは亡くなりました。

11月29日のジョージの命日もそうだったんですが、私には追悼記事が思うように書けません。

そこで今日は、ポールの言葉を借りて記事にしたいと思います。

「あまりにも身近なことだから、ジョンのことは歌にしないと思っていた。なのに、ふと気がついたらギターを持って曲を作っていた。」

「曲を作ろうと思って座っていると、最初のコードを思いついて、何か書いたような気分になった。その時ちょうど、ジョンのことなどを考えていたんだ。頭の中にそんなことがあった。ジョンの死のすぐ後くらいだった。ジョンについて何かしたいような気になったけど、感傷的な歌詞はよくないって思ったんだ。だってジョンだったら、雲の上から見て嘲笑するだろうから。だから、ジョンがもしここに今日いるなら、ジョンは他人のコメントに対して何て言うだろうと考えながら、歌詞を書き留めることにした。"ジョンはこんな奴だった" "ジョンはあんな奴だった"という歌詞だったら、ジョンは僕を軽蔑するだろうと思ってね。この歌はそういうことなんだ。」

「歌詞に'The night we cried'ってあるけど、あれは僕らがジャクソンビルから南方向へ移動している時の夜なんだ。ジョンと僕は遅くまで起きていて、酒を飲んで語り合ったよ。それでお互いの性格が深く分かった。ビートルズでいるときはそういう時間もあまりなかったけど。そして、僕らは涙で終わった。それだけ僕らは親密だったという思い出があるよ。だから僕らはお互いのことが好きだったんだ。」

「確かに、僕はジョンのために特別な曲を書いた。でも僕はそれが誰かに置き換えられるということがあってもいいと思う。それは誰か他の人のことであるということはあり得るからね。ただ、僕にとってはジョンなんだ。」

「ジョンが死んで、あんな終わり方とどうやって折り合いをつけたらいいのか、悩んでいた。ジョンは'How Do You Sleep?'を書いたりとか、ああいうことをして僕へのあてつけをよくしていたけど、 あの手のことに僕は何の返事もしなかった。でもね、ジョンが亡くなる前に、僕たちはお互いの意見の相違は水に流していて、よく電話でも楽しく話したりしていたんだ。それで'Here Today'で僕の気持ちもジョンに向けて歌ってみることにしたんだ。"君が今ここにいたら、きっとまた、あれやこれはインチキだとか、そんな事を言うんだろう。でも僕たち2人は、本当はそうじゃないってわかっている"ってね。」

「人生には言おうとしていることが中々言えないことってよくあるよね。ほら、時々ね。言う勇気がなかったり、タイミングが悪かったりしてさ。それを言えないまま相手が亡くなってしまうと、とても悲しいと思うんだ。みんなだって"ああ、言っておけばよかったな"とか"僕の気持ちを伝えておきたかったな"と思うことがあるだろ。いつも後になって後悔するだけでね。この曲は、ジョンが亡くなった時に僕が書いた曲で、彼と僕との会話を想像しながら歌詞を作っていった。」


Paul McCartney – Here Today

And if I said I really knew you well
What would your answer be.
(もし僕が君をよく知ってると言ったなら、君は何て答えるだろう)
If you were here today.
(もし今 君がここにいたなら)
Ooh- ooh- ooh- here to - day
(今 ここに).

Well knowing you,
Youd probably laugh and say that we were worlds apart.
(きっと君のことだから、いつものように笑ってこう言うだろうな
僕たちはまるで別世界の人間さって)
If you were here today.
(もし今 君がここにいたなら)
Ooh- ooh- ooh- here to - day.
(今 ここに)

But as for me,
I still remember how it was before.
(でも僕は、昔のことをまだはっきり覚えているよ)
And I am holding back the tears no more.
(溢れる涙を我慢するのは、もうやめたんだ)
Ooh- ooh- ooh- I love you, ooh-
(君が好きだ)

What about the time we met,
(僕らが初めて会った時はどんな風だったかな)
Well I suppose that you could say that we were playing hard to get.
(多分 君ならこう言うだろうね 2人ともがむしゃらにプレイしていたって)
Didnt understand a thing.
(僕たちは何もわかっちゃいなかったけど)
But we could always sing.
(いつだって歌うことはできたんだ)

What about the night we cried,
(一緒に泣いた夜もあったっけ)
Because there wasnt any reason left to keep it all inside.
(だって心に隠しておく理由なんてなかったんだから)
Never understood a word.
(言葉でわからなくても)
But you were always there with a smile.
(君はいつも笑顔でそこにいてくれた)

And if I say I really loved you
(本当に君のことが好きだったんだ)
And was glad you came along.
(君と一緒にやれて嬉しかったよ)

If you were here today.
(もし今 君がここにいたなら)
Ooh- ooh- ooh- for you were in my song.
(いつも君は 僕の歌の中にいる)
Ooh- ooh- ooh- here to - day.
(今 ここに)


2007年6月27日 ロス・アンゼルスのAMOEBA RECORD STOREで行われたライブの中で、ポールは「Here Today」を歌いました。

動画の1分37秒あたり、

What about the time we met,
(僕らが初めて会った時はどんな風だったかな)
Well I suppose that you could say that we were playing hard to get.
(多分 君ならこう言うだろうね 2人ともがむしゃらにプレイしていたって))


の歌詞のあたりから、ポールは涙声になって歌っています。

死から27年経っても、親友が自分のことを思って涙を浮かべてくれる。
なんて強く温かい絆なんでしょう。
私もそういう大切な人を、1人でも多く作りたいと思います。

HERE TODAY - Live in L.A - June, 27th 2007


これはコンピュータのソフトを使って2004年に作られた、64歳のジョンの肖像です。

John Lennon 64 years old

もしジョンが生きていたら、どんな笑顔を私たちに見せてくれるでしょうか。

John Lennon, Forever.
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1962年10月のジョン・レノン

2008/10/13 15:21|ジョン・レノンTB:0CM:2
皆さん、お元気でしたか?

私は元気だったんですが、なんやかんやと忙しかったのと、何となく気が乗らず、ブログの更新が滞ってしまいました。

前回の記事が10月2日で、今回の更新が10月13日。
その間にいくつか大事な日がありました。

GORICOさんの「晴れ、ときどきBeatles」が終了しました。
ブログのやめ時については、私も時々考えますね~。

で、10月5日がビートルズのデビュー・シングル「LOVE ME DO」が発売された日。
1962年のことです。

で、10月9日はジョン・レノンの誕生日。

そうなんです。
今頃になって初めて実感したんですが、ビートルズのデビューの4日後がジョンの誕生日だったんですねー。

そのため、1962年の誕生日にジョンが何をしていたかが推測できます。

当時のジョンですが、同じ年の8月に、シンシアと結婚しました。
10月は新婚ホヤホヤです。

また、デビューした時を思い出してジョージ・ハリスンは「ラジオから自分のギターの音が聞こえてきた時、体が震えた」と言っています。
ボーカルを取っていたジョンはさらに感激していたことでしょう。

新婚ホヤホヤでデビュー直後の、まだ仕事が忙しくなかった頃の誕生日。

ずばり、自宅で妻・シンシアと一緒に「LOVE ME DO」を聴いていたに違いありません。
自分の未来、ビートルズの未来、目の前の妻とお腹の中の子供の未来、数多くの未来への大きな期待と不安を抱いて、レコードを聴いていたのだろうと思います。

後にジョンが経験していく様々な出来事を知っている私たちも、1962年のジョンにそれを教えることは出来ません。

なぜビートルズのデビュー曲が「LOVE ME DO」なのか、他にもっといい曲があったのではないか、という声は以前からありますし、そしてこれからも続くでしょう。

いろいろな資料やインタビューを読んでも、デビュー曲が「LOVE ME DO」に決まった詳細な経緯はわかりません。
ただ、過去のインタビューを読んでいて共通することが1つあります。

それは、「LOVE ME DO」以外の曲をデビュー曲にした方がよかったとは、誰も言っていないということです。
ジョンもポールもジョージもリンゴも、みんなこの曲が大好きだったんでしょう、きっと『人気ブログランキング』へ

The Beatles - Love Me Do

ジョンは同性愛者か? 性癖異常者か??

2008/09/22 18:25|ジョン・レノンTB:0CM:0
ジョンのことをよく知っているほど、ジョンが同性愛者でないことはわかると思います。

どちらかといえば、女好きな方じゃないか思います(笑)

今さらなぜこんな話をするかといえば、ジョンについての新しい本の中で、ジョンが母親との近親相姦を望んでいたとか、ポールとの同性愛を望んでいたと書かれているらしいのです。
THE SUN
John.jpg

ジョン・レノンに関する暴露本「John Lennon : The Life」が出版される。ジョンは亡くなる1年前に自分で吹き込んだ回想録のようなテープを、ジョンの家族にも親しくビートルズにもっとも近いロック作家と言われている、フィリップ・ノーマンに託していた。そのテープの中でジョンは、母親やポール・マッカートニーを性の対象と見ていたことが語られている。フィリップ・ノーマンは、ジョンが1979年9月5日に録音したというテープを所有しており、それを元に「John Lennon : The Life」と題した本を出版する予定。

ジョンの変わった性癖などに触れるショッキングな内容にオノ・ヨーコ、ビートルズのメンバーやファンの怒りを買うことが予想されるため、ノーマンは敢えて今回英大衆紙「The Sun」にテープを公開した。テープはジョンの声で、「14歳の頃、ボロムフィールド・ロードに住んでいる母親の体に触れていた。一日学校を休んで母親の元で、ベッドの上で彼女の体に触れて過ごした。それ以外に僕に何が出来たと思う?」というもの。

テープではさらに「それはちょっと変わったことだった。なぜって、道路の向こう側では、それなりの女の子達を抱くこともできたからね。僕はいつもそうしておけばよかったと思っている。母もきっとそれを許してくれただろう」と、続く。又、ポール・マッカートニーと同性愛を楽しんでみたかったという部分もある。ジョンはとても複雑な面を持った人間だったと人は言うが、どうやらそれは少年期からのようである。ジョンは「フィリップはビートルズについての世界的な権威を持った作家だ」と褒めており、まさかそれがこのような形で暴露され、本にまでなろうとは思っていなかったに違いない。


ジョンの同性愛者説に対して、ポールはもちろん反論しています。
マッカートニー、ジョン・レノンのゲイ説を糾弾

「(レノンがゲイだという話が)事実だとは思えない。ジョンはそんなことしたことないよ。僕は何万回も彼と一緒に寝てる(ベッドを共有してる)けどさ。彼がベロンベロンに酔っ払ったとこ見てるけど、いつだって女性が対象だったよ。少しでも同性愛の傾向があったら、酔っ払ってるときにそれがわかるはずだろう」

ジョンが同性愛者だったという噂は古典的なネタです。
理由としてよくあげられるのが、Fab4の中でマネージャーだったブライアン・エプスタインと一番仲がよかったこと、そのエプスタインと休暇中に2人でスペインに旅行に行ったことがあることです。
brian.jpg

ご存じない方のために念ため説明しますと、ブライアン・エプスタインはゲイだったんです。

でも裏を返すと、ジョンのゲイ説の根拠はこれだけなんですよね。
ジョンの人生で他にゲイの噂がたったエピソードはありません。
女好きのエピソードはありますが(笑)

ジョンは幼い頃に父親と生き別れており、その後は母とも別居してミミ伯母さんの家で一人っ子の居候として育っていますから、ブライアンのことをある時は父のように、またある時は兄のように思っていたんだと思います。
ジョンの生い立ちについては、この記事を参照してください。
ジョン・レノン 息子として父親として

その感情と同性愛の気持ちは、また別ものでしょう。

ブライアンがジョンに関係を迫った可能性も考えられますが、私はそれもなかったと思っています。
ビートルズの歴史を知れば知るほど、ブライアンがFab4に対していかに誠実で、いかにビートルズを大切に守っていたかを知ります。
少なくとも私が知る限り、ブライアンは己の欲望のためにFab4を傷つけるようなことはしない男です。

今回SUN紙のサイトで聞けるジョンのインタビューでも、実際にポールについて語っている部分は公開されていません。

「ポールは男の俺からみてもチャーミングで魅力的な奴だったよ。一緒に寝たいくらいね。」みたいな感じで言ってるだけじゃないでしょうかね。

母ジュリアとの近親相姦願望については、発想が飛びすぎだと思いますね。

ジョンは母ジュリアと離れて暮らしていましたから、時々しか会えないジュリアはジョン少年にとって、「抱きしめたい、抱きしめられたい母親」であり、「最も身近な大人の女性」でもあったのでしょう。
John and Julia

母親の愛に飢えていた思春期の少年が母の体に触れながら、一方では「女性の体」を意識していても不自然だとは思いません。

White Album」に収録されているジョンがヨーコに捧げたラブ・ソングのタイトルが「Julia」であることからも、ジョンがジュリアを母として慕う一方で、理想の異性としても意識していたことがうかがえます。

The Beatles - Julia


だからといって、関係を持ちたがっていたかどうかは全く別の次元でしょう。そして、

「それはちょっと変わったことだった。なぜって、道路の向こう側では、それなりの女の子達を抱くこともできたからね。僕はいつもそうしておけばよかったと思っている。母もきっとそれを許してくれただろう」

の解釈なんですが、ジョンが言っている“そうしておけばよかった”は道路の向こう側で女の子達と抱くこととも取れます。
母親も思春期の息子の異性とのお遊びを許してくれただろう、と。
でもジョンはそうはせず、母と触れ合っていたわけです。
もんもんとした気持ちを抱えながら(笑)
“それはちょっと変わったことだった”というのは、異性(=道路の向こう側の女の子達)を意識しながら母の体を触っている違和感だったのではないでしょうか。

まあトンデモ本は、大きく騒がず無視するに限ります。
話題を盛り上げて本をたくさん売るのが目的なんですから、取り合わないのが最善の策ですね『人気ブログランキング』へ

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